覚醒の朝

 窓から差し込む光を皮切りに村中に朝が到来する。体を伸ばしつつベッドから起き上がった僕は、部屋を抜けて食堂へと廊下を歩く。すると角を曲がったところでアナスタシアが見えた。


「あ、ライトおはよう」


 快活と言えばそうだが空気を変えるほどの陽気さも無い、言ってみれば普通のテンションの挨拶。努めてそのくらいのバランスを保とうとしているのか、ここ数日のアナスタシアは複製のように毎朝この挨拶を繰り返していた。なんなら食堂か廊下のこの辺で遭遇する所まで大体同じだ。そこに僕が機械的におはようを返すまでが昨日までの日課となっていた。


「おはよう! 良い朝だな!」


 輝くような笑顔の挨拶に、アナスタシアは目をぱちくりさせる。まさしく鳩が豆鉄砲を喰らったようなその顔に、朝っぱらだというのに腹の奥からおかしさが込みあげてきた。





「それでさー、私びっくりしちゃった! ギルドから来た人が偽物だったって言うでしょ!」


 身振り手振りで大げさに驚きを表現するアナスタシア。僕はそれに笑いながらうんうんと頷く。彼女の大仰さに卓についた孤児院の皆もおかしそうにしている。


「そうだよね、考えてみれば犯人がわかる魔道具なんて便利過ぎだもんね! でも私あんまり詳しくないから素直に凄いなーって思っちゃってた!」


「僕も完全に信じ込んでたよ。綺麗な制服着てるだけで騙されちゃうもんなんだな」


 普通に会話を返すだけの僕の返事に、アナスタシアは「そうだよねー」とにこにこしながら返す。今日のアナスタシアは嬉しそうだ。誰かの顔色をうかがわない彼女本来の明るさで喋っているように見える。


「でもほんと腹が立つよね、あんな人の気持ちを踏みにじるようなの。頑張ってたジョシュアもかわいそうだよ」


 昨日の出来事への驚きを表現する中に少し憤りも含ませるアナスタシア。僕の前で自分からジョシュアの話題を出すアナスタシアも、もう何日も見ていなかった気がする。そしてその話を聞いて、ただ「そうだよな」という感想で頷く僕も。


「それに犯人もよくわからなかったしねー」


 ぽつりと言うアナスタシア。食堂の天井を見上げる残念そうな彼女の横顔を見て、僕も昨日の出来事を思い出しながら同じ思いに駆られる。


 結局本部から来た本物の調査員がした事は、軽い現場検証と聞き込みだけだった。結論としては『おそらく魔物の仕業』という事らしいが、それは最初の予想と同じという事である。多少確度の違いがあるとはいえ、村民達からすればもやもやする結論だった。




「ま、よくよく考えればそれくらいが関の山だろうがのう」


 診療所に向かいながら、横で歩くガンドムが喋るのを聞く。


「確かに冷静になってみれば犯人がわかる魔道具なんて都合が良すぎた。本来ならこの手の調査は推理推測が基本だから、『多分魔物』程度の結論でもなんら不思議は無いんじゃ」


「そうだな。そもそもあの魔道具は偽物だったっていうのに、なんかついついあれを基準に考えちゃうんだよな」


 偽魔道具には本来何の効果も存在しなかったはずなのに、何故か「あの魔道具の方が凄かったぞ」と文句を言いたくなってしまうのが謎である。まあ本物の本部職員の印象が悪かったのも関係しているかもしれないが。



「てめえ、ほんと今回だけにしろよな!」


「い、いやあ、何度も謝ったじゃないですか~」


 喋りながら歩いていたら、ジョシュアの叫ぶ声が聞こえてきた。相も変わらずギルド長がどやされている。あの人もジョシュアより大分年上のはずなのにいつも頭が上がらない様子だ。


「まあでも、本部がその詐欺師について捜索依頼を出すって事でまとまったから良かったじゃないですか~」


「金に換えて使われちまったら、素材は戻ってこないけどな!」


「その時は今度こそギルド本部が全額補償してくれたりとか……」


「ある訳ねーだろ、だったらもう今からすぐ全額補償すりゃいいだろうが! ていうかギルド側の人間なのになんでそんなあやふやなんだお前は!」


 よっぽど腹に据えかねたのか、昨日の事についてまだ大声でまくしたてているジョシュア。村人達は一昨日見せた気力もなりを潜めて、彼らの様子をただテンション低げに見つめている。


「はあ……こうなると、変な冒険者に牙を買い占められたのはむしろラッキーだったな。あの時は邪魔者以外の何物でもなかったが、礼の一つでも言いたい気分だぜ」


 Sランク冒険者スバライトに牙をとられた時の事を述懐するジョシュア。完全に結果論なのだが、確かに考えてみれば村に余計な経済ダメージを与えなかったのは良かったと言える。


「そういやジョシュアの先を越した冒険者ってのは何が目的だったのかのう」


「転売目的じゃないか?」


「それにしてはジョシュアの提案に乗らんかったらしいし……。13本もあのでかい牙が必要になる事があるのか?」


 ガンドムはガンドムで話に聞くスバライトについて考え始めている。やはりSランク冒険者というものはそれだけで人の興味を引き付けるものなのだろう。僕はそれを置いて「じゃあ仕事だから」と、その場を後にした。



 村の中心を通る道をただ一人の村民として当たり前のように歩く。道すがら話し掛けてくる村民達に対し、何ら気後れする事なく挨拶を返す。


 この村の朝が暖かい陽の光に照らされているという事を思い出した。心地よい風が吹いているという事を思い出した。ただ声を交わすだけの事がこんなに清々しい、それをかつての自分が知っていた事を思い出していた。


「帰って来たんだな……僕は」


 診療所前に辿り着き、振り返って村を眺める。あの頃見たのと同じ光景が広がっていた。二年前の修行時代……唯一無二のなんでもできる冒険者を夢見ていた頃に見た光景。


「おいおい、木の発注しろっつっといたよなお前よお!」


 突然、郷愁を破壊するような大声が響き渡る。振り向くと、立てかけの家の前に何人かの大工がいた。棟梁の険悪な視線の先では大工見習いの若者が震えている。


「す、すいません……木材めっちゃあったから発注しなくていいかと……」


「そりゃ俺たちはまだそれ使えばいいけどよお! 原木を加工してる奴らがやる事無くなるだろうが!」


 平謝りの大工見習いだが、怒鳴る棟梁の勢いは収まらない。かわいそうなくらいに委縮した見習いは、ただただ腰をかがめて小さくなるのみだった。


「木が足りないんですか?」


 その修羅場に歩み寄り、僕は声を掛けた。


「あん? ああそうさ、こいつが発注間違えてよお。ほらどうすんだ、お前の同期のトーマスとか今日やる事ねえぞ、ほんとよお」


「ほんとすいません……まだたくさんあるもんだと……」


「あるもんだとじゃねえんだよ! お前が間違えたせいで村全体に迷惑が掛かるんだぞ!」


「なるほど」


 事情は理解できた。ノウィンは森からとってきた木を木材にして使っているのだが、その供給に間違いがあったのだろう。


「ところでその木ってのは樫の木ですよね?」


「え? ああそうだが……」


「なんだ、じゃあたくさんあるじゃないですか。ほらあそこ」


「あ?」


 僕が今来た道の方を指さすと、大工連中が一斉に目を向ける。そこには森にあるものと比べて遜色ない大きさの樫の木がギシギシに密集して何十本も生えていた。


「……は?」


「なんだこれ!? いつの間に!?」


「え? 何これ? え?」


 呆けた顔の彼らを置き去りに、僕は風の刃を発生させてそこに生えた木を丸ごと切り倒した。たった今生えたような上質の樫の木が地響きを立てて重なっていくと、そこにあるのはもう正規に発注された原木にしか見えなくなっていた。


「これで仕事が回りますよね?」


「え? お、おう……」


 彼らは何が起こったのかわからないといった様子だ。それも当然、本来魔法で作り出した木はその場限りですぐ枯れるものであり、切り倒してなお形を保ち続ける普通の木・・・・を生み出せる魔法使いなんてそうそう存在しない。存在しないから森の木を切っているのである。


「いやあ木があって良かったなあ」


 それだけ言い残し、僕はその場から立ち去る。大工たちはいつのまにか根っこも消えて平らに戻っている道を眺め、しきりに首を傾げていた。


「見ていてくれよ、ステラ」


 ノウィンは僕が守る。村に住む全ての仲間達と一緒に。


 僕は決意を新たに診療所のドアをくぐっていった。

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