誰が飢餓に水を差す

 ちゅんちゅんと鳥が鳴く声がする。隣家から微かに食事の支度をする音がする。夜が明けて何か変わってくれたかというと、日が照って窓から光が差し込んだくらいだ。


 夜通し家で膝を抱え続けた結果、朝が来た。何か食べないといけない。通りの店で串焼き豚を買って食べたい。だが町に出たくない。ノウィンから知らせの届いた後の町には。


「食べなくても大丈夫だろ……唯一無二だし……」


 今はその称号もむなしいだけだ。僕の唯一無二ユニークが無ければ彼女という唯一無二ユニークが失われる事なんて無かった。今ではこの世でたった一つだけの大罪が僕のユニークだ。


 ぎゅるぎゅると体に振動が走る。僕の中の腹の虫が朝食をとれと鳴いている。お前は気の向くままに好きなだけ喚けていいなと腹の虫への嫉妬で気が狂いそうになる。お前は好きに泣いて喚いてこんなの嫌だと駄々をこねる。僕はそのどれもできなかった。どれもできずにただ馬鹿みたいに死んだ彼女を治療し続けて最後には逃げ出すしかなかったんだぞ。全部投げ出してただわんわんと彼女の前で泣き喚く事ができたらどれだけよかったか。


 絶対に食事なんて取ってやるものかと固く決意した。腹の虫を完膚なきまでに飢えつくさせて餓死させるまで朝食も昼食も夕食も据え置き、ひたすらに膝を抱え続けてやるんだ。


 そしてその固い決意をもって昼の2時を迎えた。腹がぎゅるぎゅるとなり続け相当な苦しさがあるがまだ耐えられる。このままずっと家にいれば腹の虫を絶滅させる事ができるだろう。


「おいこら出てこい! いるんだろライトさんよお!」


 突然家のドアが叩かれて心臓が飛び出そうになる。僕を責め立てるように猛烈な勢いでどんどん戸を叩く知らない声の男。


 妄想のような精神状況が頭の中から綺麗に霧散し、昨日直面した現実が再び取って代わる。扉越しに男の怒りや義憤に満ちた顔が見える。こちらの胸の奥を見据えるその瞳。来訪して責め立てるに値する僕の罪。


 ふらふらと立ち上がって扉の前に立つ。ドアを叩かれる度に消し飛びそうになる精神をなんとか繋ぎとめてドアノブに手を掛けて開ける。


 目の前にいたのは知らない男だった。年の頃は40あたり……頭の禿げかかった中年だ。身なりの良さからそれなりに裕福なのがわかる。


「あの……何でしょうか」


 か細く消え入りそうな声でなんとか尋ねる。


「何でしょうかじゃないだろライトさんよお。あれだけの事をしといて日が変わったら全部忘れちまったのか?」


 男の詰問に震え上がる。もう全てが終わっていたのだ。言った事の白々しさに涙がにじみそうなほど恥じ入る気持ちでいっぱいになる。開けてすぐごめんなさいと叫ぶべきだったのに、何もかも失い続けてもうずっと取り返しがつかないままでいる。


「俺の店にあれだけの事をしといてよくもまあ呑気に家で寝ていられたもんだよなあ!」


「え?」


 突然関係ない事を言われて本気で何なのかわからなくなる。ノウィンの森に店などない。ステラが何かの店で働き始めたなんて話も聞かない。


 だがよくよく男の顔を観察して、はっと思い出した。彼は本屋の店長だ。一昨日僕が風魔法を使って荒らした店の店長じゃないか。


「まさか本気で図書券でどうにかなると思っちゃおるめーな? 被った損害分、きっちり弁償してもらおうか!」


「え、えっと……いくらですか?」


 提示された金額はとても今すぐには払えないものだった。とにかく蓄えていた硬貨を全て渡し、今日のところはこれで帰ってもらう事にする。生活費も全て消えてしまうが、なんとかなるだろう。


「いいか? 半分はもらったが、あともう半分必ず覚えとけよ! 迷惑料も込みで絶対に払ってもらうからな!」


「はい……すみませんでした……」


 本屋の店主は気持ち強めにバタンとドアを閉め、ざかざかと怒り肩を想像させる足音を響かせながら去っていった。

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