マリアを殴った後のノウィンにも朝が来る
罪人はひたすらに窓の外を見ていた。朝日が顔を見せ、やがて空に昇る。日の光は人間に恵みを、それ以外には後ろめたさをもたらす。太陽が一定の高さまで登った所で、まるで見えない看守にドアを開けてもらったかのように部屋の外へと出る。
「眠い……」
昨日と地続きのフラフラの頭で孤児院の廊下を進む。思い出した、人殺しって睡眠を取る能力が無いんだ。いつまでも頭の中を空にできずに、ただ横たわって朝になるのを待ち続ける事しかできないんだった。
廊下を歩くと孤児達からおはようの声が飛んでくる。「夜更かしし過ぎだぞ!」と肩を叩く者もいた。僕の景気の悪い顔は今のところ夜更かしのせいに見えている。だが落ち着いてじっと観察するとそうではないと気付くだろう。大勢に囲まれる朝の食卓には行きたくない。僕は気だるげな足取りで外へと出た。
外に出ると窓から見た景色よりも一層世界の輝きが実感できる。村を歩く村民の一人一人がただ生きているというだけでどれだけの可能性を秘めているか。陽の光の下に僕という異物がくっきりと浮かび上がるこの光景、本当に誰も気付いていないのかと不安で気が休まらない。
そうは思いつつも普通に村を歩いて挨拶などを交わせるのは、これが既に経験済みの事だからだ。別に僕は昨日今日で人殺しになった訳じゃない。村に戻ってからはずっとそうだったのだ。人殺しが人殺しである事は本人にしかわからない、そんな事はとっくに気が付いていた。
「いや……どうだろうな……」
それも結局は希望的観測なのかもしれない。それは一般的な村民は気付きもしないだろう。だが違和感を持って疑惑の目を向けてくる者は確かに存在する。今まであえて考える事を避けてきたが、改めて客観視点で考えればおかしな事が多すぎるのだ。
最悪人間の仕業だという事はバレてもおかしくない。とすると、次は犯人が誰かだ。流石にそこまで詰められる者はそうそういないだろうが、しかし……僕をよく知る者にとって最近の僕は
頭を振って嫌な想像を振り払う。ノウィンに戻った僕の怪しい所なんて回復魔法が何故か使えた事くらいだ。もちろんこれはおかしい事だが、それがステラの殺害と結び付きはしないだろう。そう考えればそうとも思える程度の理屈で、強がるように前を向いた。
「あっ」
目の前には診療所があった。特別向かっているつもりも無かったが、考え事をしながら歩けば足は自然といつものルートを進むものだ。
このままドアをくぐればいつもの職場へとたどり着くのだが、僕は二の足を踏まざるを得ない。マリアはあの後どうしたのだろうか。泣きはらした赤い目で診療所に帰り、そのまま冒険者の手当てをしていたとすれば……。その想像上の光景に僕の胸は締め付けられ、固まった足がますます動かなくなる。中に入ればマリアがいる。マリアはいつもと違う顔をしている。入って来た僕に気付いてこちらを見るだろう、その時に僕は一体何を言えばいい。
診療所の前でじっと立ち止まり、時間を浪費していく。思えばあの日以来どれだけの時間をただ二の足を踏む事に使い続けてきただろうか。何でもできる世界一の冒険者が世界で一番何もできないでいるふがいなさにきつく目を瞑る。するとその瞼の裏の暗闇に、横から砂利を踏む音が差し込まれた。
「あっ……」
足音と声の方に振り向くと、そこにはマリアがいた。僕が来たのとは反対側の道に佇んでいる。
「え、あっ」
予期しないタイミングでの邂逅にどもる声しか発せない。彼女も上の空で歩いて来たのか、この距離まで僕の存在に気付いていなかったようで視線を泳がせている。その目はやはり赤く充血しているのが確認でき、すぼまった喉から意味のある声を出すのがますます難しくなる。
「あ、あの、ライトさん……! 昨日っ 昨日の事なんですけど……!」
慌てた様子のマリアがそれでも口を開き、そして先日の件について言及する。だがそれに輪をかけて混乱していた僕はもはやまともにその話を聞く事すらできない。突然の邂逅に直球の言及、急速にパニックに陥っていく思考。頭も喉も満足に動かせず、かろうじて動くのはもう足しか残っていなかった。
「あ、ライトさん!? 待って、待ってください! 何で……!」
背中に悲痛な叫び声を受けて罪悪感で視界が歪みそうになるが、それでもなお逃げる足は止まる事がない。彼女の声を遠く置き去りにするまでは絶対に止まってはいけない。
もう二度と犯人の話も昨日の話も聞きたくない。だからマリアに会ってはいけない。ずっとずっと合わないようにする事しか僕にはもうできないのである。
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