逃げる先
石造りの誰のものかも知らない家を背にしてつっ立っている。目の前の道を流れゆく人々をただ無目的に視界に捉えている。往来の雑音、大量の人の姿、つとめて頭に入る情報量を大きくして他事を考えないように気を逸らしている。
ここはノウィンを北に進んで20個目くらいの町。間に山脈なども存在するのでそんな数え方をするのは僕くらいかもしれないが、とにかくそういう場所だ。この町の名前くらい知っているが、別にここだからと思って下りた訳じゃない。いつまで飛んでいるのかと気付いたタイミングがここだっただけだ。
「何でこんな所まで……」
特別な含みもなくその場に呟いた言葉は、僕という存在全てを押しつぶすほどに重く伸し掛かってくる。何でこんな所まで来てしまった。ステラを殺し、ノウィンを騙し、マリアを悲しませ、こんな所まで来てしまった。
考えなくていい、罪人が逃げるのは当たり前だ。マリアだって今頃考えをまとめて僕を怪しんでいるかもしれないし、僕の事をジョシュアに報告しているかもしれない。そうして名実ともに罪人になった僕が、何故逃げる事を疑問に思う必要があるのか。だから考えなくていい。考える能を持たなくていい。
意識を捨てろ。意識は痛みしか生まない。ただ目の前の雑踏を観測し続けるだけの機械になれ。どうせ人を殺した時点で僕は人間じゃないのだから。
「ちょっと君ー、いつまでもうちの壁に寄りかかるのやめてくれるー?」
横から声を掛けられ、振り向くとしわの深い顔を迷惑そうに歪ませた女性がいた。考えるまでもなく背にしたこの家の人間だろう。
「この壁もろいからすぐ傷がついちゃうんだよねー。よそから来る人、ほんとそういうとこ気が付かないからさー」
「すみません」
機械的に謝って反応も見ずに壁から離れ歩き去る。ふるまいを咎められて素直にそれを正すなんておかしな罪人だ。まだ自分の事を人か何かだと思っているのだろう。
一つ所に居座るのをやめて歩き始めたところで何か目的がある訳でもない。ただ闇雲に目の前の道を進んだり曲がったりするだけの僕は、それこそ何か意思の無い実験魔道具か何かのようだっただろう。
「頭の中までその通りだったら良かったんだがな……」
雑踏を見つめていてもその中を歩いても、このわずらわしい脳はうごめき続ける。実際、人は機械になどなれない。無目的に歩を進め続けたところで脳はそれを至上目的などと認識してはくれないし、ひたすら過去を再確認することだけにその力を使い続けていく。生き物の脳には自らの犯した罪を永遠に想起させ続ける機能がある。だからそうなってしまえばもう終わり、ただそこにいるだけで歩いているだけでずっと苦しいのだ。
何も決めずに歩き続けた足は、最終的には冒険者ギルドの方に向いていた。別にそれだって大した用事がある訳じゃない。ただ、ここで果たしたダンジョンクエストの報酬をもらっていない事を思い出しただけだ。ただ歩くよりは人間とのやり取りの方が幾分気が紛れるだろうと思い、なんとなく向かっただけである。
「いらっしゃいませ、本日はどのような御用件でしょうかー!」
なんとなく覚えのある元気の良い受付の言葉に対し、僕は冒険者証を黙って差し出す。果たした依頼の報酬をもらいに来たという合図だ。受付は冒険者証を手に取り確認し始める。
「あれ? あなたスバライトさんでしたか。今日は覆面してらっしゃらないんですね!」
「ん? ああ……」
言われるまでその事に全く気付かなかった。僕はスバライトとして高ランク依頼を受注していたんだから、報酬を受け取るなら覆面をしていなければいけない。
「いやはや、お若いのに凄い活躍ですよね! Sランクダンジョン四か所ものクリア、本当にありがとうございました! これからも是非よろしくお願いしますね!」
手を掴まれぶんぶんと振られながら猛烈な勢いで感謝される。周りの冒険者が羨望のこもった眼差しでこちらを見ているし、奥からは白金貨の詰まった袋が運ばれてくる。僕が力を隠さず発揮すれば周囲の人間はこんなにも僕の事を尊敬してくれる。
なんでこれじゃいけないんだっけ?
なんで僕はこんなに苦しくなりながら後生大事に自分の罪を抱え持っているのだろうか。僕が僕の罪を捨て去れば目前に見えるような輝かしい未来が待っているはずだ。なのに僕はいつまで人殺しとして生きるつもりなのだろう。
ここ数日間の生活は本当に楽しかった。ステラを殺したのは魔物の姫で、僕はそれを仇として追うヒーローで。ノウィンの皆とも上手くいっていた。あのマリアが僕の事を好きだと言ったり、抱きしめたりしてくれた。
この町でも今からだって同じ事ができるんじゃないか? 僕は歓迎されている。ノウィンで起こった事だってここには関係が無い。邪悪な魔物をひたすら討伐し、町民に感謝され、マリアと同じくらい素敵な女性と仲良くなって。それでSランク冒険者スバライトとなってこの町で生きる。それは人殺しとしての生活をノウィンで続けるよりもよほど現実的な選択ではないのか。
なりたいな……もう一度、あんな風に……自由に素晴らしく……。
「おやライト、今日はやけに帰りが遅かったね。どうしたんだい?」
孤児院の廊下、尋ねる院長に曖昧に頷いて自分の部屋の中へと入る。見知った内装の中でその暗さに自分が夢から覚めたのだと実感する。
自由に素晴らしく生きられれば良いなと考えたはずの僕はノウィンに戻っていた。
なんで戻ってきたのかはよく解らない。犬のような帰巣本能が働いたのだろうかと笑いもせずに自嘲する。
結局、罪は消えないから罪で、自由になれないから罪人なのだ。自由に憧れるような者が自由に到達できるはずがない。彼女は生きている間中ずっと自由に憧れた事など無かったのだから。
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