かつての世界
全ての人間が漠然と抱いている願いがある。魔物のいない世界に生きてみたい。それは大半の人間にとっては夢物語だったが、ノウィンに生まれた一人の少女にとっては違った。そして、今は僕にとっても。
知らず拳を握り締めていた。先のウサギがピンと耳を張り、地面を蹴って走り出す。逃げれば逃げるほどその後ろ姿はどんどん小さくなっていく。
さっきは健気さに応援する気持ちが湧いた。だが今は憤りを感じている。彼らが何故このような仕打ちをうけなければならないのかと。
「奴らが現れてからだ……マナが動植物のもので無くなったのは……」
世界にはマナと呼ばれる生きる力の源のようなものが漂っている。マナは世界の営みそのものだ。マナが生き物の体を通して世界をめぐる事によって、この世の生命のサイクルは保たれている。
例えば呼吸により空気中のマナを取り入れる事、食事により他の生命を喰らう事で……あるいは闘争により敵を傷つけ屠る事でも、マナはその体に流れ込んでくる。生き物たちはそうしたごく当たり前の生命活動の中でマナを取り入れ、自然と瑞々しい生命力を獲得していくのである。
そしてそのサイクルを崩したのが魔物の出現だった。
ダンジョンは魔物の生成装置であるが、それは当然世界に溢れるマナを消費する事で成り立っている。強大な力と完成された肉体を兼ね備えて生れ落ちる彼らは、その一匹一匹の誕生ごとに膨大なマナを食い潰していった。
異変は人の手の届かない地方から現れた。ダンジョン掃除が追いつかない地域、そこに暮らす動物の姿に変化が現れたのだ。強くしなやかだった体は小さく萎み、脂と旨味の乗った肉はぼそぼそとしたつまらない質感へと変わっていった。その変化が数年掛けて世界中に波及していった結果、動物達は小さくか弱い存在となった。今では動物の肉を食べるなんて食生活はほとんど見られなくなってしまっている。
例えばバリオンの露店で僕が買って食べていたような豚串焼き……あれは豚とは言うが実際はオーク肉がほとんどだ。何かの町で買った蛙の串焼きも多分ジャイアントトードのモモの肉だし、孤児院のシチューに入っていた牛もミノタウロスの肉だ。本来の意味での豚や牛なんて今では食べられたものじゃない。
昔は本物の豚や牛を使っていたのだろうが、それらの料理は自然と魔物肉へと置き換わっていったという。冒険者が命をかけて討伐し、それをギルドの解体要員が取ってくる事によって市場に並ぶ食材。自然と肉という食材自体が高価な代物になっていったという。
「いつか魔物なんて倒さなくても肉が手に入るようになればいいんですけどねえ」
牛肉の煮物をフォークで刺して口に運びながら、マリアはウサギの去った方を見る。
昔は増やして食べるために人間が動物を飼い、安定して肉や卵を供給できていたそうだ。食うために育てるとはずいぶんだが、それが案外動物達もその枠の中で大人しく生きていたらしい。動物には魔物みたいな
もちろん獣の中にも
(Sというランクが新設されたのも世界に魔物が蔓延るようになってかららしい)
とにかく魔物にマナを独占されてからは、生物のマナは激減していった。唯一対抗できたのは、その事態を認識して魔物を積極的に狩る事ができた生き物だけ……つまり人間だけだったという。魔物の出現により、人間の力もまた飛躍的に伸びていった。魔物を狩り続けマナを取り込んでいった冒険者達は人智を超えた力を持つようになったのだ。
「要するにダンジョン攻略とは魔物に奪われたマナを奪い返すための行いでもあるんですよね。それで魔物の独占した力が人間にも流れていったと」
マリアの言に頷く。
「ある意味では魔物の出現が人間の力を向上させたとも言える。貴重だったAランク以上の素材も多く手に入るようになったからな」
もちろんそれは凶悪なAランク以上の魔物を討伐しなければならないという事でもある。マナの豊富な高品質素材の影響を受けて魔法工学も発展したらしいが、魔物による被害に釣り合うほどとは思えない。今では人工的に高品質素材を作り出す研究なども行われているらしいし、魔物が存在して良い理由にはならないだろう。なにより食物が安定供給されない事により、僕たちのような孤児が割を食っているのだ。
「魔物肉じゃなかったら、あとは野菜くらいですもんね。植物もマナを定着させる力は強いですから」
ノウィンの山菜が村興しのための名物として売りに出されているのは、その辺の事情があった。特にこの辺りの山菜はマナが満ち溢れ味が良いとして、前から人気があったのだ。それはステラが長い間辺りの魔物を一掃し続けてくれていたおかげであった。
「ステラ……」
本当にステラがダンジョン掃除を日課とするまでのノウィンは酷いものだった。もはや新たなダンジョンすら建たないほどに大気中のマナが枯渇し、森の植物達すらやせ細っていたのだ。そこから再び山菜が取れるようになったのはステラのおかげなのである。ノウィンの住民たちはその時初めてその表情に希望の色を見せた。
彼女はそれを見て思ったのかもしれない。世界中を『こうしよう』と。
「ステラはいつも
彼女ほど自由奔放に他人のために生きていた人間を僕は知らない。だからその彼女が成し遂げたいと思ったなら、それは間違いなく達成されるはずだ。たとえ彼女がもういなくても。それでも彼女の抱いた想いが消える事は無いのだから。
「そうだ……彼女の想いは絶対に達成される」
僕は拳を天に掲げた。 世界が広すぎるなんて泣き言を言うのはもうやめだ。ステラがやるはずだったことを僕が代わりに成し遂げるんだ。僕の唯一無二の能力はきっとそのために生まれてきたものなのだから。
それに……それが最終的には彼女の仇に繋がる道にもなるはずだ。
「どうしたんですかライトさん?」
「いや、なんでもないさ」
想いを新たに決意する僕に対し、マリアは不思議そうな様子だ。彼女は僕がこんな大それたことを考えているなんて思いもしないだろう。今までノウィンの勇者にしか想像を許されなかった、平和世界の実現。果てしなく困難な、だけど僕にしか進めない道。
「僕がやるんだ、ステラの代わりに」
確かめるように声に出す。
「志半ばで魔物に殺された……彼女のためにも」
かつて同じ道を目指したステラの事を強く想う。僕一人だったらきっとこんな道は選ばなかった。町を想う気持ち、世界を想う気持ち。多くの人達の想いに触れ、僕はここまで運んできてもらったんだ。彼女と過ごした日々は間違いなくその最初の一歩だっただろう。
「うーん……そう……ですか……」
ふと振り返ると、マリアが口に手を当てて何やら思案している。もしかしてさっきのが聞こえていたのだろうか。故人とはいえ二人きりでの外出中に他の女性の話をするのはちょっとまずかったかもしれない。ステラの代わりなんて大それた宣言も合わせて少し恥ずかしくなり、ついつい言い訳の一言二言のために口を開きかける。
「ねえライトさん」
だが口を開きかけた僕は、先んじて声を発したマリアにタイミングを制されてしまう。彼女のその目には照れもすねも無く、ただ単純な疑問だけが見えた。
「ステラさんを殺したのは本当に魔物だったんでしょうか」
森の木々の隙間を風が通っていった。いつか最近森に入った時にも同じ風が吹いていたなと、頭のどこかでそう思った。
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