第33話「暗躍する者たち」





 束の間とは言え平和が訪れはしたのだが、それは必ずしも帝国と連邦の関係改善を意味してはいなかった。

 単にお互いに「疲れたからちょっと休憩」となっているだけの話である。

 ローリーとヴェルミクルム傭兵団という怪物たちがもたらした、まさに束の間の平和であった。


 そうなってくると、かえって忙しくなるのが情報部、いわゆるスパイ部隊であった。

 相手国はきちんと休戦協定を守っているのか、次回の交渉を有利に進めるために敵の弱みを握れないか。あるいは逆に、協定の抜け穴は無いか、敵に弱みを握られないよう防諜に力を入れるべきではないか。

 両国はそうした情報戦に血道を上げる事になった。


 しかしお互いにやり合いながらも、まるで示し合わせたように同じ事を探ろうともしていた。

 言わずとしれた、ローリーの行方である。


 王国に押し付けたは良いが、王国は果たしてあの爆弾をどうするつもりなのか。

 下手に爆発でもされて、大陸全土を焦土に変えるような結果になっては目も当てられない。

 あるいは何かの間違いでローリーの取り込みに成功し、その力を利用して大陸の覇者たらんと王国が動き出すとなれば、仮に帝国・連邦の束の間の平和を確たる同盟に切り替えたとしても対抗しきれるかは分からない。

 そんな事になってしまえばかつての悪夢の歴史の再来である。いや、分割された三国が再び一つに纏まるのだと考えれば歴史の逆行だろうか。


 帝国も連邦もまるで示し合わせたようにその事態を恐れ、こぞって王国へ間諜を放った。

 これはさほど難しくはなかった。帝国と連邦は長く戦争を続けていたが、王国と帝国、王国と連邦との間には交流が続けられていたからだ。行商や狩人に偽装させ紛れ込ませることなど容易である。

 グロワール王国が両国間の緊張状態に無関係でいられたのは、王国がネムス大森林によって隔てられた位置にあったため、大陸の殆どの領土に関する利害に王国だけが絡んでいなかったからだった。





 ◇ ◇ ◇





「──戻ったか。例の盗賊どもはどうなった?」


 古びた民家。しかし生活感のまるで感じられないガランとした部屋の中で、2人の男が会話をしている。

 2人の男と言っても、片方はまだ少年と行ってもいい年ごろだ。

 少年の方は今戻ってきたばかりであるようで、上着を脱いで椅子の背にかけ、その椅子にどかりと座った。

 背もたれに凭れ掛かって天井を仰ぎ、大股を広げた少年の足元に、けむくじゃらの小さな生き物がまとわりついた。

 よく見ればそれはリスであった。

 ただし一般的なリスではない。

 体毛は燃えるような赤色で、尾に至っては本当に炎が燃えているかのように揺らめいて見える。

 さらに額には一本の角が生えており「きききっ」と小さく鳴いた口元からも牙が覗いていた。


 ここはヴォールト領に隣接するサーベラス領、その領都である。

 ヴォールト領は辺境最前線であり、帝国との交易路も通っている特異な立地である。それゆえサーベラス領には、ヴォールト領まで行きたくはないが辺境や帝国の動向を探りたい、という者が多く訪れる。


 この古民家を人知れず借り上げ、セーフハウスとして使っているこの男たちも、ヴォールト家に対し何かしらの企みを持つ者たちである。


「うん。消息は不明だけど──ヴォールト公爵領で数十人規模の盗賊団がまとめて捕縛されたらしい。タイミングからすると、それが例の盗賊たちだろうね。たかが無名の盗賊団とは言え、そのほとんどを生きたまま捕らえるとなると、常識じゃ考えられない実力差がいるはずだ。やったのは『スカーレットデビル』かな」


「であれば、やはり情報通りスカーレットデビルがヴォールト家の子息になったのは間違いない、か。そういえば盗賊団に情報を流すのに使った男はどうした? ちゃんと処理したのか? 盗賊どもが生きているなら、その男の事がスカーレットデビルの耳に入る可能性もあるぞ」


「使った男、って、使ったのはアンタでしょ。全く、後始末ばっかり僕に押し付けて……。ま、心配いらないよ。盗賊団が発ってからすぐに始末しといた。どうせ一日中酒場で管を巻いていたようなやつだし。居なくなったところで誰も気にしちゃいないって」


「そうか。それならばいい。しかし奴がヴォールト公爵家に受け入れられたのなら、迂闊にヴォールト領に入るのは避けたほうがいいな。もどかしいが、やはりこの街から情報を探るしかない。一体どうやってあの化け物を手懐けたのかはわからんが……」


 ローリー率いるヴェルミクルム傭兵団といえば、味方であるはずのマルール連邦内でも恐れられる存在であった。

 きちんと報酬を支払い、的確な指示さえ出せば最低限の仕事はするのだが、逆に言えば「報酬」と「的確な指示」が無ければ何をするかわからない存在でもあった。

 首長が報酬を出し渋ってまるごと滅ぼされた自治体や、曖昧な指示を出したばかりに敵味方もろともに死体の山を築かれた部隊など、彼らのその異常な活動記録には枚挙に暇がない。

 その代わり「最低限の仕事」だけは確実にこなすため、例えば「敵軍の指揮官の首を穫れ」などと命じてやれば、その過程でいかなる殺戮や破壊が引き起こされたとしても、少なくとも敵指揮官だけは確実に死ぬことになった。


「全く、連邦うちの上層部は一体何を考えてあんな危険生物を飼おうなんてしていたのかね……」


 少年が肩をすくめる。


「……俺からすれば、不気味さならお前たちも大して変わりはせんがな」


 そんな少年に聞こえないようにか、男が小さく呟いた。


「なんか言った?」


「いや、何も言っていな──」


 男はそう返しかけ、ちくり、と耳に痛みを感じた。

 反射的に耳元に手をやると。


「──熱っ!」


 いつの間にかそこには少年の足元に居たはずの赤いリスがいた。しかも、その小さな牙を男の耳に突き立てていた。

 男は慌てて振り払い、リスに触れた手のひらを見た。リスに触れたのはほんの数秒であったにも関わらず、そこには高温で炙られたかのような熱傷が出来ていた。


「あのさあ、全部聞こえてんだけど。まあ正確に言うと聞いてたのはスキフロガだけど。あんま舐めない方がいいよ、うちの子の事。今回はほんのイタズラで済ませてあげたけど、次はその腕、消し炭にするからね」


「っああ、す、すまない、サディアス……」


「謝るのは僕にじゃないだろ。まあスキフロガもそんなものが欲しいわけじゃないだろうからいいけどさ。この子、こう見えても肉食だし、これまでも仕事の後始末で食べてもらったりしたこともあるから、本当に気を付けた方がいいよ。口の利き方にはね」





 ◇ ◇ ◇





 グロワール王国の王都では以前、大規模な暴動騒ぎが起きた事があった。

 その折にかなりの人数の平民が王都から追放される事になったため、空き家もかなり売りに出される事になった。

 現在では他の街からの移民などによりある程度人口も経済も安定してきているが、それでも未だ買い手のつかない空き家は多い。


 そんな空き家のひとつに、2人の男が居た。

 そのうちのひとりが空き家の割れた窓に手を伸ばす。

 するとそこから、色の無い一羽の小鳥が空き家にするりと入ってきた。

 色が無いというのは文字通りである。その小鳥には色味というものが一切欠けていた。まるで紙に黒インクで描かれた絵が立体になったかのような質感なのだ。

 単に白と黒しか持っていない、という風でもない。同じ白でも、例えば現実の生物であれば、様々な色が組み合わさり総合的に「白」という色を構成しているものだ。これは黒も同じである。しかし、この鳥は違う。


 どこか現実感のないその鳥は、男の手に乗ると何事かを囁くように小刻みに首を振り、その直後にボッと燃え上がった。

 あっという間にその形を失うと、鳥の残骸はヒラヒラと床に舞い落ちた。まるで燃え残った紙のようだった。


「──ナイトメアの痕跡は見つかったか?」


 その様子を見ていた男が問いかける。


「いや、全く無い……。不自然なほどな。奴は本当にグロワールに送られたのか?」


「それは間違いない、はずだ。少なくとも宰相閣下が王国にクレームを入れたのは確かで、その結果王国から連邦に問い合わせが行ったのも間違いない」


「……連邦が嘘をついていて、グロワールに送ったナイトメアは偽物だ、という可能性は?」


「……そうだとしたら、ナイトメアの傭兵団が活動を止める理由はない。連邦だって別に連中を完全に制御出来ているわけではないからな。だから少なくともあの悪夢が今帝国にも連邦にも居ないのは確実と言っていいだろう」


「にも関わらず王都には居ない、ってことは……辺境の公爵家か? 帝国相手に暴れ散らかしたのが王族だったとなるとさすがにまずいから、方便として公爵家の係累だったことにする、って話かと思っていたが……」


「ああ。これが帝国なら表面上はそういう事にしておいて、余計なことをしないよう王都で監視するって手段を取るだろうが、王国では違うようだな。本当に現公爵の庶子である可能性があるんだろう」


 スフォルト帝国では、皇帝の血筋はその血の一滴にいたるまで厳しく管理されている。もちろん皇家に連なる貴族家もいくつかあるが、それら全ても例外ではない。

 皇家と少しでも血縁がある家に生まれた者は、その瞬間から死ぬ間際まで専属の従者に付きっきりで世話をされ、入浴や排泄さえも監視の元に行われるため、間違いなど決して起こらないのだ。


 だからこそ帝国より密かに派遣された間諜の2人にとって、あれだけグロワール王家の血を濃く発現させたナイトメア──『赫耀の悪夢』が本当に公爵家の庶子であったという事実は理解できなかった。

 皇家であるとか王家であるとか以前に、英雄の血筋となればそれはすでに戦略兵器と同じ意味を持つはずである。もちろん英雄の血を引いているからと言って英雄になれるわけではないが、その家系に過去に英雄が誕生した事があるのなら、再び英雄級の人間が現れないとも限らない。もしもその時、その家系の者が体制に不満でも持っていれば、それこそ過去の悪夢の再来となる。

 帝国が英雄の家系を、とりわけ『原色』である『溟渤めいぼつ』を輩出した皇家の血筋を厳しく管理しているのはそういう理由からだ。

 スフォルト帝国は帝政という形こそ取っているが、政治の実権は代々の宰相を務めるオコーネル家が握っており、皇帝はあくまで象徴、あるいは『溟渤』の血を守るための器に過ぎないのである。


「……となるとナイトメアが現出したのは、その公爵だかのしもの緩さが原因の、全くの偶然の産物ということか」


「……そんなくだらない理由で……我が国の将兵が……」


「もう気にするな、とはとても言えんが、あまり深く考えるな。王国の貴族が原始的な欲望すら制御出来なかった結果生まれたモンスターだ。そういう意味では蠻獣と同じだ。あれは災害のようなものだった」


「……だがその災害は生きているのだぞ。生きて、また何の拍子に戦場舞い戻ってくるかわからんのだぞ」


「だからこそ、その兆候を掴むために我々のような調査員が派遣されているのだろう。

 さて、王都周辺にアレが居ないのなら、報告書を送らなければな。ヴォールト領にもおそらく別のチームが派遣されているだろうが、王都の調査にこれ以上手間をかける必要が無いことだけでも打ち上げておかねば──」


「──しっ」


 色の無い鳥を使役していた男の言葉を、もう一方の男が止めた。

 話していた男も状況をすぐさま察し、2人も押し黙る。


 すると空き家の外から複数の人間の気配と女の話し声のようなものが近づいて来るのが感じられた。


「……ちっ。この近辺には住民はいないはずだ。客の狙いは我々か?」


「……何故バレた? いや、今そんな事はどうでもいいか。とにかく撤退するぞ」


 2人の男はそれぞれ懐から丸められた羊皮紙を取り出すと、それを広げ空中に放り投げた。

 放られた羊皮紙は先ほどの鳥と全く同じ様子で燃え上がり、それと同時に男たちを光の粒子が包み込む。

 光が男たちを完全に覆い隠し、徐々に消えていく頃には、そこには誰も残っていなかった。

 ただ埃まみれの床に、燃え残った紙が数枚落ちているだけだった。






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