2021 -万聖節の夜の夢-

田中ざくれろ

2021 -万聖節の夜の夢-

 二〇二一年一〇月三一日。

 神奈川県川崎・ハロウィン。

 例年なら陽も沈んだ後もアフターパーティーとして色とりどりのコスプレの人達で盛り上がるこの路上イベントで、特殊警棒やスタンガンで武装した地元の暴走族の集団が歓楽していた見物客、参加客を襲った。

 増強されていた警察の警備をあざ笑うかのように集団で飛び込んできた騒音もデザインも下品な何十人ものバイク集団は、ハロウィンを楽しんでいた観衆を追い回し、イベントの出し物を破壊して、警備の者を襲った。

「カズヤ君!」

「ヤスミちゃん!」

 二人でチープなソンビー&ウィッチのコスプレをしていた僕とヤスミは、僕の眼の前で二つに引き裂かれた。

 逃げ惑う人達でパニックになった路上。二人の行く手を遮るかの様に急カーブしながら急停止した黒い大型バンは横手のサイドドアを開けて、中の下卑た男共が無理やりそこにいた女達の手を掴み、数人の少女達を中へと引きずり込んだ。地面に尻もちを着いた自分が伸ばした手が届くはずはなかった。ヤスミの手は僕の前で黒いドアを閉められ、急発進した黒いバンに拉致されてしまった。

 暴走族はそれがすむと一斉に埠頭の方へと逃走に移った。

 恐らく、全てが計画されていたこの集団犯罪は、皆がパニックで逃げ惑う内に警察車両を襲い、ナイフやバールの様な物でタイヤを狙ってパンクや破壊を行い、追撃を不可能にしていた。

 コスプレイヤーや見物人の悲鳴でいっぱいになったこの屋外パーティ会場で暴走族を追える者達はいなかった。。

 警察が無線で必死に増援を要請する。

 それすらが現場の無力の証しに思え、雑踏の中で必死に走る自分のこれほどまでに惨めに思えた事はなかった。

 遠くさらわれていく恋人の名を呼んだ。

 その時、僕の進路は再びふさがれた。

 身構えた。たとえ自分が無力だとしても。

 しかし、そのバイクは暴走族の様な下品なエンジン音をしていなかった。

 陽がすっかり暮れてLED街灯に照らし出された、その巨大なバイクはまさしくモンスターだった。アメリカンサイズと言われる物を想像してもまだ二回りは大きいだろう。

 メタリックで艶やかなブラックとシルバーを照り返す巨体は、とても重いエンジン音を低く鳴らし、アイドリングしていた。

 それはサイドカーだった。砲弾型の巨大な黒いサイドカーには大きな逆十字が飾られていた。

 ヘルメットをかぶっていない、黒いレザー製レーサースーツで身を固く引き絞った二人がそれに乗っていた。

 異形だった。

 バイクにまたがる者の身長は三mはあるのではないか。ボサボサの長髪は白髪交じりの麦藁色だが、まるでバイクの大馬力を無理やり押さえる為にあるのではないかと思える様ないかつい筋肉の塊だった。顔は傷だらけで様様な色の皮膚が継ぎはぎにされて輪郭も歪んでいた。醜く、しかし頼もしく引き締まっていた。

 サイドカーに乗る者の黒いレーサースーツは襟元が真紅にほぐれていた。三〇歳代の白い顔は超美形で、青黒い髪はガルスタイルを尖らせていた。上半身の筋肉はドライバーほどではないがそれでも身長は二mを超えていそうだ。魔人、という形容がよく似合った。

「ネームレス」サイドカーの男がライダーの名を呼ぶと、鋭い犬歯が輝いた。「その男を乗せていくのか」

「ドラキュラ」と物騒な名前でライダーはサイドカーの男に言葉を返した。その片眼ずつ色が違う小さな眼は俺を見ていた。「その男が恋人を取り戻したいと願う心は強い。その男と一緒なら追いつける」

 サイドカーのドラキュラは俺を見つめて、見極めをつけた様だ。

「なら、連れてけ」

「連れてく」

 一体、何が起こっているんだと混乱している内にネームレスの巨腕がハンドルを離れ、起重機の如く僕の襟足を掴んだ。それからネームレスの腕は軽軽と僕を空中に運び、自分の後部シートに乗せた。

「しっかり掴まれ」

 言ったドラキュラがサイドカー中に身を深く潜り込ませたと同時に、モンスターバイクのエンジンが重い駆動音を上げ、後部車輪が凄まじい音を立てて、一瞬空転した。

 僕は思わず、ネームレースの固い筋肉が浮き彫りになった背中にしがみついた。

 バイクは凄い音を立てて、急発進した。

 埠頭の方へと道路を走る。

 その接近に一般車は、ある者は急ハンドルを切り、ある者は急ブレーキを踏んだ。

 その進行方向にある信号は不思議と皆、青を点らせた。

 後部シートにしがみつく僕の腹の底を大型エンジン音を揺すった。

 凄まじいスピードだ。ここから落ちたら命はないと考え、必死にしがみついた。

 今、僕は何をしているんだ。

 二人の頼もしすぎそうな男のバイクにしがみつきながら、僕は軽く混乱していた。

 風が凄い。風景の光が溶ける様に後方へ流れていく。

 そうだ! ヤスミだ!

 彼女を暴走族から取り戻さなくては!

 しかし、追いつけるか。

 追いついたとしてどうやって。

 思考がそこまで巡った時点で、前方から下品なエンジン音の集団が近づいてきた。

 追いついた。

 背中の陰から前方を覗き込むと、風の中で下品なデザインのバイク集団があっという間に視界にアップになった。

 モンスターバイクは暴走族バイクの中心に突っ込んだ。

「何だ! このやろ!」

「ふざけやがって、喧嘩売ってんのか、てめえ!」

 暴走族のバイクは蛇行を始めた。

 馬鹿な奴らだ。このバイクの威容に恐怖を感じないのか。

 赤や青の派手なツナギの奴がチェーンで殴りかかり、直接足で蹴飛ばそうとする。

 チェーンで殴りかかられた先端をネームレスの片手に掴まれた。そのまま、大きく投げられるとそいつはチェーンを離さず、走るバイクごと転倒した。悲鳴が挙がるが、それを気にする者はいない。

 ただ、それを機に、暴走族達のアグレッシブさがヒートアップした。

「てめえ! このやろ! マッポの手先か!?」

 暴走族達が蛇行しながらこのバイクへの蹴りを繰り返す。

 特殊警棒や鉄パイプで車体を殴る。

 しかし、僕の乗っているバイクは微動だにしない。

 時折、正面でブレーキランプを点灯させるが、それでもこちらの速度が揺るがないのに自分から慌てて進路から退く。

 その内にこのバイクで一番目立つ部分、ライダーの背中にしがみついている僕を鉄パイプで殴ろうとするやつが現れた。しなる如く、鉄パイプの全力の一撃が僕の背中を覆う。

 ネームレスが背後を振り返りもせず、その鉄パイプを片手で掴んだ。そのまま、無造作に鉄パイプを持った奴ごと、いや、乗っているバイクごとそいつを宙へと軽く放り投げた。

 遠方で悲鳴とクラッシュ音。

 ここまで来て、奴らはようやく自分達が相手にしている者の異常さに気づき始めたみたいだ。

「別に傷一つつかないが、やられっぱなしというのも癪に障るな」

 そう言ってサイドカーのドラキュラがサイドカーから半身を起して、無造作に半開きにした片手を前に振った。

 すると前方にいた暴走族五台がまるで銃弾に撃たれた様にのけぞって、バイクを転倒させて道路に転がった。

 また、何も握っていない手を鋭く振る。

 今度も同時に射撃された様に暴走族の五台が高速の路上にひっくり返った。

 何故だろう。僕はドラキュラのやっている事が解った。彼は五本の指を鉤状に曲げ、その内側に小さく圧縮した空気の塊を弾丸の速度で投げつけているのだ。

 もう、これは人間技じゃない。人間じゃないのは感づいていたが、こいつらの人外ぶりは半端じゃない。

 見ている内に暴走増族の数はどんどん減り続け、中央で守られていた形の黒いバンのすぐ眼の前になった。

 黒いバンの後部ハッチが開いた。

 そこに立っていたのは両手を結束バンドで縛られたウィッチ姿のヤスミだった。中にはまだ数人の少女が数人の暴走族に見張られて、座らされてる様だ。

「ほいよ!」

 バンの中にいた裸の上に特攻服を羽織った暴走族が、ヤスミをバンから蹴り飛ばした。

 スピードの落ちない高速のバン。

 顔から路上にぶつかったヤスミの運命は……。

「うわぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 僕は叫んで無我夢中で動いていた。

 モンスターバイクのライダーを僕は蹴り飛ばし、無理やりその脇からバイクの前方へと跳んでいた。幾ら頑丈そうといえ、巨漢をを足蹴にして前へ跳ぶなんて、我ながら無茶もいいところだ。

 両手を固定された結束バンド。僕とヤスミが路面ギリギリの空中で互いの手を掴んだ。眼も合った。

 しかし、だからといって致命的な不幸が回避出来るわけじゃない。

 眼を固く閉じ、グラインダーで全身を削られるのを予想しながらせめて彼女の下に潜り込む僕を持っていたのは、固い地面とのハードキッスではなく、もっと柔らかな絹毛が広がったカーペットへの着地だった。

 衝撃も何もない。

 思わず眼を開けた僕は、二人の身体が地面すれすれに浮かぶ、黒くて平たい綺麗な黒い毛並みの絨毯の上に載っているのに気がついた。

 空飛ぶ魔法の高級絨毯だ。

 空飛ぶ絨毯は速やかに速度をゼロにしていた。何の抵抗もない。

「全く、人間という下賤な輩は。土足である事をせめて謝りたまえよ」僕達が路上に降り立つと絨毯は形を崩し、黒く小さな蝙蝠の大量の群は、ドラキュラの姿を大まかに形作り、やがてほころびを繕う様に完全なるその魔人の姿になった。「まあ、こういうガッツを見せてくれるから、我我も助けようという酔狂を起す気になれるんだが」ガルスタイルを崩さず、髪の尖りを爪の赤い指で正す。

 道路の彼方で物凄く大きく多重な急ブレーキの音。

 前方ではモンスターバイクは大型バンにとりつき、その力強い片手で黒い車体を歪むほどむんずと握りしめると、タイヤが猛烈な白煙を上げる急ブレーキをかけた。

 黒いバンもたまらずに急ブレーキをかけていた。後方のタイヤがバーストする。

 後方に開いたドアから特攻服の男がこぼれ落ちる。と、その顔面正面を岩塊のような拳が殴りつけている。血を吐きながら後方へ消えた。

 高速追撃戦は終わった。

 黒いバン前方の左右のドアが開くと、素肌にボア付きのジャージを羽織った二人の憎らし気な男が左右に逃げた。

 二人で別方向に逃げれば、どちらかは逃げられる。

 それが浅はかな考えだった。

 右に逃げた者の前に輪郭を黒くほぐして、速く飛ぶ黒いコウモリの群となったドラキュラが追いついた。あっという間に人の姿で立ちはだかる。

 男はドラキュラに、胸に飾っていた十字架のロザリオを突きつけた。

 それに対し、ドラキュラは出来の悪い生徒を眼の前にした様な呆れ顔をした。「最後に一つ教えておこう。信仰のこもってない装身具などただのカタチにすぎないのだよ」あの青白い繊手を野暮ったい首に巻きつけるとその五本の指が首深くに潜りこんだ。足先が地面を離れるまで持ち上げると、まるで何かを吸われる様にジャージ姿は激しく脈動し、どんどんと白く、干からびていった。

 左に逃げた者の逃走速度にはネームレスが十数歩、大股で大胆に走るだけで追いついた。

 ジャージの男は前方をふさぐ金網に跳びついてそれを上ろうとしていた。

 ネームレスはその男を金網から引きはがすのではなく、その金網に押しつけ、力任せに男の身体ごと押し破った。

 『高圧電流 危険!』

 そう看板に書かれた金網の中の機械に押しつけられた男は、青白く輝くスパークを放ちながら、きな臭く激しく痙攣した。そのスパークはネームレスの肉体深くまで食い込んだ。

 あまりに眩しすぎるスパークが男を機械から引きはがす事で止んだ時、ネームレスは満足した様に口から白煙と紫電を吐き、黒こげの死体を放り捨てた。

 黒いバンに残っていた暴走族の数人が、中の女性を放り出して逃げ出した。その死に物狂いっぷりには威勢などというものは微塵にもなかった。

「逃げられると思ったか」

 ドラキュラが何も握っていない手を振ると、逃げる四人の後頭部が軽い破裂音をさせてふきとんだ。

「終わった……」

 僕は全てが終わったと思い、ヤスミと二人で抱き合った。

 黒いバンから拉致された少女達が降りてくる。

 遠くから警察のサイレンの聞こえ始めた時、ドラキュラとネームレスの二人がバイクの所へ戻ってきた。

「ハロウィンの最期を無法の輩に汚されなくてすんだみたいだな」

 ドラキュラはそう言い、砲弾型の逆十字のサイドカーに乗り込んだ。

 ネームレスは長い脚をまたがらせてバイクに乗り込んだ。

「あの……」ただの無力な同乗者でしかなかった僕は、ヤスミと礼を言う。「ありがとうございます。……あの、何で僕達を助けてくれたのでしょうか」

「川崎の最後のハロウィンを無法の輩に蹂躙されたくなくてな。二四年も楽しませてくれて、有終の美にケチをつけられたくないいからな」

 ドラキュラが犬歯を輝かせた時、モンスターバイクが音低く、駆動音を吠えさせ始めた。

「ではな。さらばだ」

 二人の生粋のモンスターを乗せた巨大なサイドカーはUターンして、闇の中へと走り去っていった。

 拉致されてきた少女達は天への御霊となって、輝きながら空へと昇った。

 暴走族達は全員、地獄へ戻っていったに違いない。

 僕達は道路の真ん中に取り残されながら、何処か幸せな気分で抱きしめあっていた。


「そんな事、あるわけね~だろ! ふざけてんじゃね~よ、カズヤ!」」

 僕が耳にしているスマホから古い悪友の声が聞こえてくる。

「川崎のハロウィンは確かに今年で最後だが、イベント自体は去年に引き続いて開催されてねえんだ。例のCOVIDー19のせいでな」

 川崎に住んでいた悪友は事情に詳しかった。

 彼によれば一〇月三一日の最後の川崎ハロウィンでは、世界中で流行った伝染病の為に何の路上イベントも行われずコスプレパレードもなかったというのだ。

 だから勿論、不埒な暴走族達が市民を襲うなんて大事件は起きていないのだ。

 ネット、TV、新聞雑誌の類でもそんなニュースが流れた事など一秒も一行もない。ナッシングだ。

 そんな馬鹿な!?と俺は反論する。

 それではあの夜、じゃあ、ドラキュラとフランケンシュタインの怪物と一緒に暴走族を駆逐した騒動は何だったんだ。

 当事者である僕の体験は。

「だから、そんな事、あるわけね~だろ! ふざけてんじゃね~よ、カズヤ!」」

 悪友は言葉を繰り返した。

「変なクスリやってねーだろな! 警察が大騒ぎしたんなら大ニュースになってねーわけねえだろうが!」

 そうだ。それは確かにその通りだ。

 じゃあ、僕は……。

「それから大体、カズヤ……」悪友の声が急に大人しくなった。「……変な話だが、お前って生きてたの。俺が聞いた話じゃ、お前って去年、実家に帰った時に交通事故を起こして、恋人と一緒に死ん……」

 僕はスマホを切った。

 ハロウィン。死んだ人間が今生きている人間に会いに来るという万聖節の夜。

 あの日の夜の騒動は、生きていた人間のものではなかったのかもしれない。いや、そうなのだろう。

 生きている人間と死んでいた人間の夢と現実が混ざり合った幻想の……。

「ヤスミちゃん……」

 僕は恋人の肩を抱いた。

「カズヤ君……」

 恋人が確かに僕の名を呼ぶ。

 この世の未練が全て消え去った気がする。

 魂の記憶の最後にあんな騒動に立ち会った二人は幸せかもしれない。

 僕とヤスミの魂は固く抱き合い、一つになると、一筋の尾を曳いて、光り輝きながら天へと昇った。

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