第22話「初めての感情」





 今回の盗賊団の処理について、ローリーが公爵から命じられたのは「壊滅か捕縛」であったが、ローリーにとって一般常識の師であるダミアンより、良い機会だからと可能な限り全員を生きたまま捕らえるように課題を出されていた。

 しかも、アーロンのように「原状復帰不能な状態は生きたままとは認めない」という厳しいレギュレーションも加えてだ。

 そうなると多くの場合、相手の抵抗がいつまで経っても終わらずに無限にコストだけがかかってしまう事になる。

 ローリーがそう進言すると、ダミアンはロープを持ち出し、これで縛ればいいと教えてくれた。

 ロープのようなアイテムはこれまで死体を吊るす事くらいにしか使ったことがなかったが、なるほど死体が吊るせるなら生きた人間も吊るせるだろう。問題は生きた状態だとロープごとき引き千切られてしまわないかという事だが、それは一般常識では不可能なことだから大丈夫だと言われてしまった。

 半信半疑であったが、ダミアンがそう言うならと信じることにした。


 殺さないよう細心の注意を払って意識を刈り取った盗賊たちを、1人ずつロープで縛り上げていく。

 するとどうしたことか、目を覚ました盗賊たちの中に自身を縛るロープを引き千切ろうとする者はいなかった。

 これはつまり、捕らえられてロープをかけられた場合抵抗してはいけない、という暗黙の了解のようなものがグロワール王国にはあるという事だろう。

 そういうことなら心配は要らないと、捕らえた端から盗賊たちを縛り上げ、一箇所にまとめて転がしていく。


 これまでにしたことが無かったその作業に思いの外熱中してしまい、さて後は盗賊の首領と側近だけだったかな、と我に返った頃には、風に乗って微かに血の匂いが漂ってきていた。


「──ダミアン殿。先ほど逃げた盗賊の首領たちだが、何やら血を流しているぞ。いや、下手をしたら何人か死んでいるなこれは」


「え? な、なぜでしょう? だって、蠻獣の気配は全く感じられないし、僕らがこの山で盗賊狩りをすることは公爵様の命令だから、領軍や近所の自警団が近づいてくることもないはずだし……」


「ふむ。そうなると、公爵閣下の部下ではない正体不明の人間がやった、ということになるな。ああ、これは習ったぞ。不法侵入者というのだったか」


「いえ関所があるわけでもありませんから、領内に入るだけなら特にお咎めはありませんが……」


「しかし、そこで公爵閣下に敵対するとなると話は別だろう」


「それはそうでしょうが……。なぜいきなり敵対なのですか?」


「この盗賊団の対処は、公爵閣下より直々にこの私が一任された仕事だ。それを横取りすることは、私に命令を遵守させない事に繋がる。つまりこれは公爵閣下に対する──」


「あ、もう何が言いたいのかわかりましたからいいです」


「それは良かった。では急ごう」


 皆まで言わずとも意思の疎通が図れるようになったとは、これが以前に習った「阿吽の呼吸」というものか、とローリーは思った。

 これは一般常識についてかなり習得が進んできた何よりの証しと言えるだろう。





 ◇





 たどり着いた現場では、すでに盗賊が2人、血を流して地面に倒れ込んでいた。風に流れてきた血の匂いの濃さから死人が出ていてもおかしくないとは思っていたが、2人ともどう見ても死んでいる。

 これでもう全ての盗賊を生きたまま捕らえるというダミアンからの課題は失敗だ。


 ローリーは自分の片眉が自然と上がっていくのを感じた。

 これは苛立ちを感じた人間がよくする表情である。最近そういう感情も理解できるようになってきた。

 苛立ちや憎しみ、恐れや悲しさ、そういった感情は戦場でよくぶつけられていたからだろう。理解に必要なサンプルが沢山あったのは僥倖だった。

 そして理解できるようになったと同時に、ローリー自身もそうした感情を実際に感じられるようになっていった。とはいえ怒りや憎しみ、悲しさのような強い感情を感じる機会は今のところ無かったのでわからない。

 わかるのは弱めの苛立ちや、ちょっとした楽しさくらいだ。

 楽しさはわかりやすい。理由もなくやりたくなる事はたいていは楽しさを感じているからだ。傭兵団にも仕事を趣味にしている男がいた。元肉屋だった男だ。つまり彼のように笑って敵を殺したりするのが「楽しい」という状態だ。

 苛立ちもわかりやすい。思い通りにならない時、人は苛立ちを覚えることがある。これはローリーも覚えがある。食事に緑色の苦い草が出た時に感じたりする。

 それらはあえて気にしなければすぐに忘れてしまう程度のものばかりだったが、今感じているそれはこれまでのものよりも大分強い感情だった。


「……ロ、ローリー様。おち、落ち着いて……。落ち着いてください。相手は人間ですよ……」


 ダミアンが恐る恐るそう声をかけてきた。

 一体何をそんなに恐れることがあるのだろうか。ローリーの苛立ちは獲物を勝手に殺した目の前の3人に向けられているのであって、決してダミアンに向けられているわけではない。


 それに、敵対する相手が人間かどうかは大した問題ではない。ローリーの行動の基本方針は敵対者を殺すことだ。背後関係まで考えると人間と敵対するのは確かに面倒だが、目撃者も含めて全て片付けてしまえば何者が背後にいようと関係ない。

 であれば後は純粋に殺せるかどうかの問題でしかない。人間だろうと蠻獣だろうと、死ぬまで殴れば死ぬ事に変わりはないので同じである。違いは死後に素材として使えるかどうかくらいだ。人間の体は脆弱なので素材として利用するのに適していない。宗教上の理由からあえて人間の素材を使う部族も連邦の辺境には存在していたが。


「……私は落ち着いているとも。安心してくれダミアン殿。

 ──さて。お前たちは何者だ、と問う前に、まずはこちらの身分を明かしておこう。自己紹介は重要だからな。無用なトラブルを避けるためにはな。

 私はローリー・ヴォールトと言う。名前でわかると思うが、ここヴォールト公爵領の関係者だ。こちらは従者のダミアン。我々は現在、ヴォールト領に現れた盗賊団の捕縛を言い付けられている。そう、お前たちの足元に転がっているその死体のだ。……一体どうしてくれるのかな」


「ああ。ちょうど良かった。この領の方ですね。私はシャーロット・クラヴィスと申します。ここからはすぐ近く──ではありませんが、少し遠くの領地を治めているクラヴィス男爵家の者です。

 昨今、こちらの領地で盗賊被害が増えているというお話を耳にしましたので、無辜の民を守るため、こうして仲間を連れて救援に来たのです」


「……ま、お嬢様の思い付きに振り回されるこっちはたまったもんじゃないけどな。なあヴィル?」


「……」


「おっと、口の聞き方については勘弁してくれよ。俺はこっちの騎士見習いと違ってまともな教育なんざ受けちゃいねえんだからな。そう、ちょっと蠻獣を狩るのが得意ってだけの、タダの猟師さ。いや、こいつはもう見習いじゃなくて騎士になったんだったかな。

 そんなわけで、お貴族様よ。気に障ったんならすまないね。礼儀知らずの田舎者だと思って容赦してくれや」


 ローリーは今、彼らに「私の仕事を邪魔しておいて、何か言い訳はあるか」と聞いたつもりだった。ダミアンに習った貴族的な言い回しというやつだ。相手の女は貴族らしい格好をしているので、そう問うのが正解だろうと思ってのことだった。


 しかし返ってきたのはそんな気安い答えだった。

 彼らが何を言っているのか、ローリーには理解できなかった。


 最初の、女の自己紹介はまあいいだろう。人と人がコミュニケーションを取るにあたって、相互理解というものは想像以上に重要だ。これを蔑ろにすると悲しい結果に繋がる恐れがある。ローリーはこれをアーロンの件で学んだ。ちなみに悲しい結果とは、後でダミアンに小言を言われてしまった事である。

 しかし、女の言葉に被せるように言ってきた、自称猟師の男の発言は意味不明だった。

 この集団の行動の決定権がクラヴィス男爵家の女にある事はわかった。

 だがその後に続けられた、蠻獣を狩るのが少し得意という言葉と、粗野な言葉遣いを許してくれと言われた理由は全くわからなかった。


 彼は蠻獣を狩るのが得意と言ったが、女を守ろうと警戒しているその物腰を見ている限りでは、中型のウルフあたりに襲われればあっという間に全員食われてしまう程度の実力しか無いように見える。とても森の奥で狩りが出来るとは思えない。狩られるのが少し得意と言うのならまだわかるが。


 言葉遣いを許してくれというのもよくわからない。

 ローリーは公爵家の係累であり、相互理解の不足による悲しいすれ違いを避けるため、これは最初に説明している。

 公爵と言えば王国では王族以外には上がいない上位の身分である。ダミアン曰く、その程度の事はいちいち教わらずとも王国民なら大抵は知っている常識であるようだ。

 だとすれば、狩られるのが少し得意な特異な猟師である彼の言葉遣いを許してやる理由が全く無い。

 いや、彼自身はいい。本人が言ったように、教育を受けていないのなら仕方がない事もある。ローリーにも身に覚えがあることだ。

 しかし男爵家の女はいただけない。貴族家に生まれた者ならば、公爵家の関係者に対してどういう態度を取ったら良いかくらいは知っているはずだ。

 自称猟師の彼の言動は彼女が止めるべきだった。これは隣の、騎士だという無口な男も同罪だ。


 まして彼らは公爵家であるローリーの仕事をすでに邪魔しているのだ。

 しかも、他所からわざわざ他人の領地に勝手に入ってきて、である。


「……もし理解できていなかったのなら、私の言い方が悪かったのかもしれないな。その場合は謝罪しよう。

 その上で、もう一度自己紹介をしておくが、私の名前はローリー・ヴォールトだ。グロワール王国よりこのヴォールト公爵領を任されているルーベン・ヴォールトとは親子関係にある。

 ついでに無知な猟師のお前に授業もしておいてやるが、公爵家というのはこの国では王家の次に貴い家柄で、お前の主人の男爵家とは天と地ほどの違いがある。本来であれば、男爵家の当主が頭を垂れるべき存在が私だ。言葉遣いには自信がないそうだが、自信がないなら言い訳をする前に学べ。これからもその男爵令嬢と共に行動する気があるのならな。

 そしてここは我が父の領地で、お前たちが殺した盗賊は私が処理をするよう言いつけられていた。

 その上で、もう一度尋ねよう。私の仕事である「盗賊団の捕縛」の邪魔をした、何か合理的な理由はあるのか?」






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