愚にも付かない推論

 ステラを殺したのは魔物ではないのでは? マリアは確かにそう言った。ちょっと前まで僕が思っていた事に今ここでようやく辿り着いた彼女がなんだかおかしかった。


「ははは」


 思わず笑い声が出てしまう。彼女はそれがとんでもない勘違いだという事をまだ知らない。見つけた山には何もないというのに、まだ真面目な顔で何事かを考え続けている。


「この前、ギルド本部による調査と聞き込みがありましたよね。私、そこで初めて事件のあらましを知ったんですが……ライトさんはおかしいと思いませんでしたか?」


「おかしい所なんてあったかな」


 特に考えずに質問に受け答える。どちらにせよ僕からは魔物が犯人だという事は解っているのだ。


「村人の一人が光を見たっていうんです。そちらの方に行くとかがんで何かを確認しているような人影が見えて、声を掛けたら去っていったと」


「ああ、なるほど」


 マリアの言いたいことがなんとなく解ってきた。要はおかしいというのはの事なのだ。


「そして人影が去った場所に近付くと、ステラさんが倒れていた……なんだかその証言を聞くと、それは魔物というよりは人間のような気がして」


「なるほどなるほど」


 確かにかがんで何かをしているという行為は魔物の暗殺者らしくはない。実際僕がやっていたのはヒールでステラを蘇生させようという試みだし、要素を取れば人間でしかない。そこまではマリアの推理は当たっているだろう。


 しかし当たっているからといってこちらとしてはうかつに同意する事もできない。あの場所にいたのは他ならぬ僕なのだから、多少頭が固く見えても誤魔化す必要がある。まあ結局は想像の話、こちらが考え過ぎだと言い続ければ彼女も論を引っ込めるだろう。


「面白い推理だけど、それだけで人間と見るのは早計だな。確かにかがんで何かをしているってのは魔物らしくないけどさ」


「あ、いえ。そうではなくて」


 だがマリアはすっとぼける僕を気にした風でもなく言う。


「なんで犯人は逃げたんですか?」


「え?」


 念頭に無かった事を聞かれ、素っ頓狂な声が出る。


「ステラさんを暗殺できるほどの魔物が逃げる理由なんてないじゃないですか」


「え? だって……そうじゃないと暗殺にならないだろ?」


 頭が否定するモードに入ってるため、深く考えずにそう答える。するとマリアは僕を諭すような顔でこちらに向き直った。


「ライトさん、魔物が暗殺という手法を選んだとすれば、それは村民に見つからないためではないです」


 何かの授業のようにつとめてハッキリと話すマリア。


「彼らはに見つかりたくないんです。魔物破壊のスキルを持つ勇者に見つかれば自分たちは一瞬で消されてしまう。だから彼らは殺される前に殺す『暗殺』という手段を取ったのだろうと、話の前提はそういう事だったはずじゃないですか」


 確かに最初にガンドムから聞いたのもそのような話だった。魔物はステラに気付かれない必要があったのだと。


「言い換えれば、勇者さえいなくなればあとは誰に見つかろうが構わないはずなんですよ。見つからないようにこそこそ逃げるという行動は魔物にしては不自然です。犯した罪を隠したいと思うのは人間だけ・・・・なんですよ」


 なるほど、理解できた。要するに殺害現場から逃げるというのは人間特有の行動であり、だから逃げた人影は人間だということだ。


 確かに現場の目撃証言に残っている人影の正体は間違いなく人間だし、その人間は自分が殺したと思ってその場から逃走している。だからその人影を犯人と仮定する限り、犯人を人間と思うのは実際正しいのだ。だってその人影は本当に殺人犯になりたくなくて逃げたのだから。


 思わず感心してしまうほど筋の通った推理に舌を巻く。だがその人影が犯人であるという前提自体がそもそもミスリードであるため、残念ながらその理屈は成立しないのである。全てわかっている立場で聞いている分には面白かったが、彼女の考えた事が事件に貢献する事は無いだろう。間違いなく無い……いや



 


 ちょっと待てよ


 殺人を犯して逃げるのは人間だけ?


 魔物は逃げない?





 

 

 じゃあなんで魔物の姫はんだ?


 何故ステラを殺した後に僕に気付かれないようにんだ?


 マリアが言っているのは僕が逃げた事だが、そういえば魔物の姫も逃げている。僕を残して立ち去っているのだ。あれは何だ?




「えっと……じゃあ、それはそれとして目撃されて騒がれるのが面倒だと思ったから逃げたんじゃないか?」


 魔物の姫はあまり人間側に察知されずに動きたいと思っているのかもしれない。奴は人類根絶なんて大それた野望を抱く魔物だし、現に冒険者ギルドだって魔物の姫の実態を探ろうと調査員を送り出していた。罪の意識が無くたって隠れたいと思うのは自然な事だ。


「いや、だから目撃されたのが嫌ならその発見者も殺せばいいだけじゃないですか。そもそも魔物って人間を害する存在なのですから」


 そうだ、魔物というのはあのダンジョンで血眼になって襲ってくる魔物の事だ。それがあの時に限って僕を殺そうとしていない。あそこにいた魔物の姫は一体何を考えていた?


「実際、騒がれるのが面倒だというのはもっともな話なんですよ。魔物の姫が犯人ならむしろ自分の痕跡や思惑を隠す方向に動くと思うんですよね。だから彼女だったら第一発見者なんて殺しているでしょうし、なんなら勇者の死をぼかすために積極的に死体を増やしにいったとしても不思議ではありません。それが今回の事件の犯人は声を掛けられただけで逃げ、ステラさんの死体すらそのまま残している。魔物の姫の仕業とすれば全てが中途半端ですし、通りすがりの別の魔物の仕業としても逃げる意味がありません」


 聞けば聞くほどに、犯人である魔物の姫の頭の中が全く想像できないものになっていく。僕が魔物の姫の逃げる理由を考えるよりもマリアがそれを潰す勢いの方が速い。何故だ。何故魔物の姫は僕を残してさっさと逃げてしまったんだ。


 もしかして魔物の姫は僕の実力に気付いていたんじゃないか? 僕に歯向かえば返り討ちに遭うというのは事実だし、そう思えば危うきに近寄らずという事で手出しをしないのは納得できる。


 ……いや、しかしあの長く生きたワイアームでさえ僕個人の事は虫けらのようにしか見ていなかった。見ただけで相手の内包する魔力を看破するなんて、そんな能力はユニークスキルとしても聞いたことがない。


 だったら魔物の姫は何処かで僕を見かけてその実力を知っていた? それはあり得ない話ではない。バリオンで盛大にグリフォンを退治し、山の頂上までひとっ飛びに魔物相手に暴れていた僕だ。犯人の魔物の姫は最終的にノウィンに来ていたのだから、その何処かで見られていたとしてもおかしい話ではない。


 ……だけど、僕の実力を知っているのにその僕の隣のステラに手を出そうとしたのは変な話だな。だってそうすると、魔物の姫はわざわざステラが僕といるタイミングで暗殺を決行した事になる。僕の事なんて気にせずにステラを殺しておきながら、僕に見つからないようにこそこそ逃げている事に……あれ? あれ? なんだこれ?


「そんなに難しく考える事はありませんよ、ライトさん」


 気付けば思考に没頭していた僕に、マリアが優しく言う。


「つまり犯人はです。ステラさんを何らかの理由で殺し、だけど他の人間にまでは手を出す理由の無かった人間。そうとしか思えないのです」


 犯人は人間……


 じゃあ実は魔物の姫じゃなくて人間がステラを殺してたって事?


 僕が後ろを向いている間になんらかの思惑を持った人間がステラを殺したって?


 でもだったら魔物破壊の対象外である人間が過剰なまでに姿を隠す方法を取る必要が無いし、やっぱり僕といるタイミングで手を出しながら僕に見つからないように逃げる理由なんて無い。だから犯人は人間じゃない。人間だとするとどうしても無理が出る。


 そうだ、だから人間のしわざじゃないんだ。人間じゃないんだよ犯人は。仮に魔物でなかったとしても、人間でもない。これは何処のどんな人間にもできない不可能殺人なんだ。誰にもできない、どんな人間にもできない。そうだこの世の誰にだって、どんな人間にだって絶対に絶対に













                                                              













「ははは」



 思わず笑ってしまう。マリアも僕が理解してくれたと思ったのか嬉しそうに笑っている。僕を喜ばせようとここまで理屈を捏ねくり回した彼女の事が愛おしくてたまらない気分だ。


「おわかりいたたけましたか? つまり犯人は人間の可能性が非常に高く」


「愚にも付かない推論はやめろ」


 驚くほど感情のこもらない冷たい声が響く。それが自分の声であると気付いても、なおその吐き出した言葉を元に戻したいとは思わなかった。


「え……愚にもって……あの、何か間違っているところがありましたか?」


「間違っているところ? そんなレベルの話かな?」


 嘲笑するように彼女の質問をいなす。僕の立場からだと彼女の言う事の根本的な矛盾がよく見える。彼女の説を採用すればあり得ない結論・・・・・・・が導き出されてしまうのが他でもない間違いの証拠なのだ。


「だ、だって魔物が逃げるなんておかしいじゃないですか! 少なくとも一考の余地はあるかと……」


「無いんだよそんなもの!!」


 今まで出したことのないような大声に、マリアが驚いている。状況が見えていない立場で勝手な言動を繰り返す彼女への苛立ちが抑えきれないほどに膨れ上がる。


「じゃあ何か!? 誰か村民が怨恨で殺したっていうのか!? ノウィンの勇者がケチな強盗か何かに殺されたっていうのか!? 目先の利害で人類の希望を殺すような裏切り者が人間達の中に含まれてるっていうのかよ!?」


「あ、あの……」


「目の前にあるわかりやすい事実から目を背けて『実はこうなんじゃないか』なんて勝手な想像を並べて何になる!? それが当たってりゃ嬉しいかもな! でもそんなのは大抵は思い込みの妄想でしかないんだよ!!」


 目の前のマリアに叩きつけるように、全ての感情を吐き出すように、大声でひたすらにまくし立てる。


「も、もしかしてライトさんは犯人が人間だと思いたくないんですか? それはその、ちょっと私も言い方が悪かったかなと……」


「違う! 馬鹿げた事を言うなと言っているんだ! もう何も言うな! 黙れ!」


 おずおずと声をあげるマリアに、僕は更に一蹴するように声をあげる。明確に敵対的な僕の態度に彼女はますます焦り、混乱していく。


「す、すいません、ライトさんの気持ちも考えずにデリケートな話を続けてしまって! ただ私は魔物が犯人だとするとどう考えても意味不明な事になるというのを伝えたかっただけなんです! つまり魔物でない以上、犯人は人間という事で……」


「だからそれが間違っていると言っている! そんな事を僕以外の前でも言い続けるつもりか!? 黙れよ!」


 犯人が意味不明だって? そんなの当然だろう、人殺しなんだから。人殺しの世界に生きる人殺しの気持ちなんて解る訳ないだろうが何を寝ぼけた事を言っている。


「す、すいません、もう言いません! だけどそもそも接近して首の骨を折るっていう暗殺手段がもうおかしくないですか? 超威力の魔法を不意打ちで叩き込む方が絶対に成功の確率が高いはずですし……」


「それが何だっていう話だろうが! よっぽど犯人が非効率的なだけでいちいち何を悩む必要がある! もうお前は黙れ!」


 犯人の考えなんて解る訳がない。犯人が何を考えているのかがまるでわからない。それがわかるのなんて犯人自身だけで構わないんだ、それでいいんだ。


「ああ、ほんとすいません! ステラさんが亡くなってまだ間もないのに、こんなの無神経でした! ライトさんの気持ちお察しします! ……ただ、お察しといえば犯人の気持ちを考えると逃げた時の犯人ってめちゃくちゃ動揺していたんじゃないかと思うんですよね。だって声を掛けられるまで村民に気付きもしないって、それだけ意識を何かに集中していたって事でしょ? 明らかに平静じゃないでしょ?」


 平静じゃないだって? 平静だ! 僕が、僕だけがこの世界で唯一平静なんだ! 僕が、僕が……


「つまり何が言いたいかというと、これは事故・・ではないのかと思うのですよ。誰かがうっかり・・・・ステラさんを殺してしまった。その判明を恐れるあまりに犯人は現場からの逃亡を……」


 瞬間、体に巡る爆発的な血流が僕の頭をショートさせた。


 速さ9999を誇る人類史上最高のしなやかさを持つ体が全身うなりを上げて彼女との距離を消しに掛かる。


 黙らせなければいけない・・・・・・・・・・・


 目の前のわずらわしく喋る口を・・・・・・・・・・・・・・何も言えないように閉ざさなくてはならない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 意識としてわずかに後に残ったのはそれだけだった。その狂おしいほどの思いを少し遅れて頭が理解し始めた所で、それに合わせて全身の感覚も戻ってくる。


 拳の先にやわらかい何かに包まれるような感触があった。覚えのある、あたたかく安心できる優しい感触。ずっとそれに包まれていたいと最近たびたび夢に見た女性特有のやわらかい身体。目の前には何が起こったのか理解できていないマリアの顔。


「えっ?」


 世界の音が戻り、肌が風を感じ、視界に色が付く。 


 マリアの喉から空気の漏れるような音がしたかと思うと、拳の先の感触がふっと消えて軽くなる。


 彼女の体が僕の振りぬいた拳の先、カシの大木まで飛び、勢いよく叩きつけられた。その衝撃により年季の入った堅い幹が激しく振るえ、周囲の木々まで全ての鳥を羽ばたかせるほどの振動が森の中に響き渡る。


「えっ? えっ?」


 数秒、こすれ合う枝葉と羽ばたく翼の音が耳に入るのに任せていた。目の前の光景を理解するよりも先に無意味な雑音を聞く事の方を脳が選んでいた。


 やがて全ての音が落ち着いてまた静かな森が戻って来た時、僕の視線はようやく大木の下へと移動する。そこには倒れ伏したまま動かなくなったマリアがいる。


「……マリア?」


 最後にようやく、感情が戻って来た。その感情に呼び起こされるように体の全ての毛が一斉に逆立ち肌が泡立つ。


 何かぶつけたような拳の先の感覚がすっと体の中に染み込んでいく。何故だろう、もうずっと前から知っていたような自我の全てを覆いつくす悪夢めいた感覚だった。

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