障子の桜

 私の祖母はいわゆる”みえる人”であったようで、おばあちゃん子だった私は、様々な怖い話や不思議な話を聞かされて育ちました。

 そんな祖母の話。



─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…


 祖母の部屋の障子には、何かがひそんでいたという話です。


─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…


 今から八年前のことです。


 その日、次兄と私は祖母の部屋の色褪せた障子の前に、並んで立っていました。


「ま、ちゃっちゃっと片付けちゃいますか」

「了解」


 芝居がかったやりとりに苦笑いしつつ、私たちは人差し指を次々と目の前の障子に突き刺して行きました。

 ポスポスと軽い音を立てて穴が開いていくのが気持ちよく、普段はできないことに二十代も半ばの年齢のことを忘れ、ついつい夢中になってしまいます。


「程々にしてよ。穴だらけだと、剥ぎにくいんだから」

「はーい」


 母の釘刺しに、私たちは声を揃えました。


 さて。私たちは兄妹がいい年をして何をやっているのかというと、障子の張り替え前の、最後のひと遊びなのでした。「どーせ剥ぐんやけん、普段できんことしようや」という、次兄の誘いに乗ったのです。

 子どもっぽいことを、とは思いましたが、普段禁止されていることを思い切りやるのは、大人でも楽しいものです。後ろで呆れ顔をしていた母も最終的には参加して、数分もせずに障子は見事穴だらけになりました。


 気が済んでしまうと、今度は障子の桟に霧吹きで水を吹きかけていきます。十分に湿らせてから少し待つと、障子は面白いようにスルスルと剥がれていくのです。これも楽しく、次兄と私は競い合うように次々と障子を剥いでいきました。


「あんたたちが子どもで助かるわぁ」


 ほとんどの障子が桟だけになった頃、お茶の準備をした母が苦笑いしながら言いました。


「こんなんで、遊んでくれるなんてなぁ」

「案外楽しかったよ」


 そう答えながら、次兄と私はいそいそと腰を下ろして、お茶とお菓子に手を伸ばしました。


「そういえば、おばあちゃんの部屋の障子っち、張り替えるの初めてやない? なんで?」

「なんでっち、今度お客さんがようけ来るやろ。そんとき障子が色褪せて、おまけにあんなにツギハギだらけやったら、めんどしい《恥ずかしい》やん」


 母の言葉を聞いて、私たちは最後に一枚だけ残った障子に目をやりました。

 そこにある障子は、あちこちに桜の花がちりばめられていました。

 障子紙本来の透し模様、というわけではありません。一見きれいですが、その桜の花はすべて、障子に空いた穴を塞ぐためのものでした。


「あんたたちが遊びよって開けた穴ばっかりやろ」

「ばーちゃんおっちょこちょいやったけん、自分でもよう穴開けよったよ。やれ箒で突いたじゃ、よろけて指突っ込んだじゃ、っち」

「そうそう」

「でも、ほとんどはあんたらやろ。ようこの部屋で遊んだりお昼寝したり、しよったやん」


 両親が共働きだった私たち兄妹は、小さい頃は日中祖母に面倒を見てもらっていました。そのため祖母の部屋で過ごす時間も長く、障子は私たちのいいおもちゃでした。穴を開けるのはもちろん禁止されていましたが、わざとではなくてもちょっとしたことで、障子にはしょっちゅう大小の穴が開いていたものです。


 そんなとき、祖母は障子紙や和紙を器用に桜の形に切って、穴を塞いでいました。

 誰一人大人しいとはいえない子どもが三人もいて、いつしか祖母の部屋の障子は、桜の花だらけになってしまっていたのです。


 祖母の部屋で遊んだことをぼんやりと思い出していると、母がお茶を下げに台所に行ったのを見計らったように、次兄が言いました。


「この障子さ、ときどき変なモンが映りよらんかった?」

「…映りよった!」


 次兄の言葉に、その時の映像がぽんと思い出されました。

 縁側に面した障子には、天気のいい日などによく鳥や外を通る人影が映り、それがまるで映画のようで面白かったことを覚えています。ですがときどき、不思議なものも映ることがありました。


「オレはよく、魚が障子の中を泳ぎよんのを見たな。ばーちゃんは、庭の池の鯉の影が映ったんやっち言いよったけど、今思えばあり得んしな。あと、小人みたいなのがテクテク歩きよんのも見たなぁ。兄貴も、魚の影は見たことあるっち」


 私がよく見ていたのは、実体のないお客さんでした。ひとりで遊んでいると、障子に来客の影が映ります。大きく手招きをしていますが、なぜか何も言いません。なにやら対応するのがためらわれ、台所などにいる祖母を呼びに行っているうちにいなくなっている、というのがお決まりでした。

 そんなとき祖母は、「なんも言わんお客を気にせんでもいいやろ」と、障子に映る影について詳しく語ることはありませんでした。


「なんの話?」


 戻ってきた母に障子の不思議な影について話すと、母にも心当たりがあるようでした。


「おばあちゃんと一緒に住みだしてすぐの頃かな。何かの用事でこの部屋に入ったとき、障子にたくさん桜の花びらが舞っちょったの。もちろん本物じゃなくてよ。大きさも本物にしては大きかったし、向きも横向きが多くて、まるで目がようけ障子についちょるみたいで、ちょっと怖かったんよ。まばたきするみたいにチョコチョコ動くのもあったしな。あれはずっと、穴を塞ぐためにおばあちゃんが障子に貼ったんやと思っちょったけど、でもおかしいんよな。あのときはまだ、あんたたち誰も生まれてなかったんやから」


 私たちは顔を見合わせ、次いで一枚のみ残った障子を見やりました。

 障子にはたくさんの桜の花が踊っていましたが、それが動くことはなく、ましてなんの影も映ることはありません。


「ばーちゃんっち、ちょっと不思議なところがあったけんなぁ」


 次兄の言葉に、母も私も大きく頷きました。


 ”みえる人”であったことを知っているのは私だけで、祖母は家族にもそのことを隠していました。ですが、皆どこかで小さな違和感を感じることがあったのでしょう。

 少し不思議があったところで、私たちが今でも祖母を慕っているのは、変わらないのですが。


「さ、お話はおしまい。さっさと続きをしてしまわんと、いつまでたっても終わらんよ」

 

 母はパッと立ち上がると、すっかり腰が重たくなってしまった私たちを急かしました。


 このあとは今までの楽しい作業とは打って変わって、細い桟にのりをつけ、ずれないよう慎重に障子紙を貼り付けるという、地味で緊張を要する作業が待っています。次兄と私は揃ってため息をつきました。


 そのときです。


「ばあちゃんのためにせっかくみんな集まってくれるのに、これじゃめんどしい《恥ずかしい》で。早よせんと」


 そんな聞きなれた声が耳に届きました。


 思わず振り返りますが、そこには当然、声の主の姿はありません。気のせいかとも思いましたが、私はせっかちだった祖母に小さく呟きました。


「おばあちゃん、法事はまだ一ヶ月も先なんで」

「ん、なんか言った?」

「なんも。さ、にぃちゃんキリキリ働くんよー」


 偉そうに、と小突かれながら、私たちは祖母の一周忌の準備を再開したのでした。


─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…


 今現在、祖母の部屋の障子は以前のような桜模様に戻りつつあります。

 いたずら盛りの私の息子やその従兄弟たちが、遊びに来るたびに障子に穴を開けていくからです。

 大小の穴を桜の形に切った障子紙で塞ぎながら、私はその向こうに不思議な影がささないか目を凝らします。


 ですが、祖母がいないせいなのか私が大人になってしまったからなのか、子どもの頃に見た光景は目にすることはできません。


 そんなときはしかたなく心の中だけで、昔見た魚や客人や、花びらのような目、そして縁側で昼寝をする祖母の影を思い浮かべることにしています。

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