第14話「試される信仰心」
「──ふむ。どうやら、先日の……アーロン卿だったか。彼がまた来たようだ」
「……はい?」
突然そんな事を言いだしたローリーを、ダミアンは訝しげに見やった。
確かに、アーロンの性格を考えれば、あれだけ馬鹿にされたにもかかわらず子飼いの兵士をひとり殺された程度で諦めるとは思えない。
しかし、来た、とはどういう意味だろう。
今2人がいるのは離れの二階にあるローリーの自室であり、外の様子がわかるような状況ではない。もちろん窓を開けて外を見るならその限りではないが、窓は閉まっており、カーテンが掛けられている。位置的に言っても、ローリーの視点からでは窓越しに城は見えても地面は見えない。
「あの、何を──」
「──ローリー! 居るのだろう! 出てこい!」
下からアーロンの怒鳴り声が聞こえてきた。
本当に来ていたようだ。
なんだこの男は。予知能力でもあるのか。
違うとするなら、この締め切られた部屋に居ながら、視力を全く利用せず、外の様子が手に取るようにわかった事になる。しかも個人の特定までしている。
あれだけの戦闘力を持ちながら、この探知能力。
敵に回したとしたら絶対に逃げ切ることは不可能だ。
ダミアンは心の中でアーロンに対し、決してローリーを怒らせるような事をしないでくれ、と願った。その結果アーロンが死んでしまえば、聞きたいことも聞けなくなってしまう。
離れの玄関まで出ていってみると、ローリーを呼んだはずのアーロンは少し離れた位置にいた。
代わりに玄関の扉を開け、立っていたのは、いかにも村人然とした服装をした兵士であった。兵士であるとわかったのは、ダミアンが彼の顔を知っていたからだ。そうでなければ、少し体格のいい領民だと判断していたかもしれない。
村人に偽装した兵士は降りてきたダミアンとローリーを認めると、緊張した面持ちで歩み寄ってきた。
「お、お前がローリーだな」
村人兵士が恐る恐る話しかける。
どうやらローリーの実力については知っているらしい。まあ今となっては、ヴォールト領の兵士なら知らないほうがおかしいが。
「ふむ。その通りだが、そういう君は何者だ。見たところ、一般市民のようだが。アーロン卿と共に来たようだから知っているだろうが、ここは領主ヴォールト公爵の住まう城の一角で、私はヴォールト公爵家の三男だ。一般市民がぞんざいに声をかけていい人間ではない」
離れの外で、名前を呼ばれたアーロンがびくりと肩を震わせた。
「も、もちろん私は一般市民だし、お、お前が公爵家の係累である事は知っている。しかしあちらの……アーロン様の命令で……」
ああ、とこの時点でダミアンはおおよその経緯を悟った。
兵士であればローリーは喜々として殺すだろう。理解しがたいが、それが彼の人生哲学だ。しかし、兵士でない一般市民であればどうか。
ローリーが兵士を殺す際、兵士を職務に殉じさせる事が大義名分になっているのであれば、戦いを
アーロンはそう考えたに違いない。
「アーロン卿の
とりあえず、今のところローリーには彼を攻撃する意思はなさそうである。加えて言えば、兵士であることに気づいている様子もない。
「あ、ああ。その……。こ、この離れから出て、私に付いてきてもらいたいのだが……」
「それはできない。公爵様に命じられているからな」
ぴしゃりと断った。
しかしこの答えは想定内だったのか、村人兵士に動揺した様子は見られない。
「こ、こちらとしてもそう言われて引き下がるわけにはいかない。さ、さあ、来てくれ!」
村人兵士がローリーに歩み寄り、その手を掴んだ。
そのまま数秒、動かずにいる。
村人兵士はまだ死んでいない。
やはり、兵士でない相手は殺そうとはしないのだろうか。
この行動は村人兵士にとっても賭けであったらしく、ひとまずは生きたままローリーの手を掴む事に成功した事実に安堵しているようだった。
「……ふううううぅ……。よ、良かった……。神よ……感謝します」
しかし、彼は神に助けられた訳ではなかった。
むしろその一言が彼を地獄へと
「──神? 君はもしや、神を信仰しているのか?」
腕を掴まれてもぴくりとも動かず、例の無感情な瞳で村人兵士を見つめていたローリーが突然そう話しかけた。
「え?」
村人兵士は驚いている。およそ、この世で神や信仰とは最も遠い所にいるだろう男からそんな言葉が出てきたからだろう。
一方のダミアンは、ローリーのその言葉を聞き、背筋がぞくりとした。
その声には、ガラスのような冷たい瞳とは裏腹に、かつて彼が兵士を殺戮した時と同じ、かすかな喜色が含まれていたからだ。
さらにダミアン自身、ほとんど同じ問いかけをローリーにされたことがある。
あのときは確か、神など信じていないと答えたのだった。神を信じていると答えていたらどうなっていたのか。
その答えが、はからずも今、これからわかるかもしれない。
「先ほど君はこう言ったな。神よ、感謝する、と。普通、神を信仰していない者はそういう言い回しはしないのではと思ってな。もし、信仰していないのなら……」
「い、いないのなら……?」
「いないのなら……さすがに可哀想だからね」
ダミアンの背筋を冷や汗が伝う。
神を信仰していないなら可哀想だ、とはどういうことだろう。
もしや、訓練場に並べて寝かせられている兵士たちと同じ運命を辿ることになるのだろうか。
ダミアンと同じことを考えたのか、村人兵士は慌てて答えた。
「もっ、もちろん信仰しているとも! 非番の日には協会に礼拝に行くし、毎日寝る前には祈っている! 私ほど信仰心の篤いものは、聖職者でもそういないのではと思えるほどだ! 現に今だって──」
非番とか言ってしまっている時点で兵士であることを隠す作戦は破綻していると言えるが、本人は動揺しすぎて気づいていない。
ともかく、こうした事態で神に感謝するくらいだし彼が敬虔な信徒であることは間違いないだろう。
ローリーの言葉が真実なら、この村人兵士は可哀想な目には遭わずに済みそうだ。
「よし。そういうことなら問題ないな。
いや、君には申し訳ないのだが、私は公爵様よりこの離れを守るよう言いつけられていてね。離れることはできないのだ。君が兵士の格好をしていたのなら、兵士としての君を職務に殉じさせてやる事に躊躇いはなかったのだが、どうやら今の君は一般市民であるようだ。兵士であろうと、職務中でないのなら戦死の栄誉は与えられまい」
この口ぶりからすると、ローリーもこの村人兵士が職業兵士であることに気づいていたようだ。しかし、非番らしい格好をしていたから殺す気はなかった、と。
では、問題ない、とは一体なんのことなのか。兵士相手の殺人行為を全く問題視しないローリーが言うと不穏な響きしか感じられない。
「──だが、君が敬虔な神の信徒であるというのなら話は別だ。神の信徒であるならば、神の
◇
またも、物言わぬ躯と化した兵士は離れに放置したまま、アーロンは逃げ去って行った。
「……か、彼を殺したのは……彼が神を信仰していたから、ですか?」
色々あって冷や汗をかき過ぎたせいか、ダミアンはからからに乾いた喉から言葉を絞り出した。
「そうだよ?」
答えるローリーにはまるで変わった様子は見受けられない。たった今、一般市民の格好をした兵士の全身の骨を砕いたばかりであるにもかかわらず、である。皮膚を破らないよう細心の注意を払っていたようで、おかげで今日は絨毯が汚れずに済んだ。
「では、先日……私が、神を信じていると答えていたら……どうされていたので……?」
「別に、どうも。いや、何か勘違いされている気がするな。私は別に、人を殺したくて殺したくて、いつも殺す理由を探しているとかそういう事は全くないよ」
嘘だ。
と思ったが黙っていた。余計なことは言うべきではない。これは目の前の死体が生前の最後に命がけでダミアンに教えてくれた教訓だ。
「ただし、ダミアン殿が望むのであれば吝かではない。その程度のことだよ」
「望むわけないでしょう……!」
これはつい言ってしまった。
人と人というのは、所詮、言語を介してしかコミュニケーションが取れない生き物だ。このローリーが相手ならなおさらである。むしろ言語を介してさえ正確なコミュニケーションが取れているか不安になるくらいだが、言わないよりはよほどいいだろう。
今のところ、意図的かそうでないかは定かでないにしろ、相手の言葉を曲解する悪癖があるようではあるが、完全に無視した事はない。
ダミアンは死を望んでいない、という事実を心のどこかに留めておいてくれれば、それがいつか何かの役に立つかもしれない。
「そうかね。まあどの道、ダミアン殿からはまだまだ教わりたいことがたくさんある。仮に死を望んでいたとしても、すぐに実行するつもりはなかったが」
ふう、とダミアンは我知らず息をついた。
この様子ならいきなり殺される事はあるまい。もしかしたら、この離れの中にいる間なら、他の何者かに命を狙われるような事態になったとしても守ってくれるかもしれない。少なくとも、ローリーにとってダミアンに価値がある限りは。
「……ええと、それで結局今回は、彼が敬虔な信徒だったから命を奪った、という事でしょうか」
「まあ、極論を言えばそうなるね。私はこの離れから出る事は禁じられているし、それを侵そうというのなら抵抗しなければならない。抵抗すれば戦いになるが、戦えばどちらかが必ず死ぬ。私は死なないので、死ぬのは彼になる。その場合、彼が兵士としては非番であるなら、無駄死にになってしまう。それはさすがに可哀想だからね。
彼が神を信仰していてよかったよ。可哀想な事にならずに済んだ」
あれはそういう意味だったのか。
端的に言って、どうかしている。
その思いが顔に出てしまっていたのか、ローリーはダミアンを見て取り繕うように言葉を続けた。
「おっと、勘違いしないでくれ給え。何も私は、本当に死んだ者が神の御許に送られるなどと考えているわけではないよ。何しろ、私自身は別に神を信じているわけでもなんでもないからね」
(だとしたらなお悪いわ!)
そう思ったが、賢明なダミアンは言葉にはしない。
「私はこれでも、傭兵として幾多の戦場に立ってきた。蠻獣を相手にした事も多いが、同じくらい人を相手にした事も多い。これまで相手にしてきた人間の中には、私を前にして神に祈る者も多くいた。敵だけではない。戦いの中で、味方の兵士も神に祈る者はいた。
そして彼らはただ一人の例外もなく、皆、死んでいった……」
ローリーは自分の手を見つめている。
その手で奪った命のことを考えているのか、それともその手で救えなかった命のことを考えているのだろうか。
「自分では覚えていないが、私は幼い頃、教会の孤児院に預けられていたらしい。その頃から私の事を知っていた傭兵仲間なんかは、当時の私はいつ死んでもおかしくないくらい、常に衰弱していたと言う。まあそれを私に教えてくれた男も、神に祈りながら天に召されてしまったが」
それなりにローリーと過ごし、それなりに会話を重ねてきたが、彼の過去の話を聞くのは初めてだ。
彼も孤児院出身だったのか。仮に本当に親が公爵だとすれば、これまで公爵家に認知されていなかった以上、親がいないというのは頷ける話だが。
ダミアンは少しだけ、ローリーに親近感を覚えた。
「教会が運営する孤児院となれば、おおよそ街で最も神に近い場所で生活していたと言っていいだろう。しかし今、神を信仰していない私はこうして五体満足でピンピンしている。かつては神に最も近い場所で毎日死にかけていたにもかかわらずな。
だから、私は悟ったのだ。
神に近づいた者は、例外なく死に近づくのだと。神に祈った者もまた同じだ。その行為は神に近づく事を意味しているからだ。この法則は私が観測した限りでは絶対だ。神に祈った者は、いつか必ず死ぬ。
常識もろくに知らず、人生経験も浅い私が気づいたくらいだ。これはおそらく周知の事実なのだろう。にも関わらず、神を信仰する者は祈りをやめようとしない。
つまり彼らは、いつでも死を望んでいるに違いない。なぜなら、彼らにとってはそれが神に近づく唯一の手段だからだ」
(いや、そりゃ長寿世界一だって死ぬときは死ぬだろうし、祈ろうが祈るまいが人間はいつか絶対に死ぬだろ!)
祈りと死との間には直接の因果関係はない。
「だから私はこれから先も神を信じる事はないし、神に祈りを捧げたものは出来る限り神の御許に送ってやる事にしているのだよ。
これは、いつか教会から感謝状でも届くかもしれないな。何しろ、これまで私が送った者たちの人数を考えると、神の御許とやらはずいぶんと賑やかになっているはずだからね。ふふ。楽しみだ」
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