第15話「将を射んと欲すれば」





 またも余計なことをしたアーロンは、ルーベンにひどく叱られた。


 当たり前のことだ。アーロンとて、それがわからないほど愚かではない。

 ただ、そうはなるまいと甘く考えていたというだけだ。これならば失敗せず、ローリーを離れから引きずり出せると考えていた。

 その後の事は具体的には考えていなかったが、離れから出るなと公爵に言いつけられていたのなら、言いつけを破ったと言いがかりをつけて父に誅してもらえばいい、くらいは考えていた。


 過去最大級に長い説教──と言ってもアーロンが説教を受けるのはまだ二回目だが──から開放され自室に戻ったアーロンは、再びひとり考えに耽る。


「兵士では駄目……ただの平民でも、神に祈る程度の信仰心がある者では駄目……。

 ええい、一体どうすれば良いと言うのだ……!」


 グロワール王国、スフォルト帝国、マルール連邦の三国では、聖教会が祀る神を信仰していない者のほうが稀だ。程度の差はあるが、基本的に国民全員が聖教会の神の信徒である。あまりに一般的すぎて、教会や主神の固有名が知られていないほどだ。

 それを考えると、では信仰心の無いものをぶつければいいかと言っても、そう簡単に見つかるとは思えない。仮にいたとしてもその多くは神すら信じられないほど猜疑心が強い者だろうし、金銭や権力で素直に従うとは限らない。


「……奴は離れに幽閉されている。父上が命令を撤回しない限り、自分から出てくることはないだろう。

 つまり、離れの外からの法撃に対しては無力……で、あるはずだ」


 魔法による遠距離攻撃を主として行なう法兵隊はヴォールト公爵領軍にも存在している。非常に高価な兵科である上、国によって制限されているため、これを所有している貴族は少ない。辺境を任されているヴォールト家は、その数少ない貴族のうちのひとつだ。


 しかし、さすがに法兵隊を公爵の許可なく動かすのは無理だ。

 もちろん単に魔法で法撃するだけならば、法兵隊を動かさずとも可能である。他ならないアーロンが自分でやればいい。

 王国でも有数の高位貴族であるヴォールト家、その次男であるアーロンだ。魔法についての教育は幼い頃から受けているし、才能もかなりの物である。

 ひとりでもあの離れを吹き飛ばす事くらいは出来る、かもしれない。


 ただ、たとえ離れを吹き飛ばす事ができたとしても、その中にいるローリーを殺しきれるかはわからない。その程度で死ぬくらいなら、父があれほどローリーを恐れることはないはずだ。

 単に自領の兵を大量殺戮したというだけでは、父を恐れさせるには足りない気がする。

 おそらく父はローリーについて、何か別の情報を持っている。それが何かはわからないが、それがある限り、父は積極的にローリーを害そうとはしないだろう。


 それ以前に今はローリーにあてがわれているとはいえ、あの離れは公爵家の資産である。

 父に無断で建物を攻撃するのはまずい。吹き飛ばすなど以ての外だ。


「……やはり正攻法で行くのは難しい、か」


 仮に父を無視して離れを吹き飛ばしたとして、ローリーがそれでも生きていた場合、その後のアーロンの身の安全が懸念される。離れを吹き飛ばした場合、離れから出られないというローリーの制限も取り払ってしまうことにもなりかねない。

 ローリーと一緒に居た若い従者くらいなら離れと共に吹き飛ばせるかもしれないが、下賤な従者ごとき吹き飛ばした所で大した意味はない。


「いや……待てよ」


 離れの外から見ていた限りでは、ローリーはダミアンと悪くない関係に思えた。

 何しろこのアーロンの言葉を無視し、たかが従者と話をするくらいだ。相当仲が良くなければ、そのような愚かなことはしないはずだ。


「正攻法が無理なら……あの従者を使ってみるか」





 ◇





 それから、幾日か過ぎた朝。

 アーロンは、おそらく離れのローリーのもとへ出勤するところだろう、ダミアンなる従者を見つけた。


「──おはよう、従者ダミアン」


「……え? あ、はい、おはようございます……」


 ダミアンはアーロンに挨拶を返し、短く会釈をしてそのまま通り過ぎようとした。足も止めずにだ。

 有り得ないことである。


 ダミアンについては、アーロンも少し調べた。

 曲がりなりにも、一応は公爵家の三男という事になっているローリーの従者を任されるくらいである。それなりの家の出だろうと考えていたのだが、彼は家名すら持っていない貧民の出だった。

 グロワール王国では平民でも家名を持っている。代々の家があればその家名を継いでいくのが普通だし、兄弟が家を出て新たに一家を立ち上げるときも、基本的に生家の家名を名乗るのが習わしだ。それが無いということは、ダミアンには親すら居ないということだ。

 つまり平民の枠にさえ入らない者、スラムの貧民がそれに当たる。


 さすがにそんな出自の者を公爵家が雇うことなど有り得ない。だとすれば考えられるのは、教会から引き取った孤児だろう。

 教会の孤児を雇うと、条件によっては国から補助金が出る事がある。もちろん公爵家がそのような端金はしたがねのために薄汚い孤児を雇うことはないが、補助金はともかく教会に対して恩を売ることは出来るし、世間体もいい。

 ダミアンはおそらくその枠で雇われたのだろう。


 文字通りどこの馬の骨とも知れぬ下賤な孤児が、いずれ公爵家を継ぐ事になるアーロンが声をかけてやったにもかかわらず、軽い会釈のみで通り過ぎようとした。

 このようなことはあってはならない。


「もしかして、だが。表向きは公爵家の三男という事になっている、あのローリーとやらに仕える事が出来たせいで、調子に乗ってしまっているのか? 従者ダミアン」


「……いえ、そのようなことは」


 ここでダミアンはようやく足を止めた。


「よし。いい心がけだ。

 さて。お前にはやってもらいたい事がある。私の言いたい事はわかるな?」


「……申し訳ありません。わかりません」


「ちっ!」


 物分かりの悪い男だ、とアーロンは舌打ちをした。

  ダミアンを雇っているのは公爵家であり、アーロンはその公爵家の未来のために動いている。彼はこれまでのアーロンとローリーの争いを特等席で見ていたはずだ。

 であれば、皆まで言わずともアーロンの言いたいことは察して然るべきではないのか。


「あの男の事だ! あの男は、父の命令だか何だか知らんが、あの離れから出ようとはせん。良いか、お前も公爵家に仕える者ならば、公爵家の未来を一番に考えるべきだ。あの男があのままのうのうと城で暮らしているのが公爵家のためにならない事は、お前にもわかるだろう。

 だからな。お前があの男をあの離れから連れ出すんだ。お前の言う事ならあの男も耳を貸すだろう。そうすれば、父の命令に背いたという口実で、父の名に於いて罰する事が出来る。うまくすれば、あの男を公爵家から排除する事も不可能ではない」


 アーロンは知らない事だったが、離れから出ないようにというルーベンの命令をローリーに伝えたのは他ならぬダミアンである。そのダミアンがローリーに離れから出るよう話をすれば、確かにローリーが離れから出てくる可能性は十分にあった。


 しかし、ダミアンは首を縦には振らなかった。


「お話はわかりましたが……。その理屈ですと、ローリー様を離れから出さないのは公爵様からの命令ですし、それを私が破らせた上で公爵様より罰を与えていただくというのは、何というか、本末転倒と言いますか、おかしな話になるのでは」


「……喧しい。いいから、やれ。貴様、孤児上がりの貧民の分際で、私の指示に逆らって無事でいられると思うなよ」


 これを聞いたダミアンは、「孤児上がりの貧民」の辺りで柳眉を逆立てた。貧民のくせに、顔だけは無駄に良いのが腹が立つ。

 どこかで見たようなその不遜な怒り顔に無性に苛立ったアーロンは、腰の剣の柄に手をやった。


 思い通りにならないのなら、切り捨ててしまうまでだ。

 アーロンが習った王国法では、貴族が平民を理由なく切り捨てたところで大した罪にはならない。それどころか、もっともらしい理由があれば無罪さえ有り得る。公爵家の領内での事ならば理由をでっち上げるのは容易だ。


 そんなアーロンの内心を悟ったのか、あるいは単純に剣の柄にかけられた手が目に入ったのか、ダミアンは警戒するように後ずさり、アーロンから距離を取った。


「……ここで私を切ってしまうと、アーロン様にとってもよろしくない事態になるかと思います。

 私が離れに行かなければ、ローリー様が私を心配し、探しに来る……という可能性は低いかもしれませんが、食事や着替えの用意を誰もしなければ、さすがに離れから出てくるかもしれません。

 それがアーロン様のお望み通りの結果をもたらすのならよろしいですが、ルーベン様に対する方便として罪をなすりつける相手が居ない状態でのローリー様の自由行動は……果たして、ルーベン様がどう思われるか」


 そうなれば、また叱られてしまうだろう。

 いや、それでは済まないかもしれない。

 父はローリーとの接触においてこのダミアンを重用しているように見受けられた。その状況を無駄に破壊してしまうとなれば、父の叱り様はこれまでの比ではあるまい。

 別に叱られる事自体は大した事ではないが、解き放たれたローリーによって齎される被害を考えると、未来の公爵家のためには良くない結果になるだろう。


 あくまで、ダミアンが自主的にローリーを騙さなければならないのだ。

 ローリーを穏便に外に連れ出し、そこを父の率いる軍勢で始末しなければ。

 突然現れたとは言えやはり我が子が可愛いのか、父はローリーを排除する事に否定的なようだが、さすがに自分の命令に逆らってそこらを彷徨うろついているとなれば覚悟を決めるだろう。


「ちっ! もうよい! ……行け」


「では、失礼いたします」


 アーロンは憎しみを込めた目でダミアンを見送った。


 朝はまずい。

 ダミアンが現れなければ、ローリーは不審に思うだろう。


 しかし、夜ならばどうか。

 ローリーの世話を終え自室に戻るダミアンを捕まえ、痛めつけてやれば、言う事を聞く気になるかもしれない。





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