祖母の神様

 私の祖母はいわゆる”みえる人”であったようで、おばあちゃん子だった私は、様々な怖い話や不思議な話を聞かされて育ちました。


 そんな祖母から聞いた話。



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 祖母はよく、「うちには神さまがいるんよ」と話してくれました。


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  我が家は特定の宗教を信仰していたわけではないので、ごく一般の家庭でそうであるように、仏壇と神棚が並んで鎮座していました。

 そこの管理は祖母の仕事で、毎朝、仏壇には炊きたてのご飯とお水を、神棚にはお水と季節の果物をお供えしていました。


 小学生の頃の私はよく、お供え物をする祖母に同伴していました。それは信仰心からではなく、神棚に供えた果物は、二、三日して下げられると、私たち子どもの口に入ったからです。私は、二人の兄を出し抜いておやつにありつこうという、小狡い子どもでした。

 子供心に自分のズルさは自覚していましたが、祖母はなにを勘違いしたのか私の同伴をいつも喜び、時にはお供えとは別のお菓子を、ご褒美と言ってくれることもありました。


「サナちゃんは偉いねぇ。神さまも喜んじょんよ」


 そうやって褒められるたび、かすかな後ろめたさと、純粋な嬉しさを感じていました。


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「サナちゃんは、梨が好きやねぇ。神さまと一緒やわ」


  小学四年生のある日、いつものようにお供えに同伴していた私は、唐突にそう言われました。


「神さまっち、梨が好きなん?」

「そりゃそうよ。あんなに飛びついて喜んじょんやろ」

「え、なにそれ」


 ごく当たり前のようにそう言う祖母に、私は困惑しました。そんな私を見て、祖母は驚きと「しまった」が混じり合った表情をしながら、


「ありゃ。あんた、みえんのかえ…」


 そう呟いたのでした。


 祖母はそれ以上のことを話したがりませんでしたが、なんだなんだと詰め寄る私に根負けし、「誰にも内緒よ」と前置きをして、「神さま」の話をしてくれたのです。


 祖母の言う神さまとは、一般的にお祀りされている名前のついた神さまではなく、祖母の家を昔から守ってくれていた存在のことのようでした。

 祖母がこの家にお嫁に来た時に、実家からついて来てくれて、それ以降ずっと我が家を守ってくれているそうです。


 姿は稚児行列の格好をした男の子で、背丈は梨ほどの大きさ。だから、大好物の梨に喜んで飛びつくというのは比喩でもなんでもなく、本当に両手両足を使って梨に抱きついているのだとか。


 祖母から聞いたその話は、私の中でおとぎ話の小人と完全に一致しました。

 是非その姿を見てみたい! と祖母に懇願しましたが、「みえんもんをみえるようにするんは、そりゃばぁちゃんでも無理よ」とあっさり断られてしまいました。


「じゃあなんでおばあちゃんには見えるん?」


 と食い下がりましたが、祖母は何故自分に神さまの姿がみえるのか、理由はよくわからないようでした。

 私は、どうしても目にすることはできないのだと、かなり悔しがった覚えがあります。


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 祖母は二十二歳でこの家に嫁いでくるまで、隣町の農家の娘でした。

 神さまは、祖母が物心ついたときから、祖母の家の神棚にいたそうです。

 その頃の神さまは、服装こそ同じ稚児姿であったものの、大きさは大人の膝くらいまであったといいます。


 祖母には当たり前のように神さまの姿がみえていましたが、他の兄弟や両親にはみえていないようでした。ただ、祖母の祖母、つまり私の高祖母にあたる人には、祖母と同じものがみえていたそうです。


 当時神棚の管理は高祖母の仕事でしたが、祖母に神さまの姿がみえていることを知った高祖母は、そのお世話の仕方を祖母に仕込んでいきました。

 祖母もまた、自分の祖母から神様のことを教わったのです。


 神さまには、毎日新しいお水を差し上げること。

 花が好きだから、季節の花もなるべく毎日お供えすること。

 一方お酒は嫌いだから、神棚には近づけないようにすること。大人になってお酒を飲めるようになっても、なるべく飲み過ぎないこと。

 誰かからいただいたものは、必ず最初にお見せすること。

 神さまが嫌う、人を傷つけたり、盗むようなことは、決してしないこと。


 大人が子どもに躾ける当たり前のようなことですが、高祖母から言われたことを祖母はよく守り、十歳前に高祖母が亡くなってからは、祖母が代わって神さまのお世話を担うようになりました。


 毎朝、ニワトリにエサをやる前に神さまにお水を差し上げ、遊びからの帰り道に季節の花が咲いていれば摘んで帰る。近所の人や親戚から珍しくお菓子などをいただいたときは、一番に神棚にお供えする。


 あるとき、お正月用にといただいたお古の晴れ着をお見せしたときは、目を細めてウンウンと嬉しそうに頷いてくれたそうです。

 そんなとき、神さまは子どもの姿をしていても、まるで百年を生きた老人のように思えたといいます。


 神さまは、残念ながら福の神や座敷わらしではないので、家を裕福にしてくれることはありませんでした。

 ただ、家族が大きな怪我や病気をすることなく、先の戦争に取られることもなかったのは、この神さまのおかげだといいます。


 神さまはいつも神棚にいるわけではなく、家の中ならばあちこち移動できるようでした。天気のいい日に縁側で布団を干していると、その上でゴロゴロ寝っ転がっていたり、よく台所の梁の上で食事の支度を眺めていたそうです。特に山芋を擦っているときは必ずやって来て、その様子を興味深そうに見つめていたとか。


 ただ、家の敷地の外には出られないようで、庭に植えていた松の枝に腰掛けていることはあっても、それから先に出て行くことはなかったそうです。


 高祖母が亡くなってから十年近くが経った頃、祖母に結婚の話が持ち上がりました。


 当時の結婚というのは見合いですらなく、ほとんどが親同士の話し合いで決まっていました。多くの場合、結婚の話が来た時点で、嫁入り先は決まっていたそうです。

 祖母の場合もそれは同じで、祖母はもう決定事項として結婚の話を聞いたのでした。


 結婚式のひと月ほど前に、結婚相手が仲人とともに祖母の家を訪れました。ですが祖母と会うためではなく、祖母の父に挨拶と結納金の話し合いに来たのです。

 祖母は母に「顔をしっかり見といでよ!」と励まされて、話し合いの場にお茶を出しました。


 初めて見た結婚相手は、なんだかムスッと気難しそうな顔をしていました。落ち着いているといえば聞こえはいいですが、祖母と同い年とは思えないほど老けて見えたそうです。


 がっかりした祖母は、その足で神棚に向かいました。

 ため息をついて神棚を見上げると、神さまは思いの外、目を細めて頷いていました。昔、いただきものの晴れ着をお見せしたときと、同じ表情をしていたのです。

 それを見た時、祖母はなんだか安心して、結婚する覚悟ができたといいます。


 ところが、いよいよ明日が結婚式という夜、祖母の夢の中に神さまが姿を現したそうです。


 そんなことは今までなかったので祖母は夢の中で驚きましたが、神さまが口を開いたのでもっと驚きました。

 神さまは、今まで祖母たちを文字通り見守るばかりで、何か語りかけるということはなかったからです。


「今までこの家を守って来たが、わしはお前の代でこの家を離れようと思う」


 神さまは唐突にそう言ったそうです。


 祖母は慌てました。寝る前に、自分は明日から別の家に嫁ぐが、これからも変わらずこの家を守ってください、とお願いしたばかりだったからです。

 何か粗相があったのかとお詫びしようとしましたが、夢の中ではなぜか喋ることができなかったそうです。

 言葉を出せずにもどかしげな祖母をよそに、神さまは続けました。


「この家にはもう、わしのことを世話してくれる者はいなくなる。だから、お前について行って、彼方の家で世話をしてもらうことにした」

「しかし、それでは今まで世話をしてくれたこの家の者たちに不憫だから、半分は此方、半分は彼方に行くことにする」

「それに、わしはタカシは好かん。大酒を飲むからの。あれは家を潰す」


 神様はそれだけ言うと、すっと姿を消したそうです。


 祖母は目が覚めてすぐに神棚に行きましたが、そこにいつもいるはずの神さまの姿はありませんでした。

 嫌な予感がしました。タカシは祖母の長兄の名前で、今は出稼ぎのため家を離れていましたが、ゆくゆくは家を継ぐ予定でした。そして、家族も呆れるくらいの酒好きだったのです。


 しかし、嫌な予感はしたものの、当時の祖母にできることはありませんでした。


 いつものように神さまにお水を差し上げると、あとは母や近所の女性たちの手で、あれよあれよというまに花嫁に仕立てられ、昼前には生まれ育った実家を後にしました。

 家を出るそのときまで、神さまは姿を見せてはくれなかったそうです。


 隣町の嫁ぎ先までは、汽車に乗って二十分ほどでした。

 海岸線を汽車に揺られながら、祖母は婚礼衣装の裾が汚れないかどうかと、夢の中で神さまが言っていた「半分此方で、半分は彼方」という言葉がどういう意味なのか、気になっていたそうです。


 汽車を降りると、目的地までは五十メートルほどの一本道でした。ですが、そこで祖母は嫁いで最初の試練に遭遇します。


 それは、水路に掛けられた一本橋でした。

 丸太といってもおかしくないほどのお粗末な橋に、慣れない衣装の祖母は足がすくんでしまったそうです。前からは母が、後ろからは介添人の叔母が早く早くと急かしますが、余計に足がすくんでしまいます。

 とても渡れないと目をつぶったとき、何かが着物の裾を小さく引きました。思わず目を開けると、そこには梨ほどの大きさに縮んだ神さまが、先導するように祖母の前に立っていたそうです。


 そのときに、祖母は「半分此方で、半分彼方」の意味を理解したといいます。


 ああこれで、私も実家も大丈夫だ。そう思った祖母は、無事に橋を渡って嫁ぎ先にたどり着き、祖父と結婚したのです。


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 以来ずっと、祖母はこの家で神さまのお世話をし続けてきました。


 神さまは祖母の家にいた時と同じく、家の中をウロウロしたり、日当たりのいい縁側で昼寝をしたりと、好きなように過ごしているそうです。


 神さまは、今までと同じように家を裕福にしてくれることなどはありませんでしたが、やはり家族の誰一人大きな病気をすることなく、三人の息子たちは元気に成長しました。

 

 ただ、よく祖母に嫌味を言っていた姑は、結婚後原因不明の腰痛を訴えることが時々あったそうです。

 ですが、七十過ぎまで元気で、腰痛とは関係ない病気でコロッと亡くなったそうなので、神さまとはきっと関係ないのでしょう。


 祖母は里帰りをするたびに実家で神さまの姿を探したそうですが、そこで神さまの姿をみることはもうなかったそうです。ですが、神さまが言った「半分此方、半分彼方」という言葉を信じ、あの家を今も神さまが守ってくれていると安心しています。


 祖母が心配していた長兄のタカシですが、酒好きがたたり若くして亡くなりました。ですが、その頃には結婚して子どももおり、家が絶えるということはなかったようです。


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「それ、ほんとの話なん?」


 祖母が語り終えたとき、私は思わず聞いてしまいました。


 まるで児童書の一つであるような祖母の半生が、にわかには信じ難かったのです。


「サナちゃんがみえんのなら、まぁ信じられん話ではあるなぁ」


 祖母は、少し寂しそうに言いました。


「でもばあちゃんは、神さまがおることを知っとるから、嘘とは言えん。サナちゃんが自分で、本当かどうか考えよ」


 祖母はきっと、「みえている私」と、神さまについて色々語り合いたかったのでしょう。その口ぶりから、今までそのような話ができる人はいなかったのだと思わせました。

 話題を共有できないことを申し訳なく思う反面、気になることもありました。


「おばあちゃんは、なんで私が、神さまのこと見えると思ってたん? 見えないって知って驚いてたやろ」

「…ばあちゃんは、ばあちゃんのばあちゃんから、神さまのこと教わったっち、言ったやろ」

「うん」

「ばあちゃんのばあちゃんはな、男兄弟がおらんで、婿をとって家を継いだんよ」

「うん…?」

「で、そのばあちゃんは、自分のじいちゃんのお姉さんから、神様のことを教わったんち。そのお姉さんちいう人は、結婚せんでずっと家におっちょったんやと」

「はぁ……?」

「つまりな、神さまがみえるのは、ばあちゃんの実家の血を継いだ女だけで、しかもひとつ飛ばしに伝わっちょんのよね。だからばあちゃん、あんたはみえるもんと思っちょったんやけどねぇ」


 祖母の話を整理すると、こういうことのようです。


 神さまの姿がみえるのは、祖母の家の血筋の女性だけ。しかも、その力は二世代ごとに伝わっているらしい。(祖母←高祖母←高祖母の大叔母)だから、祖母は孫である私がみえるものと思い込んでいたのです。


 確かに、現在祖母の実家に住んでいる孫世代は男の子ばかり、祖母の直系の孫たちも、私を除けばみんな男の子でした。


「まぁ、ばあちゃんには姉さんも妹もおって、なんでばあちゃんだけにみえるんかは、結局わからんのやけどな」

「ふーん。…他に見える人がおったらよかったのにね」

「そこでよ。ばあちゃん、思いついたんやけど」


 祖母は急に、目を輝かせて言いました。


「サナちゃんに子どもが生まれたらさ、その子がみえるようにならんかな? ひとつ飛ばしがふたつ飛ばしになったんよ」

「何を急に…」

「やけんあんた、はよ結婚しなさい。それで、ばぁちゃんにひ孫の顔見せてな。神さまのこと教えちゃりたいけん」

「おばあちゃん、私まだ四年生なんやけど」


 祖母は私の話など聞かず、「長生きせんと!」と早くも張り切って笑っていました。


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 これが、祖母から聞いた「神さま」の話です。もう、二十年以上前のことです。


 私は現在結婚し、実家のすぐ近くに住んでいます。実家に帰るたびに、季節の果物を神棚にお供えしているのですが、そんな時はいつも、隣で三歳になる息子が一緒に手を合わせています。


 ひ孫の誕生を楽しみにしていた祖母ですが、私の花嫁姿も見ることなく、亡くなってしまいました。


 現在神棚の管理は、母の仕事になっています。ですが、母は当然神さまの姿は見えませんし、存在すら知りません。神棚には、季節を問わず手に入りやすいバナナがよくお供えされています。


 祖母がいなくなった今、我が家に神さまにまだいるのか、私にはもうわかりません。「世話をしてくれる者」がいなくなり、どこかに行かれてしまったかもしれません。

 わからないけれど、私は秋になったらいつも、梨をお供えするよう心がけています。


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 先日、一緒に手を合わせていた息子が、「ちっちゃい子が、梨食べてるねぇ」と機嫌よく言いました。


 ですが、夢と現実の区別も曖昧な年頃ですし、そもそも彼は祖母が期待した女の子ではないので、きっとなんでもないのでしょう。

 

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