第31話「ちょっとやべーやつら」
ローリーは再度アストラコルヌの顔に乗るべく、左手の短剣を投擲した。
この短剣はネムス大森林の中心部近くに生息していた巨大なクモ型蠻獣の牙から作られたもので、無限に糸を吐き出す機能がついている。糸を出させつつ投擲し、後からその糸を手繰れば、アクロバティックな三次元機動も可能になるのだ。
ところがアストラコルヌもローリーに対しては最大限に警戒しているらしく、投げた短剣は身を捩って躱されてしまった。しかしあれほど巨大な図体である。ローリーにしてみればむしろ外す方が難しい。顔にこそ当てられなかったが、顎の下に短剣を突き刺す事が出来た。
そのまま糸を手繰り上げ、アストラコルヌの顎下に張り付くと、両手の短剣をアイスアックス代わりに氷壁を登坂するかのようにアストラコルヌの顔をよじ登っていく。
アストラコルヌも顔に張り付く小虫を振り落とそうと頭を振るのだが、軽めに突き立てているだけに見える短剣も実はしっかりと鱗に食い込んでいる。少し振り回された程度では抜けたりはしない。
ざくざくすいすいと、ローリーはあっという間にアストラコルヌの額の角まで登りきった。
「さて。とりあえず斬りつけてみるか」
右手の短剣で角に軽く一撃を加えてみた。
明らかに硬そうな角に刃物をぶつけるというのはいささか無謀な行動にも思えるが、左手のクモ製短剣と同じく右手の短剣も蠻獣素材で出来ている。もし硬度で負けてしまい、刃毀れしたとしても、適当に血を吸わせて一晩放置していれば翌朝には勝手に治っているのだ。
ローリーの一撃は、ぎゃりり、と音を立てて弾かれてしまった。
一度で刃毀れをしてしまうほどでは無かったが、角の方にも目立った傷はつけられなかった。
「……おおよそ同程度の硬さということかな。それならいけるか」
右で使っている短剣はネムス大森林の奥地に住む巨大な狼の牙から作られている。その狼は周辺一帯の生態系の頂点だったようで、左手の短剣の大蜘蛛も狼にとっては餌に過ぎなかった。
その狼の牙と同レベルの硬さとは驚いたが、伝説級の蠻獣であれば当然と言えば当然かもしれない。
ローリーは一瞬だけ意識を集中し、ほんの気持ち程度右手に力を込めて再度斬りつけた。
短剣は赫い軌跡を残し、すん、と角を通り抜ける。
刃が通り抜けたあと、アストラコルヌの角は刃の形に抉られていた。
それを確認したローリーは、今度は左手の短剣でも同じ事をした。
こちらも赫い尾を引きながら角を通過し、見事にその爪痕を残した。
一方、表層のみとは言え自慢の角にはっきりと傷をつけられたアストラコルヌは堪らない。
「──グゥォォォォォォオオオ!」
雄叫びを上げ、これまでよりもさらに激しく身を
それがまた痛みを与えたようで、アストラコルヌの狂乱は終わる気配を見せなかった。
「おっとっと。さて、気合を込めればどちらの剣でも斬れるようだな」
逆に込めなければ蜘蛛の剣では刃毀れしてしまうかもしれないが、斬りつける瞬間にだけ気合を入れるのであれば大した労力ではない。
これは蠻獣ひしめく森の中で生き抜いていくために自然と習得した技術であり、傭兵団ヴェルミクルムの仲間たちも大抵は同じ事が出来る。金属製の武器には上手く込められないのだが、蠻獣素材にはすんなりと気合を込める事が出来た。ローリーたちが金属製の装備を避ける理由のひとつだ。
これをすると相当に疲労もするので短時間で連続して繰り出すのは難しいのだが、ローリーに限っては特に疲れたりするような事もなく、いくらでも気合を込める事が出来るのだ。理由は不明だが、疲労するまでの時間は人によって差があるので、これも個人差の範疇だろうと傭兵団内では思われていた。
「蜘蛛の短剣でも刃が通るのなら話が早い。──これが使えるからな!」
ローリーは蜘蛛の短剣から糸を伸ばし、それを瞬く間に何周も角に巻き付けた。さらに短剣に気合を込めて、絡み合う糸の起点目がけて一撃を打ち込む。
するとまるで導火線に火打ち石を打ち付けたかのように赫い光が糸を走っていき、ばしばしと炸裂しながら角の表層にダメージを与えた。
それだけでは僅かな傷を付けたに過ぎなかった。しかし、糸が弾け飛んだあとも角の表層には赫いラインがうっすらと残っていた。
「──そうら、砕け散れ!」
その赫いラインに右手の狼の短剣を叩きつけた。
狼の短剣から迸る赫い輝きは、蜘蛛の短剣が付けた僅かな傷と全く同じ軌跡を走る。しかし、その威力は同じではなかった。
まるで赫い斬撃だけが角の表層を走っていくかのような光景とともに、角には致命的なダメージが与えられ──ローリーが攻撃した根元だけが砕け散り、その先はゆっくりと地面へ落下していった。
◇ ◇ ◇
「──うっそ、マジですの!? もう!? あの方、タイムアタックでもするおつもり!?」
「相変わらず何を言っているのかわかりませんが、チャンスなのですよね!? ああ、本当に本体が落ちてきた!」
「お嬢様! 言葉遣いが乱れておりますよ!」
「今そんな場合ですか! ていうか、ご令嬢はともかく貴女はなんで残ってるんですか!」
すると侍女はスカートの中から小ぶりなボウガンとボルトを取り出した。
「なんでそんなところにそんなもん持ってるんだ!」
「もちろんいざという時に自害するためです。短剣で喉や胸を突くのはハードルが高いですが、これならばボルトをセットして引き金を引くだけですので」
「そんな暇があるならいざという時とは言わないだろ!」
「もちろん嘘ですが」
「ちょっとあなたたち! 遊んでいる場合ではありませんわよ! アストラコルヌが落ちてきましたわ! 皆様! 頭ですわ! 頭の方に集まって! 早く! あ、ローリー様ーっ! ローリー様は尻尾を斬ってくださいましー!」
◇
ローリーによって自慢の角を叩き折られ、無様に地上に墜とされたアストラコルヌは、ダミアンや謎の令嬢らに囲まれて棒で叩かれた。
と言っても棒で叩いていたのはダミアンだけだが。いや、ハンナとか言う侍女もボルトを撃ちきってからはボウガンで殴っていたか。どういう教育を受けたらあんな侍女が生まれるのだろう。比較的優等生であったダミアンには理解出来ない。
謎の令嬢の氷属性魔法は中々の威力で、おそらくはアーロンに匹敵するか、下手をしたらヴォールト公爵のような大貴族の当主に迫るのではと思えるほどだった。
貴族家の当主だからと言って別に強いというわけではないが、魔法が貴族の特権だという共通認識がある手前、血筋に自信がある者は特に魔法の修行に力を入れる傾向にはあった。
高貴な家柄とは思われるものの、令嬢である以上彼女が家を継ぐ可能性は低い。それなのにこれほどの魔法の実力を磨いているとは、やはり何らかの問題がある家なのかもしれない。血に塗れたヴォールト家に仕えるダミアンに言えた事ではないが。
またローリーは謎の令嬢に言われた通り、執拗に尻尾を攻撃し、最後には切り落としていた。おそらく角を破壊したら謎の令嬢の言った通りにアストラコルヌが落ちてきたからだろう。それで彼女の言う事に従うつもりになったのだ、と思われる。
それを見た謎の令嬢はたいそう喜び、満足げに「役目ですものね」とか呟いていた。なぜ上から目線なのか。
蠻獣に限らず、トカゲに似た生物の中には、危機回避のために尾を自切する種も存在している。それを考えれば、尻尾を切ったところで大勢に影響があったとは思えない。
しかしこれはただ蠻獣を倒すという極めて狭い視点から見た事実に過ぎなかった。
ダミアンも後から聞いた話なのだが、この手の蠻獣は完全に倒した後に遺体の一部を切り離しても、生前にその部位で有効であった効能は失われてしまうらしい。蠻獣の身体を巡る未知のエネルギーが死後は抜けてしまうからだとか言われているそうだが、はっきりしたことはわかっていない。
今回で言えば、アストラコルヌの代名詞でもある巨大な角と尾がそれに当たる。
生前に破壊し切り離す事に成功したこの角は、雷を蓄積し解き放つ能力を秘めており、これを武器へと転用する事で魔法の力を使わずとも強力な雷属性の攻撃をする事が可能になる。また防具へと加工したならば、受けたダメージをエネルギーへと変換し一時的に着用者の腕力を向上する機能を付けられるらしい。
尻尾も同じで、前述の防具の素材に使えるのは他の部位と同じなのだが、蠻獣にとっては末端部分とも言えるこの尾の中には、稀に未知のエネルギーが本体に戻り切らずに滞留してしまうケースがあるという説がある。その状態で生前に切り離されると、その未知のエネルギーと蠻獣独自の能力が融合した特殊なエネルギー結晶体のようなものが精製される事がある、らしい。
正直ダミアンには全く意味がわからなかったが、言われてみればローリーが使う蠻獣素材製の装備品にもいくつか常識的に筋が通っていない物があった。蠻獣とはかくも超常的な存在なのか、と理解を放棄し納得をするだけに留めておいた。
ともかく突如現れた謎の令嬢のおかげで、数十年だか数百年に一度現れるという伝説級の蠻獣の素材を余すところなく入手する事が出来た。
筋肉や内臓など、その身体を構成する大部分はルーベン公爵が買い取ってくれたが、鱗や甲殻、爪などの装備品の分の素材は売らずに取っておく事になった。ローリーやダミアン、それに遠くの地にいる彼の傭兵団のメンバーのための装備品を作るらしい。
ただ加工して使える状態にするには特殊な技術が必要らしく、近いうちに傭兵団を呼び寄せるか、ローリーが傭兵団に行かなければならないのだとか。
公爵とその交渉をする際には謎の令嬢との素材の分配の問題も出てきたので、そこで当然ながら謎の令嬢の謎が解ける事になった。
なんと彼女は、王都で話題の聖女エヴァンジェリン・コンクエスタ侯爵令嬢であったという。これにはダミアンも驚いた。魔法の実力が高かったのは、聖女として恥ずかしくないよう修行を重ねたためだったのだろう。
と同時に、少しだけ心配にもなった。
出会ったばかりではあるが、あの伝説級の蠻獣と共に戦った戦友でもある。
聖女と呼ばれているということは聖教会と何かしらの関係があると思われるが、戦友が神の御許に召されてしまうのはさすがに心が痛む。
しかし結果から言えばダミアンのそれは杞憂に終わった。
「ふむ。聖女……となると、聖教会と何か関係が?」
「ええ、そうですわね。王都の聖教会本部より正式に聖女の称号をいただいておりましてよ。ああ、だからといって特別扱いとかは結構でしてよ。何せお2人は共にラスボ、伝説の蠻獣を狩った狩友なのですから」
「カリトモ……? ああ、狩友か。なるほどな。良い言葉だ。もちろん、私は特別扱いはしないとも。
ところで、エヴァンジェリン嬢は神を信仰しているのかな?」
「信仰……という言葉が適切かどうかはわかりませんが、信じているのは確かですわ。この世には、それこそ神でも居なければ説明がつかないような不可思議な事が起こる事がありますから」
「ほう……。では、神の御許に行きたいと思うのかね?」
「先日も申し上げました通り、普通の感性を持っていたらそのような事を望むはずがありませんわ。けれどもし、どうしてもそうなってしまった場合は……」
「そうなってしまった場合は?」
「是非とも一発引っ叩いて差し上げたいところですわね。誰のせいで、こんなに苦労する羽目になったと思っているのかと」
「ふ。ふふふ。なるほどな。確かに、本当に神とやらが存在するのなら、私も一発くらい……いや、そう、何なら尻尾を切り落としてやりたいくらいだ。生えていればだが」
「あら良いですわねそれ! どんな素材が剥ぎ取れるのか興味が付きませんわ!」
「……お嬢様! 言葉遣い! 剥ぎ取るなどと、そんな野蛮な……」
「あら失礼。
──ところで、ローリー様。ローリー・ヴォールト様。狩友としてこうして気の置けないお話が出来るようになった事ですし、ちょっと内密にお伺いしたい事が……。アーロン・ヴォールト様という方の事なんですけれども」
「ふむ。私の兄だな。なぜ内密に聞いてきたのかは知らないが、彼なら城で療養中だ。一応命に別状は無いが、おそらくもう二度と自分の足で歩く事はないし、自分の手で食事を摂る事もないだろうな。……そういえば、あの騒動の中で誰か避難させてやったりとかしたのだろうか。まあ結果的に城は無事だったからどうでもいいが」
「えっ!?」
「彼については私としても残念に思っている。もう何度かは彼と兄弟喧嘩をしてみたかったのでね」
「喧嘩!? 蠻獣を短剣だけ担いで叩き落とすような人間が、そんな状態の相手と!?」
「ははは。だから残念だと言っているだろう。さすがに自力歩行も出来ない者と喧嘩などしないさ。それはレギュレーション違反になるそうだからな」
「……もしかしてローリー様って、ちょっとやべーやつなのかしら? どう思う? ハンナ」
「……お嬢様の言葉遣いの方がやべーと思います。やべーとか人に対して使ってはいけません」
と、そのように、幾分か失礼な物言いはしていたものの、聖女エヴァンジェリンとその侍女は無事に王都へと帰っていった。
あの聖女がアポ無しで一体何をしにこの辺境まで来たのかはわからずじまいだったのだが、最後の会話からすると内密にアーロンについて探るためだったのかもしれない。
再起不能の現状を聞いても、驚きこそすれ特に哀れにも思っていないようだったので、アーロンと個人的に付き合いがあったわけでもなさそうだが。
「エヴァンジェリン嬢にも結構分け前を渡したが、それでもかなり残ったか。アストラコルヌの短剣も作ってみたいところだな。
……さて、あいつらにどうやって連絡を取ったものかな」
★ ★ ★
ここで第一章を完としたいと思います。
一章が終わりましたので、近いうちに「小説家になろう」の方への掲載も行ないます。始まりましたらこちらの「カクヨムオンリー」タグは消します。「カクヨム先行」とかにします。
第二章を始める際も先にカクヨムに投稿してからにすると思います。
紫色の髪、ということで、エヴァ嬢の二つ名を「茄子色のなんちゃらかんちゃら」にして略して「なろう」とかにしようかなとも一瞬だけ考えましたが、思いつきませんでしたのでボツにしました。いや茄子じゃなくて撫子色の方がいいか。なぜ茄子なのか。
第一章の大まかな流れしか考えておりませんでしたので、第二章の再開時期は未定です。申し訳ありません。
黄金の経験値の方の改稿・加筆作業もありますので……。
あと歯医者にも行かないといけませんので……。
皆さんは歯を大切にしてください。それだけが私からの、歯医者に行ったら3本もやべー歯があった私からのただ一つのお願いです。
あと★評価とかフォローとか♥とかもお願いします。お願い一つじゃないじゃ(
お読みいただきありがとうございます。
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