バリオンの町の噴水の外枠に腰かけて、ただ道行く人たちをぼーっと見つめていた。


 いつもと変わらず町で生活を続ける人々を見ると、先の事は何かの幻だったんじゃないかと思えてくる。森へ空へ山へとめまぐるしく移り変わっていく景色は夢が覚める前とよく似ていた。


 ステータスを開き確認してみる。聖魔法:999999。今のお前の甘い考えこそが夢なのだと突きつける容赦のない数字。そして目の端に映る力の強さは9999。


 視線を床へと振り下ろし、目をぐっとつむる。何故こんな事になったんだ。今朝なんて新しい力にワクワクしながらギルドを訪ねて退職してきた。希望に満ちたあの気持ちが今は遥か遠い昔のようだ。


 旅についていこうといった時、ステラは真剣に喜んでくれた。彼女が嬉しそうに笑っていた時、僕だってこれから始まる二人旅に思いを馳せていた。感動すらしていた、ふと気持ちが村に寄ったのはこのためだったのかと。「運命かもしれないな」なんて思ったその言葉、今は吐き気がするほど大嫌いだ。


 どうすればいい。何もかも全部ぶっ壊れた。壊したのが僕だ。他の誰にばれる事が無くても僕だけはそれを知っていて、その事がもう僕を元の僕に決して戻してはくれない。


 何故僕は逃げたのだろう。逃げなかったらせめてステラの前で泣くことくらいはできた。逃げれば、生き返らないにせよせめて僕がやった事実くらいは消えてくれるとでも思ったのだろうか。だけどそれにしたって、それにしたって馬鹿な事を。そりゃ他の人には僕がやった事なんてわからないだろうが。


「おい、ライト」


 突然の声掛けにびくりと身を震わせる。反射的に逃げ出してしまいたくなる謎の衝動を抑え込み、恐る恐る顔を上げる。


 そこにいたのはジョシュアだった。僕が所属していたパーティ『太陽の絆』の面々を引き連れて、怪訝そうな面持ちでこちらを見ている。


「やっぱライトじゃねーか。何してんだテメーこんなとこで」


「あ、あ……いや……」


 上手く言葉が出ない。こちらを見るジョシュア達の顔が見れず、また頭が勝手に下を向こうとしてしまう。


「なんじゃあ? 噴水で頭抱えて落ち込みすぎじゃろお前はぁ。最近元気になったって聞いとったがのう」


「ライトさんは繊細ですからね~! 誰かもうちょっと慰めてあげてくださいよほんと!」


 彼らに囲まれてあれこれ言われるこの状況が何故かすごく遠い懐かしいものに思える。僕は彼らと共に冒険する魔法戦士で、僕のユニークスキルは攻撃を完璧に防ぐイージスの盾で。夢を追ってBランクにまでなれたのをとても誇らしく思っていた。


「別に……ちょっと休んでいただけだよ。それじゃ」


 適当な言葉であしらいつつ立ち上がり、ふらふらとその場から歩き出す。今はだれにも会いたくないし何も聞かれたくない。とにかく家に帰れば誰も話し掛けてくる事なんて無いだろう。


「ちょっと待て、ライト」


 背後からジョシュアに声を掛けられ、心臓が跳ね上がる。振り向き、ジョシュアの顔を見るのに大分時間が掛かった。何で僕に呼びかけるんだ? なんでそんなに鋭くこちらを睨んでいる? パーティから追放したお前が僕に何か聞きたい事でもあるのか?


「てめーが使ってる武器をよこせ」


「は?」


 予想だにしなかった言葉に思わず間抜けな声が出る。


「は?じゃねーだろ。その炎の剣はもともとパーティのためにパーティの金で買ったもんだろうが」


 確かにこの剣はパーティの金で買った魔道具だ。炎魔法に適性のある僕と相性が良く、僕の攻撃性能を高める目的で導入された武器である。


「冒険者続けてんならともかく、聞けば最近はギルド職員やってるっつーじゃねーか。もはやお前に使わせてる理由なんてねーだろ、とっとと返せや」


「あ、ああ……わかった」


 拒絶する意味もないので素直に渡す。


「他には無いな?」


「ああ。じゃあな」


 目的を果たしたジョシュア達は踵を返し酒場へと歩いていく。その中でアナスタシアはちょっとこちらを振り返り、また速足に戻ってきた。


「あのさ、ライト……えっとまあ、なんていうか、ライトはただこのパーティに嵌らなかっただけっていうかさ。パズルのピースみたいなもんだよ、他にピッタリ嵌る場所があるの! だから元気出しなよ!」


 それだけ言ってまたパーティに戻っていく。用意していたようなセリフだなと思った。



 彼らが道の角を曲がったところで僕はまた噴水に腰かける。家に戻れば誰にも会わないと思っていたはずだがそちらに足が向くことはなかった。暗い静かな家に帰って明かりもつけずにうずくまっている自分を想像すると、今は雑踏の声に神経を集中していたい。目まぐるしく入れ替わる人波をただ見ていたかった。


 人が笑う。人が交差する。たくさんの人が町を歩いていく。たくさんの人が当たり前のように生活している。


 いつもの日常。いつもの日常。目に映る日常に脳を焼かれながらそれでもただそれを見続ける事しかできず、血に塗れた異物が広場にとどまりつづける。そのうち何かの間違いで自分も日常になれないだろうかと馬鹿みたいな期待を抱いて馬鹿みたいに無為に時間を捨て続ける。


 するとその目の前の日常の中にぼんやりと何か黒いものが混ざった気がした。目をこらしてよくよく見ると、一人の人間がこちらに気づいたように手を振って走り寄ってくる。あれは……彼女は、ギルドの受付のフィリアさん。肩に鳥が乗っているのは伝書鳩だ。その手には何枚か手紙を持っている。


「ライトさん……これ……」


 彼女は息を切らしながら、勤めて声の調子を整えて手紙を差し出す。


「ノウィンの勇者……ステラさんが……」


 見たくないものから逃げてもすぐ追いついてくるのは何故だろうか。僕と強く結びついて離れようとしないのは何故だろうか。それは彼女を繋ぎ止めてなんてくれなかったのに、ここに来て癪に障るくらい辺りを飛び回り続けている。


 その日、元冒険者ライトは村の勇者ステラの死を知ったのであった。

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