第二章
第32話「ヴェルミクルム傭兵団」
「……ボウズが里帰りしてから、もうじき半年か……」
「いつ帰ってくるんかな?」
「バッカお前、実家が公爵家だぞ。お前だったら傭兵暮らしに戻りたいと思うか?」
「いや、公爵サマの生活なんてしたことねえし、知らねえよ。案外傭兵稼業の方が贅沢だって思うかもしんねえぜ」
「いや、そりゃねえだろ。今はボウズが暴れまくったせいで国境線が引き直されて、一時停戦になっちまってるからな。傭兵なんざ商売上がったりだ」
彼らがボウズと呼んでいるのは、もちろんローリーの事である。
彼らこそ、ローリー率いるヴェルミクルム傭兵団の団員だった。
彼らにとってローリーは唯一絶対の力を持つ団長であると同時に、小さな頃から面倒を見ている子供のようなものでもあった。何しろヴェルミクルム傭兵団において最も年齢が低いのが、団長であるローリーなのだ。
これはかつてグロワール王都から追放された反乱騒動の時、子供でありながら参加していたのが彼だけだったからである。正確に言えば、彼には反乱に参加する以外に生き残る道が無かったからであるが。
そういう事情もあって、傭兵団のメンバーにとってはローリーは最強の団長であり、いつまでも小さな子供でもあった。彼のたどたどしい言葉遣いを誰も直そうとしなかったのはそのせいでもある。
「……もし、ボウズが傭兵団に戻りたくないと思っていたら、そん時はしょうがねえ。ヴェルミクルム傭兵団は解散だな」
これはローリーにグロワール王国から使者が来た時には、傭兵団内で密かに決められていたことであった。
他に生きる道がなかったとは言え、盗賊団として強盗殺人を繰り返し、その後は傭兵団として人を殺して食い扶持を手にする。とても真っ当な生き方とは言えない。
グロワール王都を追放された時点ですでに成人していた団員たちは良いかもしれないが、ローリーは当時まだ右も左も分からない子供に過ぎなかったのだ。その子供に頼らなければ森の中で生きていけなかったというのも情けない話だが、幸い、今は大抵の場所であっても各々独りで生きていけるだけの力は持っている。解散しても、やっていけるだろう。
ローリーがもしグロワール王国の貴族になるのなら、元盗賊のならず者傭兵団と縁があるというのはデメリットにしかならない。
しかし、仮にその傭兵団が存在しないのであれば何も問題は無くなる。
ヴェルミクルム傭兵団の団員たちはローリーの未来のため、何の痕跡も残さずに煙のように消えるつもりであった。
なお、「痕跡」の中には目撃者や生き証人、つまり帝国や連邦の生きた人間も含まれている。直接会った者たちさえ居なくなってしまえば、あとは噂が残るだけになり、それもいつかは戦場の与太話として消えていくだろう。
かつてグロワール王国を震撼させた幻の盗賊団「ゲシュペンスト」のように。
しかし、である。
傭兵団員たちにとっても、小さなローリーとがむしゃらに生きてきたこの10年が無意味なものであったとは思いたくはなかった。
そして、ローリーにとってもそうであって欲しいという気持ちがあった。
だからこそ、もしローリーがグロワール王国の貴族家からこの傭兵団に帰ってくるような事があれば、その時は全力で迎え入れるつもりでいた。
ヴェルミクルム傭兵団からローリーが去ってから、まだ半年。
これまでにグロワール王国からローリーに縁付く傭兵団についての何かしらの調査団でも来ていれば、その時点ですぐに解散するつもりであったが、その様子もない。
それならば、少なくとも傭兵団がローリーの足を引っ張る状況にはなっていないのだろうと、団員たちはひとまずローリーの帰還を待つ事にしていた。
本当に帰るのかもわからないローリーを。
もちろん彼らは、傭兵団がどうとかではなく純粋に「ローリーという人間がやばい」と公爵に思われているとは全く考えていなかった。
これはローリーという人間が単騎で辺境領軍を壊滅せしむるほどの戦闘力を持っていたからであり、これだけの力があるのなら、帝国・連邦間戦争においても十分に戦功を上げる事が可能で、傭兵団の他のメンバーなど居ても居なくても同じだろうと公爵が考えたからであった。
つまり、傭兵団などお飾りだと思われていたのである。故に詳しく調べもされなかったのだ。
彼らが黙って待機していたのはそうした理由が主であったのだが、他にも理由があった。理由というより状況、そして心情だろうか。
ローリー率いるヴェルミクルム傭兵団が登場してからほんの数ヶ月で、長きにわたって膠着していた帝国・連邦間戦争に変化が訪れた。
その変化はヴェルミクルム傭兵団が存在している限り終わる事がなく、帝国側は次々と国境線の後退を余儀なくされていった。それはローリーがグロワール王国から来た使者に付いて連邦から出ていくまで続いていた。
本来、国境線などそう簡単には変わらないものだ。
この戦争は長い間帝国側有利で推移していたが、それでも国境線が変わる例は殆ど無かった。国境周辺の利権の主が連邦から帝国に変わるくらいであった。
しかし、それも。
あまりに大幅に前線が動いてしまえば、そうも言っていられなくなる。
連邦軍が国境を越え、大きく前進したとする。帝国側から見れば、守るべき民が敵の前進のはるか向こうに行ってしまったとする。
この状態で、果たして国境は元のままだと言えるだろうか。言って何か意味があるのだろうか。そして進軍した連邦軍のただ中に取り残された帝国民たちはどうだろうか。連邦軍に囲まれたまま、彼らはいつまでも帝国民としての矜持を保ち続けていられるだろうか。
そうなってしまえばさすがに国境線も書き換えざるをえない、というわけだ。
国境線を書き換える、と言葉にすればたった一行の話であるが、実際にやるとなると非常に煩雑な手順が必要になる。結ばなければならない条約、作成しなければならない書類は多岐にわたる。
もちろん国土を減らされる側、今回は帝国側だが、帝国も国民の手前素直に頷くわけにはいかないため、必ず一度は突っぱねる事になる。その後現在の実効支配の状態などを考慮したり、連邦軍占領下に住んでいる住民の帝国への移動を条件につけたりして、ようやく調印という流れになる。
さらにそんな面倒な国境線の引き直しが、ヴェルミクルム傭兵団がいる限り頻繁に起きる事になった。
こんな事なら戦況が一段落するまで国境線の確定などしなければ良かった、と連邦としては言いたいところだったが、いかんせんヴェルミクルム傭兵団は所詮は傭兵である。連邦が報酬を出しているから連邦のために戦っているに過ぎない。帝国も軍事国家であるからか自前の軍隊への誇りがあるからか傭兵を雇ったりはしていないが、これからも絶対にしないとは限らない。
つまりヴェルミクルム傭兵団が連邦軍にいつまで味方するか確かな事は誰にも言えない事になる。
であれば、多少小刻みで手間が増えたとしても、それが可能な時に可能なだけ国境線を引き直しておきたかった事情があった。往々にしてそういう事情を決めるのは国家の運営に係わる者たちであり、実際に交渉などの仕事を行なう者とは別の者なので、こういう事もよく起きる。
ともかくそうした事情もあり、劣勢である帝国軍は元より、連邦軍でさえももはや戦争どころではなくなっていた。嬉々として戦っていたのは殺した分だけ報酬が貰える傭兵たちだけだ。
そして交渉のための一時休戦扱いで戦況が落ち着いていても、連邦に雇われた傭兵団が戦う敵が消えて無くなるわけではない。
新たに国境線の内側に入った元帝国民たちが民兵として立ち上がる事があるのだ。このまま連邦に編入されるのは我慢が出来ない、というわけである。
それは帝国に忠誠を誓っているからであったり、連邦のよくわからない部族と一緒くたにされるくらいなら帝国に支配されている方がマシだと考えていたり、本心ではどうでもいいが前者の考えを持っている者たちに唆されたからだったり、理由は色々だった。
それら蜂起した民兵、いわゆるレジスタンスに対応するのは、連邦軍ではもちろん傭兵の役目である。
かつてのローリー率いるヴェルミクルム傭兵団も喜んで鎮圧に参加した。
自発的に参加した民兵であるため彼らは死んでも何の名誉も得られないが、ローリーはその事について甚く気にしている様子だった。可哀想だと。とは言え普通に仕事であるので、可哀想だ可哀想だと言いながらも誰より多く殺していたのだが。
それを見かねた傭兵団の団員たちは言った。彼らは神を信じており、神の御許に召されるのが何よりの栄誉であるらしいから、ここで死んでもきっと幸せであるに違いない、と。以前に亡くなった、ローリーの古馴染みで信心深かった元貧民の男も、きっと今頃は神の御許で幸せに暮らしているだろう、と。
学は無いながらも
とりあえず団長が元気になってよかった、と団員たちは思った。
たまたま仕事が一緒になり、その一部始終を見ていた別の傭兵団の者たちは、そっと自分の聖印を荷物の奥に仕舞い込んでいた。連邦ではそれぞれの部族がそれぞれの神や精霊を信仰しているケースが多いため、連邦の聖教徒の割合は実は傭兵が一番高かったのだ。もっともそれもこの日までの事だったが。
ともかくそれらの理由から、ヴェルミクルム傭兵団が精力的に活動している限り連邦と帝国の間で頻繁に交渉の席が設けられる事になるため、相変わらず激しく衝突はしているのだが軍隊がぶつかり合う戦場というものは少なくなっていた。その代わりあちこちでレジスタンスが蜂起するせいで民間人(元帝国民)の死者が増加しており、軍人と民間人の死者の割合が逆転する現象が起きていた。
戦況が動けば大量の兵士がローリー率いる傭兵団に殺され、交渉のために停戦すれば占領地の民間人が蜂起してやはり傭兵団に殺される。
こんな状況、とてもではないがこれまでと同じ戦争だとは呼べはしない。
事態を重く見た帝国上層部は、ヴェルミクルム傭兵団を戦場から排除する事を考えた。
当然、そんなことは武力では不可能だ。それが出来るならとうにやっている。
そこで、帝国の頭脳と呼ばれている宰相オコーネルは政治的な方面からアプローチする事を思いつく。
かつて独立戦争を起こした歴史上の人物とローリーの容姿を結びつける事で、本来帝国・連邦間戦争に無関係であったグロワール王国を巻き込み、かの国へ押し付ける事にしたのだ。
独立戦争を起こしたその歴史上の人物こそ、現グロワール王家の始祖だったからである。
そしてその人物も、ローリーも、ともに『原色』の髪を持っていた。
この大陸において、『原色』と呼ばれる髪色をしている人物は限られている。
全て過去の歴史に生きた傑物たちで、それぞれその髪色から『
まさに伝説上の人物たちだ。
その『原色』の『赤』、赫耀こそ帝国に対し独立戦争を起こし、グロワール王国を建国した人物である。
加えて彼ら『原色』の瞳の虹彩は皆、金色に輝いていたそうで、この瞳を持つ者も彼らの他にはこの大陸では確認されていない。
そんな馬鹿目立つ特徴を2つも備えた者を目にしたら、少し歴史を囓った者ならば容易にグロワール王家と結びつける事が出来る。
とは言え、そこまで細かに歴史を学んだ者というのは貴族の中でも文官を目指す者くらいしかおらず、オコーネル宰相も当初現場から上げられた報告に「髪も瞳も茶色か何かを見間違えているのだろう」と考えていた。
それが、蓋を開けてみれば敵は言い訳しようのない赤髪と金目であった。
当然、オコーネルは疑った。これはグロワール王国が、連邦を利用して帝国に致命的な打撃を与えるために行なった工作なのではないかと。
帝国より先に王国の方が「英雄の再現」に成功していたとは全く気が付かなかったが、領土的に利害関係の無いグロワール王国についてはそれほど深く調査は行なっていなかったため、仕方がない事ではある。
しかしいくら王国側に帝国に対する領土的野心がないとは言え、何かの拍子に魔が差さないとも限らない。
これまでは、仮にそうなったとしても帝国や連邦との間に横たわるネムス大森林の存在があるため、王国が軍を率いてこちらに攻めてくる可能性は極めて低かった。
だが、英雄の再現に成功したのなら話は別だ。英雄とは単騎で軍や大型蠻獣とも渡り合える人外の生物である。特に、三国の歴史に名を残す『原色』ならばなおさらだ。軍を率いる必要がないのなら大森林の隙間を通すような交易路を通って移動も出来るだろうし、あるいは外縁部なら大森林の中でも移動が可能かもしれない。
王国の狙いが読めなかったオコーネルは悩んだ末、若干遠回しながらストレートにクレームを付けてみる事にした。「お前のところの王族が暴れてるんだけどあれ何なの」と。
この帝国からの公式な質問状に対し王国がなんと返答してくるかを見れば、王国の狙いもわかるとまでは言わないが、ある程度絞り込む事も出来るだろう。
そう考えての軽めのジャブ程度だったのだが、王国からの反応は素直なものだった。
ごく掻い摘んで言えば、「え、まじで? サーセン、心当たりが無いでもないんで、すぐ回収に行かせます!」といったところだろうか。
どうやら王国が狙って英雄の再現に成功したわけではないらしい。しかも、少なくとも今は帝国に対して含むところは無さそうだった。
それならと、帝国は喜々として傭兵団長を王国に押し付けた。
そうしてローリーが戦場から居なくなると、ヴェルミクルム傭兵団の活躍も急に大人しくなった。
これは別にローリーありきの戦闘能力だったからとかそういう理由からではなく、急に上司兼可愛い息子役が居なくなった事で彼らが戦場に張り合いを見い出せなくなったからだった。燃え尽き症候群に似た症状である。
彼らが止まれば戦況が止まる。帝国軍も連邦軍も傭兵部隊らも心の底から安堵した。正直なところ、これ以上戦闘を続けるのは体力的にも精神的にも予算的にも不可能だった。
傭兵部隊はそのほとんどが契約を打ち切り、前線から遠ざかっていった。連邦軍はそれを止めなかった。
帝国と連邦は落ち着いて国境確定の調印を済ませる事にした。帝国はもうゴネなかった。
連邦領内に取り残された元帝国の民兵たちも誰も蜂起しなかった。しそうな者らは最初の蜂起で軒並み殺されていたからだ。そしてそれを見ていた民兵予備軍は、同じ目には遭いたくないと誰も立ち上がろうとはしなくなった。
長きにわたる帝国と連邦との戦争は、ここに休戦協定を結ぶ事となり、大陸に束の間の平和が訪れた。
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