第9話「圧倒的成長」





 ローリーはダミアンと名乗る若者から、貴族らしい言葉遣いや一般常識なるものについて教わった。

 生まれてこの方、およそ一般的とは言いかねる環境にしか身を置いた事がないローリーにとって、その時間は非常に得難いものであった。


「──話し方はこれで問題ないか、ダミアン殿」


「……先ほども申しましたが、私の事は呼び捨てで。従者に敬称をつける主人などおりません」


「もちろんわかっているとも。外ではそうする。しかしダミアン殿は私に様々な事を教えるよう公爵閣下、いや父上に命じられている立場。つまりは私の師だと言える。そんな方を呼び捨てになど出来まいよ。

 ──どうだ? 今の言い回しはかなり貴族らしかったのではないか?」


「……ええ、まあ、そうですね」


 ローリーは元々、単語も下町のスラングのようなものしか知らず、カタコトでしか話す事が出来なかった。傭兵団の中ではそれで十分であったからだ。外部との交渉や交流は全て元商人か元職人の者たちが行なっていた。普通であれば口下手で気難しい分類に入るであろう元職人でさえ、傭兵団ヴェルミクルムの中では口達者だと言われていたほどだ。


 まだダミアンから言葉を習うようになってそう時も経っていないが、その短期間で貴族らしい言葉遣いを習得できるくらいにはローリーの知能は高かった。

 これまではただその能力をすべて傭兵としての力を高める事に費やしてきたというだけである。


「さて。では次は一般常識の時間だな。よろしく頼む」


 一般常識と言っても、そういうものは普通は日々の生活の中で身につけていくものであり、明文化されたものを覚えるものではない。

 ゆえにダミアンが思い付いた事を話し、またローリーが気になったことを尋ねるという、一問一答に近い形式の授業になった。


 この日の授業も実に濃密で、大変ためになるものであった。


「……そろそろ休憩いたしましょう。お茶を淹れます」


 どんな話にでも必ず最低ひとつは質問をかぶせていくローリーに、ジャボタイを緩めながら疲れたようにダミアンが言った。


「む。そうか。ああそうだ、ちょうどいい。お茶の淹れ方も──」


「必要ありません」


「いや、しかし」


「必要ありません」


「……そうか」


 ダミアンの淹れるお茶は美味い。その技術を習得できれば、公爵家での仕事が終わったとしても引き続きあの味を堪能出来る。

 ローリーはそう考えたのだが、ダミアンはお茶は従者が淹れるものであるとして教えてはくれなかった。

 ただ実際のところ、このお茶は公爵家で購入している高級な茶葉を使用しており、味が良いのはそれもあった。なので、仮にローリーがお茶の淹れ方を習ったとしても、市販の茶葉を使っていてはこの味を出すことは出来ないのだが。


「どうぞ」


 仕方なく、偉そうに椅子に座ったままのローリーの前に──この偉そうな態度も教育の賜物である──ダミアンがソーサーとカップを置いた。


 その時、ダミアンの胸元から首飾りが零れた。ジャボを緩めた時に妙なところに引っかかってしまっていたようだ。


「あ……」


 首飾りはロケットになっていたらしく、ダミアンの胸元からぶら下がった衝撃で開いてしまっていた。


「ふむ。その小さな絵に映っている幼い子どもはダミアン殿かな。面影がある。では隣の女性は姉君だろうか」


 見えたのは一瞬だったが、ローリーの視力と記憶力ならその一瞬で絵姿を記憶し見極めるのは容易い事だ。

 ダミアンは慌ててロケットを握りしめ、乱暴に胸元にしまい込んだ。さらにジャボタイもきっちりと締め直し、ロケットが零れ落ちる余地も完全に無くしてしまった。


 ダミアンはそのまましばらくローリーを睨みつけていた。

 が、やがて諦めたように溜息をつく。


「……ええ。私の姉です」


「なるほど。確かにダミアン殿に似たところもあったな。目元とか。

 そうだ。一般的な兄弟の関係についても聞いておきたい。私には兄弟は居なかったからな」


 これも授業の一環だ。

 ローリーにとっては、そういう程度の軽い気持ちであった。


 一方のダミアンとしては、明らかに訳ありだという雰囲気を醸し出しているというのに、何の屈託もなく普通に質問してくるローリーの神経が信じられない思いだった。

 普通はまずいことを聞いてしまったとか考えて、話を逸らすなどするだろうに。

 しかし、それもまた貴族らしい態度か、と考えてか、ダミアンは諦めたように話し始めた。


 ダミアンの語る兄弟姉妹の話は、ローリーにとっては傭兵団の仲間たちとの関係にもどこか通じる所のある、妙な郷愁と羨望を感じさせるものだった。


「──ふむ。では兄弟とは、仲が良くても敵対をするものだ、という事か」


「敵対ではなく喧嘩です。喧嘩についてはまた後ほどご説明します。

 必ずそうとは限りませんが、だいたいの兄弟は喧嘩をするものだと思いますね。気兼ねなく喧嘩が出来るくらいの親しさ、と言い換えられるでしょうか。あるいはそうした喧嘩を繰り返すことで、兄弟仲を深めていくのかもしれません。まあ喧嘩のひとつも出来ないようでは、健全な兄弟とは言えないのは確かでしょう」


「なるほど。ちなみにダミアン殿はどうだったのかな」


 ダミアンが黙った。一瞬、辛そうに顔をしかめる。

 ここでようやくローリーは、これは果たして聞いてもよかった事なのだろうかと思い至った。


 ローリーの年齢はおよそ18歳前後であるが、これまで彼はただひたすらに生きるために何かを殺す生活を繰り返してきた。

 そのせいか、彼は年齢の割に人間として未熟であった。

 他人の表情の変化にもほとんど気を配った事は無かった。今のダミアンのようにはっきりと辛そうな表情をしている者がいれば、今ならこいつを殺すのも容易だな、くらいにしか考えられない人生だったのだ。


 ローリーは、そんな表情を浮かべてしまった師に対して、今、生まれて初めて「気遣う」という感情を抱いたのだった。


「……ダミアン殿。話したくなければ──」


「いえ……。私の場合は……。兄弟仲は悪くなかったと思います。……喧嘩もよくしていました。でも……」


 ダミアンはそこで黙り込んだ。

 喧嘩をする兄弟は即ち仲が良いということならば、ダミアンも姉とは仲が良かったのだろう。

 しかし彼の表情は優れないままだ。


「……いえ。なんでもありません」


 結局、ダミアンはそれ以上何も言わなかった。


 ローリーもダミアンの姉についてはもう質問しようとはしなかった。以前の彼なら、気になったのなら根掘り葉掘り聞き出していたかもしれない。

 まだ短い期間ではあるが、ダミアンという青年と触れ合うことで、彼もまた彼なりに成長しているということだ。


 ローリーは代わりに別のことを聞くことにした。

 いささか手遅れだが、空気を読んで話を逸らす、という技術の初歩に手をかけたといったところだろうか。


「ところで、あのロケットの蓋には精緻な彫刻が施されていたな。あれは確か、神の似姿だったか?」


 戦場でもその手のペンダントを身に着けていた者に会ったことがある。その人物は確か、その似姿を握りしめて神に祈っていた。その人物は帝国軍人だったし、不利な側が祈る余裕がある程度には戦況も終盤だったので、気の済むまで祈らせてから命を奪ったが。


「……ええ。そうです。これならば、普通の装飾品よりも安く丈夫なものが買えるので」


 実はダミアンのロケットは、元はロケットではなくただのペンダントだったらしい。それをダミアンが改造し、姉の肖像を入れられるようにしたそうだ。胸元からこぼれただけで簡単に開いてしまったのは、ハンドメイドであったせいだった。

 神を模ったペンダントが安いのは、教会へ一定額を寄進すると貰える聖具だからである。なので正確には安く買えるわけではない。純粋な寄進として言うのなら、一般人が支払うにはいささか高い金額を支払う必要がある。もっとも聖具と言っても特別な効果はなく、ただ教会がそう言っているだけである。


「ではダミアン殿は神を信仰しているのかな」


「──いえ。神など……信じておりません」


「なんだ。そうなのか」


 ローリーは安心した。







★ ★ ★


次回「鮮血の舞うヴォールト城」





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