第23話「言葉は通じても話が通じるとは限らない」





(ローリー様、超怖い……)


 すでにダミアンの服は冷や汗でびっしょりと濡れていた。

 山歩きでかいた汗も少しは混じっているかもしれないが、そんなものは誤差だ。だいたい、今のダミアンはもう山を歩いた程度では日常生活と同程度の汗しかかかない。何より、今の自分から漂う匂いは人間が本能的に危機を感じた際に発するフェロモンが混じっている。

 それがわかる程度にはこの数週間で嗅覚が鋭敏になってしまったし、それがわかる程度にはこの数週間で恐怖に慄く人間を見てきた。


 ダミアンが知る限り、ローリーがここまで不快感をあらわにした事はなかった。

 あのアーロンは他人を不快にさせる事に関しては右に出る者はいないであろう人間だったが、それでもローリーは彼に最後まで無感情で対処していた。何なら少し楽しんでいた節さえあった。


 ところが、目の前の、見目麗しい男爵令嬢に対するローリーのこの態度はどうだ。

 今すぐ殺したい、とまでは言わないが、言わないが思っているかもしれない、というくらいには苛立っているように見える。

 アーロンに比べれば美人だし、可愛いし、汗もどことなく良い匂いがするし──重ねて言うが、ダミアンの嗅覚は本人の意思に反して鋭敏になってしまっているから嗅ぎ取れるだけであって、決して男爵令嬢が極端に汗をかいているわけでもダミアンが意識的に匂いを嗅いでいるわけでもない──物腰も柔らかで、人当たりがいい。

 普通に考えれば不快になる要素など無いはずだ。


(……いやまあ、明らかに「仕事の邪魔」をされたからだよね)


「あの、ローリー・ヴォールト様? ローリー様が何を仰っているのかがよくわからないのですが……。

 ローリー様のお仕事は盗賊団の捕縛なのですよね? 私たちがお邪魔をしただなんて、とんでもありません。ローリー様が盗賊団の捕縛をお望みなのでしたら、むしろお手伝いになったのではないかと──」


(そういう事じゃないんだよなあ……)


 これはダミアンにも責任があった。

 元々、ローリーに下された命令は──実際は公爵による遠回しなお願いであって、命令などでは断じてないわけだが──盗賊団の壊滅か捕縛であって、捕縛はあくまでダミアンがローリーに課した課題である。

 何かというとすぐ相手を殺そうとするローリーに、ほんの少しでもいいので人間的な情緒というものを覚えてもらいたかったからだ。

 かと言って何の罪もない一般市民をいきなりローリーに会わせて、(相手の)宗教上の理由で殺されたりでもしたら申し訳ないどころの話ではない。

 その点、生かして捕らえたところで縛り首になるだろう盗賊たちなら失敗しても問題ない。

 そんな軽い気持ちで出した課題だった。


 しかしローリーはその課題に対し、思いの外楽しんで取り組んでくれた。

 生きたまま捕らえた盗賊を縛っているときなど、表情にこそ出ていなかったが、間違いなくこれまでで一番楽しそうにしていた。

 人間的な情緒という意味では人を縛ることに喜びを感じるのはどうかと思わないでもなかったが、まあ何でもかんでも殺して解決よりは平和的でいいかとダミアンも微笑ましくその光景を見守っていた。


 あの時のローリーの様子を思えば、それを邪魔されて不快になるのは十分理解できる。

 結果的に手伝ったからいいとか、そういう問題ではないのだ。

 例えるならば、子供が一生懸命に作ろうとしていた砂の城を、大人が横からしゃしゃり出てきて最後の仕上げだけを勝手に終わらせてしまったようなものだ。この場合の「砂」は「縛られた盗賊」で、「仕上げ」は「殺し」なので例えとして相応しいかどうかは微妙だが。


「──私は別に、お前の意見を聞きたいわけではない。

 お前たちが私の仕事の邪魔をしたのは事実で、私はなぜそんな事をしたのかの理由を問うているのだ。その理由が合理的であったり、止むに止まれぬ事情があったのであれば、もちろん考慮する。が、そうでないなら許すわけにはいかない。どうなのだ。なぜ殺した?」


「……盗賊たちを、死なせてしまった事についてでしたら、彼らが私を襲って──」


「それは事の発端ではないな。まず、お前たちが我が父の領地に、それもこのような山の中に来たりしなければそもそもそんな事は起きなかったはずだ。

 お前は先ほど、仲間を連れて救援に来た、と言ったな。あれはつまり、盗賊団をその仲間とやらと一緒に殺すためにわざわざ我が父の領地に入り込んで来たという意味ではないのか。そう、わざわざ私の仕事の邪魔をするためにだ。なぜそんな事をする? 私やこの盗賊たちがお前に何か迷惑をかけたのか?」


 相変わらずローリーは謎の威圧感を撒き散らしているが、いきなり砂場に乗り込まれた子供の言い分だと思うと、この問いかけもどこか可愛らしく感じられる気がするから不思議である。

 もはやダミアンの中では完全に子供を見守る親の気分だ。何しろ、本来そうするべき親や兄が誰もローリーの面倒を見ようとしないので。


 それはともかく、ダミアンから見てもこの男爵令嬢らの行動は貴族としては不条理極まりないものだが、人道的にはぎりぎり理解できなくもない。

 見ず知らずの人が暴漢に襲われていると聞けば、助けたくなるのも人情だ。それが可能かどうかは人によるし、やっても良いかどうかは立場によるが。

 要は、この男爵令嬢は恵まれた環境で暮らしてきたため、その恵みを他者に分け与えてやりたいと考えて行動しているという事だろう。

 優しげな容姿にぴったりの立派な信念である。


 が、あまり恵まれていない生まれであるダミアンは少し白けた気分になってしまった。

 彼女が悪いというわけでは断じてないが、例えばそこらの盗賊よりもよほどたちが悪い暴漢だったアーロンなどは、随分と長い間ヴォールト領で好き勝手にしていた。

 高位貴族であるため噂になることすら無かっただろうが、アーロンに比べればこの盗賊団による被害など全く大したことがないのも事実である。

 いかにも優しい令嬢ですと言わんばかりのこの女も、結局は自分の目に入る情報の中で、自分の手に負える相手だけを叩きのめして満足しているだけなのだな、と思えば、どれだけ可愛く美人で良い匂いがしても、冷めた目で見ざるを得ないというものだった。


 もちろん、人間的な情緒という意味では彼女の思想信条は大いに意味のあるものだ。ローリーに最も足りない物がこれだと言っても過言ではないだろう。

 しかし、それはそれで問題である。足りなすぎる、というのもよくない。

 この「人情」はローリーにとっては劇薬になりかねないのだ。もう少し慣らしてから与えないと、とんでもない事になってしまう。周りが。

 もしローリーがこの人情にかぶれ、王国中を、いや大陸中の至る所を自分の価値観だけを頼りに人助けのために飛び回るような事になれば、おそらく帝国・連邦間の戦争など比ではないレベルの死人が出る。少なくとも聖教会とその教徒はこの世から消えることになるだろう。下手をすれば、居るのか居ないのかも知らないが、神さえも滅び去ってしまうかもしれない。


 それを考えれば、ローリーをこの女と長く会話させるのは危険だ。

 苛立ちを隠せないくらいなのでローリーが彼女に感化される恐れはないだろうが、ローリーは普段は実に公平な男である。嫌いな相手からでも何かを学んでもおかしくない。何しろ、あのアーロンからでさえ学びを得ようとしていたのだ。例えばノックの仕方とか。お陰でヴォールト城の扉がいくつか粉々になってしまった。

 大陸中の聖教会の人々が領城の扉のように粉々になってしまう前に、彼らの会話を止めなければ。


「──もういいぜ、お嬢。こいつ、なんか怪しいぜ。

 公爵家が偉いってのは俺だって知ってるよ。でもな、それはこいつが偉いって事にはならねえだろ。さっきから父の領地、父の領地ってよ。てめえが自分の力で手にしたわけでもねえのに偉そうによ。

 それにこっちは盗賊を始末してやったんだ。なのに、なんで嫌味ったらしく文句をつけられなきゃならねえんだ? 普通逆だろ? まるで盗賊を殺したのがまずかったみてえじゃねえか」


 ダミアンが止める前に、従者でしかないダミアンよりも弱そうな自称猟師の青年が口を挟んできた。

 彼も彼で、なぜ首を突っ込んで来るのだろうか。

 山の中というこれ以上ないほど非公式の場ではあるが、一応は男爵令嬢と公爵令息との会話である。平民が口を挟んでいい場面ではない。


「なるほど。学が無いというのは本当のようだな。貴族の会話に口を挟む無礼には目をつぶってやるとしてもだ。

 先ほどからそう言っているつもりだったのだが、やはり理解できていなかったらしい。そうだ。私は盗賊をお前たちに殺された事に対して苛立ちを覚えている。だから、なぜそんな事をしたのか理由を聞いているのだ」


(ローリー様、言い方が……。これ、もしかしてやべー流れなのでは)


 そう危惧するダミアンの想像通りに、事態は推移していく。


「やっぱりそうか! なるほどな!

 つまりこの領の盗賊団ってのは、てめえの部下だったってわけだ! 部下を使って盗賊団を装い、てめえの領の領民を襲わせてやがったんだな! てめえみてえなお貴族様がこんな山ん中なんかに来るはずがねえからな! たまたま部下の様子を見に来てて、そこに来たのがお嬢だったってわけだ!

 仕事だなんて、嘘っぱちだ! 親に盗賊を何とかしろって言われて、一応捜索するフリをしてただけなんだな!」


 猟師がそう啖呵を切ると弓を構えた。無口な青年も血の滴る剣をローリーに向けた。

 向けてしまった。


(あ、パターン入りました。お疲れ様でした)


 悟ったダミアンは考えるのをやめ、状況を見守る事にした。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る