第34話「天角弓アルクスコルヌ」





 眩く光を放つ一筋の紫電が空を裂き、大木の根本に突き刺さると、まるで落雷のような轟音をたて大木を縦に引き裂いた。

 哀れな大木はメラメラと燃えながら左右に分かたれ、倒れていく。

 落雷のような轟音、と表現したのは、それが本物の落雷では無かったからだ。しかし大木の末路を見てわかる通り、その威力は本物の落雷に引けは取っていない。

 その紫電が本物の落雷と違う最大の特徴は、天空からではなく真横から飛来したという点だ。でなければ大木の根本に着弾する事などありえない。


 そしてその紫電の発生源はと言えば。

 まさにたった今大木を割った電撃と同じ色の髪をなびかせたひとりの令嬢が、その身の丈を超えるほどの大きさの弓を構え、残心をとっていた。


「──ようやく、この『天角弓アルクスコルヌ』をまともに引けるようになりましたわ」


「それはおめでとうございます、お嬢様。ですが私の記憶が確かなら、お嬢様の目的はその弓を使い的を射抜く事であり、侯爵邸の庭で一番立派な樹をへし折る事ではなかったと思うのですが、違いましたでしょうか」


「……違いませんわ。現に、あの樹の根本に設置した的には見事に命中しております。もう消し炭になっておりますけれど。確認して来ても結構でしてよ」


「そのような無駄なことはいたしません。私が今問題にしているのは的にあたったかどうかではなく、その結果もたらされた痛ましい事態についてです。

 奥様があの樹の下で過ごされるティータイムを殊の外お気に召していらしたことはご存知でしたか?」


「……存じております。私も何度かご相伴にあずかっておりますし」


「でしたら、聡明なお嬢様ならば何をすべきかもうおわかりですね。今、奥様をお呼びして参ります」


 そうしてやってきた侯爵夫人に対し、紫電色の髪をなびかせた令嬢──エヴァンジェリン・コンクエスタは腰を90度に曲げて謝罪した。


「──お母様! 申し訳ありませんでしたぁぁぁぁ!」


 目眩をこらえながらも、優しい侯爵夫人は娘の暴挙を許したと言う。

 しかし私有地とは言え、王都の一等地に突然落雷の如き破壊がもたらされたとなれば王都を守る近衛騎士団も黙ってはいない。

 母の許しは得られたエヴァンジェリンであったが、近衛騎士団に事情聴取を受ける羽目になった父にはしっかりと絞られてしまった。





「……酷い目に遭いましたわ」


「酷い目に遭う、というのは庭の大木のような状況の事を指すのだと思っておりましたが、お嬢様はあの樹を前にしても同じセリフが吐けますか?」


「もう。それは良いじゃありませんか。あの樹の切り株にも謝りましたし、新しい芽も接ぎ木しました」


 燃えて倒れた大木はそれ以上ダメージが広がらないよう根本から切り倒されていた。さらにその枝からは辛うじて生き残っていた新芽を摘み取り、切り株に接ぎ木もされている。これで毎日回復魔法をかけてやれば、じきに定着しやがて新たな大樹となってくれるだろう。


 なおエヴァンジェリンは回復魔法が使えないため、近所に住む知り合いに頼む予定になっている。

 アドリアーノという名の青年で、聖教会より『聖女』の称号を受けているエヴァンジェリンに敬意を持っているらしい男だ。本人の方こそ回復魔法を使いこなし『聖人』と呼ばれる程の人間なのだが、彼曰く、そんな特別な技能を持たないにもかかわらず称号を得ているエヴァンジェリンの方が尊い存在であるらしい。

 やたらと褒め殺しにしてくるのも気持ちが悪いし外出すると高確率で出くわすので、エヴァンジェリンは彼の事をストーカーではないかと疑っている。


 その手の知り合いにはあまり深く関わりたくはなかったのだが、前述の通り回復魔法は特別な技能であり、基本的には選ばれた人間にしか使うことが出来ない。

 他に心当たりがないわけでもなかったが、一応はそれなりの知り合いであるアドリアーノを飛び越えて別の人物に頼むというのも角が立つかと考え、仕方なく父コンクエスタ侯爵を通して依頼する事になったのだった。


「まあ大樹のことはともかくとして。

 そういう訳ですから、しばらく家を空けて長期外出をしようかと思いますが、どこかちょうど良いところはありますかしら」


「そういう訳というのがどういう訳かわかりませんが、まあ何となくは理解できるので承知いたしました。ですがちょうど良いところと申されましても……。観光がしたい、ということでしょうか」


「ううううううん……。個人の好き嫌いはともかくとして、せっかく大樹の回復を請け負ってくれた方がいらっしゃるというのに、ただ会いたくないという理由で観光に出かけるというのも人としてどうかと……」


「そういう訳、の内容も結局全部ぶっちゃけてしまいましたね」


 以前にも述べたように、エヴァンジェリン・コンクエスタは基本的に善性の人間である。その善性ゆえに、たとえ嫌いな人間相手だとしても最低限の礼節は尽くすべきだと考えていた。

 ただしそれはあくまで自分自身の身の安全と安定した生活が保証された上での話であり、それらが侵害される可能性があるのであれば話は別だ。

 つまりアドリアーノの行動がストーカーとして目に余るようなら、たとえ聖人だろうと恩があろうと社会から排除するつもりではいた。


「遠出といえば……。

 お嬢様、しばらく前の話になりますが、お嬢様はどこぞの田舎のなんちゃって聖女について気になさっておられませんでしたか? あれはもうよろしいのでしょうか。私としてはあのようなマガイモノまでいちいち気にする必要などないと常々考えておりましたので、お嬢様の興味がなくなったのでしたら喜ばしいことなのですが」


「あ、そうだった──……ですわね」


 忘れていた。

 もちろん「ですわ」を付ける事を、ではなく本来の聖女の事をだ。


 そもそも、ヴォールト領まで足を伸ばしたのは寄付金の話をするためでもアーロン・ヴォールトについて聞き取り調査をするためでもなく、ヴォールト領にいるかもしれない聖女について探りを入れるためだった。

 クラヴィス家の令嬢について、ヴォールト公爵にカマをかけた時の反応はどうだったか。

 確か、妙に落ち着きなくソワソワしていた気がする。いや、あれはドラゴン──天角獣アストラコルヌが現れたからソワソワしたのだっただろうか。

 正直、アストラコルヌ戦と得られた素材による興奮のせいで、あの前後の出来事は禄に記憶に残っていない。

 原作には登場してない、妙に赤い美形男子が嬉々としてモンスターをハントしていたのはよく覚えているのだが。


(あれ絶対別ゲーのキャラですわよね。あの手の自キャラがクリエイト出来るタイプのゲームだと、やたらと髪とか赤くしがちですし。有名配信者のプレイキャラも目が覚めるような原色が多かったような気がしますわ。髪ではなく肌とかがですけれど)


 明らかに別のゲームのモンスターが出現したり、別のゲームのキャラクターらしき人物が現れたりと、もうすでにエヴァンジェリンの知っている歴史とは大幅に変わってきている気がする。

 あのアストラコルヌの出現は、もしエヴァンジェリンがヴォールト領に居なかったらどうなっていただろうか。

 ローリーとかいう生身でフレーム回避めいた気色悪い動きをする男がいるような領地だ。もしかしたら問題なく撃退されていたのかもしれない。しかし、倒せたかというとどうだろうか。角を先に破壊するというセオリーを知らなければ時間内に倒し切るのは難しいだろう。その場合、アストラコルヌはいくつかの落し物だけを残し、天空へと去っていきクエストクリアの文字が出る、という設定だった。


(……別にゲームではなくリアルの世界なのですし、時間切れとかは無いのかしら。それとも逆に、時間に関係なく旗色が悪くなったら普通に逃亡したりするのかしら。モンスター──いえ、蠻獣と言っても野生動物ですし)


「──お嬢様?」


「……ああ、ごめんなさいハンナ。そうですわね、ええと……一応、調べておいてもらえるかしら。クラヴィス家の小聖女さんについても」


「……やはりまだ気にされているのですね。いえ、そうおっしゃるかと思い、調べは継続して行なっております。

 クラヴィス家の小聖女、シャーロット・クラヴィスですが、怪我人を癒やしたり近隣の無法者をこらしめたりといったような、聖女らしい活動は今はしていないようです。少なくとも我々がヴォールト領より帰還して以降はその手の話は聞こえてきません」


「えっ?」


「当家の手の者を数名クラヴィス領へ放ち詳細を探っています。現在分かっていることですと、シャーロットはしばらくどこかに遠征に出ていたようなのですが、帰って以来、部屋から一歩も外には出て来ないようです。仲の良い友人を亡くしたそうなのですが、遺体は遺族のところには戻されず、ただ死んだという報告だけが届けられたのだとか。

 それを不満に思った遺族が領主邸宅へ押し掛ける様子も度々見られるとの事です。その友人とやらは代々クラヴィス家に仕える騎士の家系だそうですので、本来であれば領主としても無視は出来ないはずなのですが……」


「……それは大変ですわね。ご友人がお亡くなりになるなんて、ご愁傷様で──ご友人?」


 クラヴィス家に仕える騎士の家系というと、原作ゲームの主人公の家である。

 さらにその家の出で聖女の友人となれば、それはまさしく主人公の事だ。

 それが死んだとは一体どういう事なのか。普通は主人公が死んだらゲームオーバーになるのではないのか。

 もちろんこの世界がゲームではなく現実なのはエヴァンジェリンも重々承知している。が、完全に独立した現実であるにしてはエヴァンジェリンの知るゲームの世界にあまりにも似すぎている。


 そんな世界で、主人公と思しき人物が死ぬ。それは一体何を意味するのか。


 いや、悪役としてエヴァンジェリンが死んでしまう未来よりはいくらかマシであるのは確かだが、主人公が居なくなったせいで色々起きて結果的にやっぱり死んでしまうというのも困る。

 というか、ゲームのストーリーが全く参考にならなくなるのは困る。


 この世界の人々は人が生きるには非常に厳しい環境に晒されている。原作のゲームのストーリーや設定を知っているからこそ一般人出身のなんちゃってお嬢様であるエヴァンジェリンでも生きていけるが、そのアドバンテージが無くなってしまえば、いつどんな事故や事件に巻き込まれて死んでしまうかわかったものではない。

 というか、何なら原作のゲームよりよほどバイオレンスでデンジャラスな世界である。別ゲーの災害級モンスターとか普通に空を飛んでやってくるみたいだし。


 ハンナの報告を聞いたエヴァンジェリンはしばし、暗雲立ち込める未来を想像して呆然としてしまった。






★ ★ ★

次回はついったで予告(?)した通り、『バタフライエフェクトについて解説するお嬢様』です。(解説できるとは言ってない)

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