しみついている

 私の祖母はいわゆる”みえる人”であったようで、おばあちゃん子だった私は、様々な怖い話や不思議な話を聞かされて育ちました。

 そんな祖母から聞いた話。



─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…


 人は死んだらどうなるのか。

 そんな素朴で深遠な疑問に、祖母なりの答えを出してくれた話です。


─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…


「ねぇねぇ人っち、死んだらどこ行くん?」


 ある日の昼下がり、洗濯物をたたむ祖母に私は尋ねました。


 突然すぎる質問に祖母は面食らっていましたが、やがて「あの世に行くんやわ」と簡単に答えました。

 ですがその日の私は、そんなありきたりの答えを聞きたかったわけではないのです。


「でもさ、幽霊っちお盆以外でも見えるんやろ? じゃあ、あの世に行かん幽霊もおるっちことやろ? それっちどういうことなん?」

「あの世に行かんっちいうことは、決まりを破るっちことやから、それは幽霊の不良なんやろ」

「あぁ、不良やけん、悪霊っちことか…」


 納得しかけましたが、まだまだ聞きたいことはありました。


「でも、悪くない幽霊もおるんやろ? 子どもを心配して出てくる、みたいな」


 祖母は呆れたようにため息をつきました。


「あんた、変なテレビ観たんやろ」


 その通り。実は前日、心霊特番を観たのです。

「こんなんウソやろ」と強がる長兄と、とにかく「こえー」を連発する次兄に並んで、私にはそんな疑問が生まれたのでした。


「ねぇ、お盆でもなくて不良でもないのに、幽霊が出るのっちなんで?」

「ばぁちゃん知らんよ。幽霊になったことねぇもん」

「でもおばあちゃん、見えるんやろ?」


 私の言葉に、祖母の顔は少し険しくなりました。


 祖母は、自分が「みえる」ことを他言したがりませんでした。知っていたのはおそらく私だけで、それもたまたま知ってしまったのです。あまり触れてはいけない領域なのだと、子どもながらに感じていました。


 怒られるかと身構えましたが、祖母はやれやれとため息を漏らしただけでした。


「みえるからっち、なんでもわかるわけやないの。あんただって、町で見かける人のこと、なんでもわかるわけねぇやろ。それと一緒よ」

「うん…」


 わかりやすい例えでそう諭すと、祖母は洗濯物をたたむ作業に戻りました。


 本当は、テレビに出る心霊現象は本物なのか、それも尋ねたかったのですが。今日はそんな雰囲気じゃないな、そう思ったときです。


「ああ、でも…」


 祖母ふと、思い出したようにそう言いました。


「ばあちゃん昔、人が亡くなったら、こうなるんかなっちいうのを、みたことあるわ」

「え、なになに!?」

「サナちゃんのお父さんが、まだ生まれたばっかりの頃やったかなぁ」


 祖母はそうして、洗濯物をたたむ手は止めないままで、話しはじめました。


─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…


 当時祖母が住んでいた家の裏手には、老夫婦が住む家があったそうです。


 気のいいおじいさんおばあさんでしたが、おばあさんの方はとても口の軽い方で、「あの人に内緒話をしたら、次の日には三軒先まで知られちょん」と近所で有名だったとか。

 口が軽い上に詮索好きのため、祖母の姑からは嫌われており、祖母は「あん人に、世間話以外はすることならんで」とうるさく言われていたそうです。


 姑に言われるまでもなく、祖母もこのおばあさんが少し苦手でした。


 祖母の家の隣には、おばあさんの畑がありました。毎日の食事に使う野菜を育てていた小さな畑で、おばあさんは朝の味噌汁に入れる野菜を、毎日その日に採りに行っていたそうです。

 それだけならなんの問題もないのですが、その帰りに、いつもひょいと祖母の家を覗いていくのです。そして日中会ったときに、「今朝は赤ちゃんがよう泣きよったなぁ」とか、「ニワトリが一羽、元気がねぇごとあるで」などと話題にするのでした。


 おばあさんには悪気はないのでしょうが、まるで見張られているようで、いい気分はしなかったといいます。


 そんなおばあさんでしたが、ある日ポックリと亡くなりました。朝はいつものように畑に出ていたのに、夕方倒れてそのままだったそうです。

 祖母は、近所の知り合いが亡くなった寂しさと、もうこれで毎朝覗かれなくてもいいという安堵で、複雑な気分だったそうです。


 ところが、葬式の次の朝、ニワトリの餌やりに出た祖母は目を疑いました。


 あのおばあさんが、いつものように畑に出ているのです。


 おばあさんは、ほうれん草を植えているあたりにしゃがみ込み収穫をする仕草をすると、実際には何もとることなく立ち上がりました。そして家に向かう途中で、当たり前のようにひょいと祖母の家を覗き込んで、帰って行きました。

 祖母は怖いというより呆気にとられて、その様子を見ていたといいます。


 次の日もその次の日も、おばあさんは畑に現れ、生きていたときと同じ仕草を繰り返していたそうです。

 ですが、その体はだんだん薄くみえづらくなっていき、一週間も経つ頃には、向こう側が完全に透けていたといいます。そして、十日目にはみえなくなってしまいました。


「それっち、おばあさんがすぐにあの世に行かんかったっちこと?」

「そうやなかろう。あのおばあさんは確かにおしゃべりやったけど、不良になるほど悪い人ではなかったけん」


 たたみ終わった洗濯物をカゴに入れながら、祖母は続けます。


「あれはなんやったのか、ばあちゃんも暫く考えたんやけどな…。あのおばあさん、毎日毎日畑に出て野菜とって、ついでにうちを覗き込んで、っちしよったけん、それがもうしみついてしまったんやねぇかなぁ」

「しみつくって、どこに?」

「そこかしこに」


 わけがわからず首をかしげる私に、祖母は重ねて言います。


「毎日車が通る道には、タイヤの跡が残るやろ。そしたら、通っちねぇでも、あぁ車が通るんやなっちわかるやん。それと一緒で、毎日毎日同じことをしよったら、その人の跡がそこにしみつくんやねぇんかな。この人が生きちょったら、こうしたやろうっちいうことがな。ばあちゃんは畑でしかみらんかったけど、もしかしたら他のところでも、おばあさんがしよったことが、みえたかもしれんなぁ」

「じゃあ、なんで見えなくなったの?」

「しみになる大元がおらんくなったけん、少しずつ薄まったんやろ」


 わかるような、わからないような。

 私は首をもう一度ひねります。


「じゃあ、おばあちゃんは他の人もしみついちょんの、見たことあるん?」


 すると祖母はにっこり笑いました。


「ない」

「え、ないん…?」


 そして大きな声で笑いながら、


「だから言ったやろ、なんでもわかるわけないんよ」


 と、この話を締めくくったのでした。


─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…


 長じてこの話を思い出すたびに、祖母に担がれただけなのかな、と思うようになっていました。しつこく質問してくる私を、からかったのかなと。


 ですがある日、祖母はやはり真実を言っていたのだろうと、思い直す出来事がありました。よくわからなかった「しみつく」という意味も、このとき腑に落ちた気がします。


 それは、私がもう大人と言える年齢に成長した、ある秋の昼下がりのことです。


 自宅の庭で犬と遊んでいると、どこからか救急車のサイレンが聞こえてきました。

 高齢化の進む田舎ですから、救急車など珍しくはないのですが、それがだんだん近づいてくると話は別です。サイレンに興奮する愛犬をなだめながら様子を伺っていると、救急車は隣の家の手前で停まりました。


 隣家には、ご夫婦が二人で住んでいました。子どもの頃からの慣いで「おじさん、おばさん」と呼んでいましたが、もう八十歳近い高齢のご夫婦でした。おばさんは、元気で活動的な方と近所でも評判だったのですが、おじさんの方は長く癌を患い、入退院を繰り返していました。


 おじさんが悪いんだろうか。そう思いながら見守っていると、救急隊員が降りてきました。隣家は車の通る道から少し入ったところにあり、救急車のような大きい車は入っていけないのです。

 救急隊員が小道を進むのと同時に、家の方から誰かが誘導のため出てきました。てっきりおばさんかと思ったのですが、


「あれ? おじさん元気やん」


 私の心情を代弁したのは、サイレンにつられて庭に出てきた長兄でした。

 その言葉の通り、しっかりとした足取りで救急隊員を誘導していたのは、入退院を繰り返しているはずのおじさんだったのです。


「ちゅうことは、悪ぃのはおばさんの方なん?」

「昨日は、普通にウォーキングしよったんやけどなぁ」


 長兄と言いあっているうちに、隊員たちはおじさんの導きで家の中に入り、やがて今度はストレッチャーを押しながら出てきました。誰が横たわっているのかは、当然ながら見えません。

 しかし、隊員の後ろを心配そうな顔で追いかけ、一緒に救急車に乗り込むおばさんの姿を見つけ、私たちは顔を見合わせました。


「おばさん、元気やん…」


 慌ただしくサイレンを鳴らして出発する救急車を見送りながら、長兄がポツリと呟きます。それはまたしても、私の心情と重なっていました。


 よくわからない気持ちを抱えたまま、その後私は用事があって出かけたのですが、夜になって帰ってくると、隣家の入り口にはお通夜の看板が出ていました。


 看板に書かれていたのは、おじさんの名前でした。


 驚きと、一方でやはりという気持ちを抱えながら、家にいた母に詳細を聞きました。

 母曰く、「最期は家で迎えたい」と病院から一時帰宅をしていたおじさんでしたが、昼過ぎに容体が急変し、救急車が呼ばれたのです。そして、搬送先の病院で死亡が確認されたそうです。


「でも、私とお兄ちゃん、おじさんが救急車誘導しよんの見たんやけど。ほら、あの家入り口が狭いやん」

「見間違いやろ。おじさん、運ばれるときはもう意識がなかったっちいうし。大体、あっこの家は何回か救急車呼んで救急隊も慣れちょんから、今更誘導なんていらんはずよ」


 長兄にも確認したかったのですが、あいにくその日は夜勤で不在でした。しかし、彼は現実的な性格ですから、きっと母の見間違い説を採用するでしょう。


 ふとそのとき、子どもの頃に祖母に聞いた話を思い出したのです。

 生きていた間の行動が、そこかしこに「しみつく」という話を。


 隣家のおじさんは、小学校の校長や地区の役員を務めたこともある、大変責任感の強い人でした。「自分のことは自分で」が口癖で、退職後も身体を壊すまでは、雨の日も風の日も、近所の子どものために交通指導に立ってくれていました。

 そんなおじさんでしたから、自分の家に来た救急車を誘導するのは当然と、その姿が入り口の小道にしみついていたのではないでしょうか。


 そこまで考えたとき、不謹慎ながら、私は小さな興奮に包まれていました。ついに私にも見えた! という気持ちと、長年謎だった祖母の言葉が腑に落ちた! という思いでです。


 これは、おばあちゃんに報告せねば!


 夜だというのに大慌てで祖母の部屋の引き戸を開けた私は、一瞬のうちに落胆してしまいました。


 祖母は、すでに二年前に亡くなっていたのです。


 主人をなくした部屋は暗く広く、静寂だけが漂っていました。


「……隣のおじさんじゃなくて、おばあちゃんがしみついてるのが、見えるべきやん。こういう場合…」


 呟いても、当然どこにも祖母の姿は見えません。そもそも祖母の話だと、祖母のしみつきはとっくに薄まって消えてしまっているはずでした。


「やっぱり、私にはわからんのやなぁ」


 祖母の口癖を真似しながらゆっくりと戸を閉めます。つい先ほどまでの興奮は霧散していました。


 ただ、昼間見たおじさんの姿。あれだけは、どうしても見間違いとは思えませんでした。

 あの、背筋を伸ばしてキビキビと隊員を誘導する姿は、元気だった頃のおじさんそのままだったからです。


─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…


 隣家のおじさんの死後から数年が経ちますが、当然それ以降、私はおじさんの姿を見てはいません。

 あのとき見た救急隊を誘導する姿が、祖母が言っていた「しみついて」いた姿だったのかどうかも、結局わからないままです。


 冬の暖かい日などに、うたたねをする祖母の姿がしみついていないかどうか、縁側で目を凝らしたこともありましたが、見えたためしもありません。


 ですがときどき、私が死んだらどんな姿がしみつくのだろう、と考えることはあります。

 そんなときはいつも、恥ずかしい姿がしみつかないように、と日々の生活を見直すのでした。

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