胸騒ぎ

 置かれた物も少ない生活感の薄い狭い個室、そこに僕は一人きりでいる。一人といっても別に寂しい訳でもない。同じ建物の他の部屋には同僚が待機しているし、僕を訪ねて村中からたくさんの人間が四六時中やってくるのだ。


「はい、ヒールヒールヒール。あとキュアー。どうぞお大事にー。次の方どうぞー」


 次から次へとやってくる冒険者を機械的に回復させていく単純作業。一部の冒険者が眉をひそめたりガッカリした態度を見せたりした気もするが気のせいだろう。だってここは診療所なのだから。回復さえできればそれで満足なはずなのだから。


「マリアさんいなくなっちゃったのかあ……」


 部屋を去り際の冒険者がぼそっと一言漏らす。慰めのサービスとして強烈なヒールを背中から叩き込んでやると、彼は一瞬気まずそうに振り返った後にそそくさと出ていった。余分に魔力が回復できて大満足な帰路だった事だろう。


「あらあら、お仕事お疲れ様ライトくん~! あんまり落ち込まないでね、若い頃は色々あるんだから~!」


 朗らかにねぎらうローザおばさんに引き継ぎをし、診療所を後にする。ノーマン先生は何か言いたげだったが村のヒーラーが少ない関係上、結局は言葉を飲み込んだようだった。


 外に出るといつも通りに風がほほを優しく撫でる。一瞬だけ爽やかな気分になるが、その後すぐ風とは別の生ぬるい何かが僕の肌を舐めまわすようにまとわりついてくるのを感じる。


「言いたい事があるなら言えばいいんだ……」


 村を歩くとこちらに向かう数多の視線を感じずにはいられない。同じ村に暮らす者同士で当たり前のように交わされてきたその眼差しに、最近少し下世話な好奇心が混じり始めている。


 あれが例の青年だと。あの二人の件について何か関係がありそうなライトだと。ひそひそと漏れ聞こえる声はおそらくそんな事を呟いている。具体的な噂の内容はわからないが、痴情のもつれか何かだと思われているのは間違いないだろう。


「でもそれを訂正するのは無理か……」


 真実が知れ渡るくらいなら不正確な噂でだらしなく思われている方がまだ外聞が良い。というか実際半分は当たりである。僕とマリアは好き合っていて、だけど結局実を結ぶことは無く、それが原因でマリアは村を出た。事実と違う点は、多分噂の中ではそこにアナスタシアも組み込まれているだろうという事だ。


 心の中でアナスタシアに詫びながら道を歩いていると、穏やかな村に似つかわしくないがなり声が聞こえてきた。


「ぐはははは! チンケな村だが料理はうめーなあ! 絶品だぜこれはなあ!」

「先生、食事中はも少し静かにお願いしたいすねえ。つば飛ぶんすよそれ」


 見上げるような大男、そして対照的な背の低いヒョロヒョロとした小男。食事処の青空席でギルド本部職員のゴルドー(大)とギース(小)がサラダを食べていた。


「食べ物と言えば肉だと思ってたが、違ったな! 肉なんてカスでクソだ! 野菜こそが真の食いもんだったようだぜ!」


 下品な物言いと共に舌鼓を打つゴルドー。気の弱い人間が思わず身を縮こめてしまいそうなおっかない大声だが、本人は上機嫌らしい。何をするにも品の無さをまき散らさずにはいられない大男に道行く人々もげんなりしている。


「マリアとアナスタシアがいなくなって、残っているのはこんなオッサンだけか……」


 村民が憂鬱な顔になる気持ちもわかる。役目が終わってさっさと帰るはずの汚いオッサンが『魔物の姫に対する念のための警戒』として今日までずっと村に残っているのだ。耐えかねたジョシュアが本部に苦情を入れたりもしたらしいが、「本人たちの裁量なので関与していない」との事らしい。


「ぐははは、サラダうめー! スカスカだから何杯でも食えるぜおもしれー!」

「先生、そろそろ帰らねすか? もう飽きたすよ野菜は」


 何かの喜劇みたいな掛け合いをする凸凹コンビを尻目に僕は食事処を通り過ぎた。本当、あまり長い事直面していたくない現状だ。なんでこの村の大事な時期にあんなオッサン達だけが残ってしまったのだろうか。


「だがまあ、それを言ったら……」


 自然と自嘲の笑みが顔に出た。一番残っているのがおかしい者はここにいるのだから。僕が出ていかずに彼女達が出ていった、それこそがこの現状の真に理不尽極まりない部分であろう。


 マリアが何故村を出ていく事を決めたのか。その全ての理由を明確に言語化する事は僕には難しいかもしれない。だがその一つとして、彼女よりも僕の方がこの村に必要な存在だという判断があったのではないだろうか。


 彼女は僕の力の一端を見ている。仮に塞ぎ込んだ僕が村を出ていった場合、ノウィンを守る大きな力が失われる事になるだろう。だから僕を機能させるためには自分が出ていくのが一番スマートだと考えた可能性はかなりある。


「しかしそれはもはや……僕にとっては重い話かもしれない」


 彼女が本当にそう考えていたかは知らないが、僕は確かにノウィンという村の最後の切り札になるべくここに来た。ステラ亡き後、その代わりの力となるために。


 だが今の僕からはもはやその気持ちはほとんど失われていた。何か一つでも助けになるために来たはずが、僕が思い出せるのは失敗ばかりだ。こんな事を闇雲に続けていた所でその先に何か待っているものはあるのか。このままではどうにもならないという漠然とした実感だけがどんどん胸の奥に溜まっていく。


「マリア……今何してるだろう……」


 ほんの少し前に二人で一緒に村で過ごした日々を思い出す。いつだったか抱きしめてくれたあの暖かさを。実際に触れ合った時は嘔吐したくせに記憶の中のマリアには触りたがる、そんな自分の節操の無さに眩暈がしそうになる。自分のせいで遠くにいってしまった彼女にいまだ救いを求め、気が付けば村の中に彼女の姿を探している。あの道はいつもマリアと歩いていた。森の中に二人でピクニックに出掛けた事もあったんだ。


「あれ?」


 ありもしないものを探してふらふらとさまよっていた僕の視線がピタリと一つ所に止まった。回顧混じりに見渡した景色に混じる、ほんの微かな違和感。僕以外の誰も気にしないであろう些末な事象。


 一人の少女がいた。おそらく魔法使い用だろうつばの広い三角帽子をかぶった、だぼだぼなローブを着た背の小さ目な少女。年の頃は僕と変わらない程度か、村外から来た冒険者らしきその立ち姿がふっと目に付いた。


 別にマリアと見間違えたとかではない。遠目に顔などわからないし、帽子で半分隠れている。そもそも背格好と服装の時点で彼女とは大分印象も違う。


 気になったのはこそこそと人目を気にした様子で辺りを見渡している事だ。の近くにいる事だ。彼女はさっきからずっと森の向こうに意識を飛ばしつつ、なのになかなか踏ん切りが付かない様子でその場をうろうろしている。穏やかな時間の流れるノウィンの中で何処か彼女の周りだけ妙な空気感だった。


 しばらく見ていると意を決したのか何なのか、彼女はスッと木々の間へと入っていった。そこからは特に何も変わらないいつもの村内だ。鳥の囀り、木々の葉のこすれあう音、人々の生活する声が風に乗って村を緩やかに巡り回る。


 特に気にする必要なんて無いのかもしれない。冒険者が森に入るのなんて当たり前なのかもしれない。だがあの方向・・・・は……。


 かぶりを振る。なんでもかんでも結び付け過ぎだ。僕がその手の事を日々考えて生きているからって他の人間がそうという訳でもないだろうに。僕は頭にちらつく木漏れ日の光景を振り払い、孤児院へと歩いて行った。あの子の目的地がノウィンの勇者の最後の場所だなんて、そんな事がある訳ないのだから。

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