沈丁花の少年
私の祖母はいわゆる”みえる人”であったようで、おばあちゃん子だった私は、様々な怖い話や不思議な話を聞かされて育ちました。
そんな祖母から聞いた話。
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沈丁花の香りがすると思い出す、幼い頃に遊んだ、不思議な友達の話です。
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私が中学生の頃のことです。
私は小学生の頃から、通学路を守らない子どもでした。いつも、あちこちの道を探検がてら歩いて帰るのが常だったのです。
お気に入りだったのは、山裾の小道を通る帰り方でした。人気も街灯もなく通学路には不適な道でしたが、そこを通ると正規の通学路の半分の時間で帰ることができたのです。ですが、春になると野いちご、秋になるとアケビの実る場所があり、近道のつもりで通っても結局はいつもと同じ時間になってしまう、楽しい道でした。
両側を藪に挟まれた小道を抜けると、ポツポツと民家の姿が見えてきます。
この辺りは、偶然なのか誰かが広めたのか、沈丁花があちこちに植えられていました。庭先や門扉の傍、塀の隙間。そんな風にあちこちから、少し光沢のある緑色の葉が覗いています。
春先になると、低くて地味な樹形を挽回するように、すぐさまそれとわかる香りが、そこら中に広がりました。
ある日の午後、まだ明るい時間に私はその道を通っていました。その日は部活が休みで、早く帰ることができたのです。
季節は早春、あちこちで沈丁花が咲き、あたり一面に良い香りが漂っていました。日差しは暖かく木の芽は膨らみ、私はもうすぐやってくるであろう本格的な春を思い、ウキウキしながら歩いていました。
ふと、やや前方の道端で、うずくまって何かしている人が目に入りました。ポンポンのついたグレーの帽子には、見覚えがあります。
「おばあちゃーん」
この道は祖母の散歩コースだったなぁ、と思いながら、私は声をかけました。
祖母は驚いたように顔を上げ、私だとわかると大げさに胸を撫で下ろしました。
「あぁ、たまがった。サナちゃん、今帰りかえ?」
「うん」
「また、山の道通ってから。イノシシが出るで」
「こんな昼間から出らんちゃ」
不審者よりも、野生動物を心配するような土地柄と時代でした。
祖母の真似をして、私も隣にしゃがみこみました。祖母が何故そうしていたのか知っているからです。
道端には、小さなお堂がありました。壁はブロック、屋根はトタン、高さは1メートルもないような粗末なお堂で、中には石造りのお地蔵さんが二体入っています。素人が石を削って手作りしたような、ぼんやりとした顔のお地蔵さんです。赤い頭巾もよだれかけも、すっかり色褪せています。
ですが、このお堂にはいつも新しい花が飾られ、お供えのお菓子もしょっちゅう取り替えられていました。このあたりの年配の女性は、まるで自分たちの孫のように、この古びたお堂のお地蔵さんを可愛がっているのです。
目を閉じて手を合わせていると、ふとまた、沈丁花の香りが鼻をくすぐりました。薄目を開けると、お堂のすぐ脇で、白い手毬のような花が満開になっています。
すると、まるでその香りに呼ばれたように、頭の中にある映像が浮かんできました。それは子どもの頃、ここで何人かの友達と遊んだ記憶です。
七人の子どもたちが手をつなぎ、道路で花いちもんめをしています。私、ふたりの兄、次兄の同級生のアツキくん、あとの三人は、誰だったっけ…?
記憶の中には、お堂の横で私たちを見守る祖母の姿もありました。そこで私は、顔を上げて祖母に尋ねます。
「昔さ、ここでよく遊びよったっけ? そのとき、お兄ちゃんたちでもアツキくんでもない、知らん子がおらんかった? 今、なんか急に思い出したんやけど」
祖母は驚いた顔をして、「あんた、よう覚えちょったねぇ」と感心したように言いました。
そして、お地蔵さんのよだれかけを指差しました。
「ほら。ここにな、だいぶ掠れてしもうちょんけど、なんか書いてあるの、わかるかえ?」
「ん? あぁ、これ。汚れかと思った。なんち書いちょんの?」
「このお地蔵さんたちの名前と、亡くなった年。あんたが遊びよったのは、このお地蔵さんたちよ」
予想外の言葉に驚く私に、祖母はこのお堂とお地蔵さんの由来を話してくれたのでした。
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今はもう跡形もありませんが、四十年ほど前は、お堂の裏手には池がありました。自然にできたものではなく、火事の際に使われる防火用水として、人工的に作られた池でした。
この池に、ふたりの男の子が落ちて亡くなったことがあったそうです。
ふたりは兄弟でした。七歳の兄と、四歳の弟。池のすぐ近くに住み、しょっちゅうそのあたりで遊んでいました。小さいけれど活発な弟を、兄はよく世話していたそうです。
人工の池なので浅いところはなく、いきなり深く掘り込まれています。そのため一度落ちると子どもが自力で上がるのは難しく、池には危ないから近づかないようにと、普段から大人たちはうるさく言っていました。兄の方はそれがわかる年齢でしたから、弟の方が先に落ちて、それを兄が助けようとしたのではないか。そんな憶測が大人たちの間で立てられましたが、誰も見ていた者はおらず、真相はわかりません。
祖母はその頃、ちょうど私の父にあたる長男を身ごもっていました。そのため子どもたちの死が他人事とは思えず、とても恐ろしかったといいます。
子どもたちの家族、特に両親の悲しみは深く、池のすぐ近くにお堂を建て、小さなお地蔵さんをお祀りしました。母親は毎日欠かさずお参りし、お正月前には頭巾とよだれかけを、毎年新調していたそうです。
次第にこのお地蔵さんは、近所の女性たちからも、子どものお守りとしてお参りされるようになりました。
生まれてきた子の健やかな成長を。
あるいは、生まれてこられなかった子の、次の世での幸せを。
そんな願いを胸に、多くの女性がお参りに来ていたそうです。
事故から十数年が経った頃、例の池は埋め立てられました。近くに、事故の危険のない地下防火水槽が設置されたのです。
それまでも、池の周りには柵が巡らされ、子どもが間違って落ちることがないよう対策がされていました。それでも、池がなくなったことで安心したのか、亡くなった子どもたちの両親はそのすぐ後に家を離れました。亡くなった子どもたちの兄にあたる息子から、かねてより都会に出てきて一緒に住もうと誘われていたそうです。
出て行く際、母親が言いました。
「このお地蔵さまたちは、もう私の息子ではなく、みなさんにお祀りされて本当のお地蔵さまになった。連れて行くことはとてもできないが、どうか、毎年頭巾とよだれかけだけは、私に新調させてください」
その言葉通り、毎年年末になるとお堂の近所の家宛に、手作りの赤い頭巾とよだれかけが届くようになったそうです。
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「このお地蔵さんが、そんなやなんて、知らんかった…」
私は祖母の話にポツリと呟きました。
「昔は、ようお地蔵さんと子どもたちは一緒に遊びよったんよ。あんたたちもそうやし、あんたたちのお父さんたちもな。今はもうすっかりそんなの見らんごとなってしもうたけど。あんたが覚えちょって、ばあちゃんびっくりしたわ」
祖母はそう言って、「今はもう、このお地蔵さんに参る人も減ったけんなぁ」とため息をつきました。
「でも、むかぁしは、子どもはよう死ぬもんやったんよ。事故や怪我や病気なんかで、すぐにな。お腹の中でよう育たん子も多かった」
祖母は、お供えされた花の向きを整えながら、独り言のように言いました。
「今のごと、お参りせんでも子どもが健やかに育っちくれることは、いいことやねぇ」
いいこと、と言いながらも、祖母の顔は少し寂しげで、それを見なかったふりをしようと私は話題を変えました。
「ところで、この頭巾とよだれかけ、かなり色褪せちょんやん。新しいの、来よらんの?」
先ほどの祖母の話では、子どもたちの母親が毎年新調しているはずなのですが、目の前にあるそれらは、もう何年も取り替えられていないことが明白でした。色褪せ、汚れ、あちこち擦り切れています。
「それなぁ。何年か前に、おかあさん亡くなったんやっち」
「…それなら、誰かが作り直してあげんと」
「いや、それがな」
そこで、祖母はなぜか小さく笑いました。
「近所ん人もばあちゃんも、みんな新しいのを作っちあげたんで。ところが、作っても作っても、気に入らんとお堂の外に放り出されるの。やっぱり、おかあさんが作ったものがいいんやなぁ。いくつになっても、子は子、親は親なんやなぁ」
みんなにお参りされるお地蔵さんの子どもっぽい一面に、私も祖母につられて笑ったのでした。
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あれから、二十年近くが経ちます。沈丁花の香りを嗅ぐと、今でもあのときの祖母との会話を思い出します。
実はあのとき、訊き損ねたことがありました。幼い頃の記憶の中で、見知らぬ子どもは三人いたのです。ふたりはお地蔵さんだとして、男か女かも思い出せないもうひとりは、誰なのでしょう。
後年になって改めて祖母にそれを尋ねると、「よう覚えちょってくれたなぁ」となぜか嬉しそうに笑うだけで、教えてはくれませんでした。
ですがポツリと一言
「あんたに、そう遠くはない人よ」
と、意味深に呟いて。
祖母の言葉の意味は、当時はともかく今となっては想像に難くありません。
ですが祖母は亡くなり、真実はわからずじまいです。きっと、無理に暴く必要もないのでしょう。
あのお堂は今もあり、誰がお参りしているのか、お花もお菓子もいつも新しくお供えされています。
色褪せた頭巾とよだれかけは、不思議なことに二十年前と変わらないままです。お地蔵さんたちは、どうしてもそれを手放したくないのかもしれません。
散歩中、ついついそこを素通りしてしまう私は、いつも一緒に歩く息子に「ダメよ!」と叱られます。そして、子どもに倣ってお堂の前で手を合わせます。
沈丁花の香りの中で一緒に遊んだ、懐かしい友だちを思い出しながら。
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