第8話「その男、ローリー」





 公爵家当主ルーベンに直々に教えられたローリーの部屋は、庭の離れであった。

 つい先ほどまで下働きだったダミアンはよく覚えている。ここは数日前、ダミアンを含む使用人たちで片付け、清掃をしたところだ。

 本来ここは住み込みの庭師が生活するための建物である。てっきり今のかよいの庭師を解雇し、新しく住み込みの庭師を雇うのかと思っていたが、違ったようだ。


 しかし公爵家に連なる貴人を住まわせるのなら、先にそう言っておいてほしかった。

 仕事なのでもちろん清掃は手を抜かずにやったが、あくまで手を抜かなかっただけであり、庭師が住むと考えていたので最低限の事しかやっていない。

 間違っても貴族が住むような物件ではない。


 ルーベンの話からすれば、その人物はもともと平民と共に暮らしていたような人物らしいので庭師の住処でも問題ないのかもしれないが、もし貴族らしい生活を求めてここに来ていたのだとしたら面倒だ。

 思っていた状況と違うというクレームは、おそらくこれから伺うダミアンにつけられる事になるだろう。

 初対面から主人のクレームから始まるなど、前途多難にも程がある。





 離れのドアを何度かノックしてみたのだが、全く何の反応もなかった。何なら建物の中に人の気配すら感じられない。


「……失礼します」


 ダミアンは仕方なく、中に入ってみることにした。

 一応声掛けはしたが、返事が無いので勝手に開ける。鍵はかかっていなかった。もしかしたら不在なのかもしれない。


 しかし一歩、離れに足を踏み入れた瞬間、それ以上先に進めなくなった。


 動けば死ぬ、という本能的な危機感と共に、わざとらしく首筋に平たい何かが触れている感触を覚える。

 平たい何かはそれほど冷たさを感じないので、金属ではないだろう。しかし、木材よりもかなり硬い気がする。


 ごくり、と生唾を飲み込んだ。

 殺気も平たい何かも全く動きを見せない。

 少なくともこの相手はダミアンの喉の動きを制限する気は無いようだ。

 つまり、そちらから話せ、という事だろう。


「わっ、私は──」


 ダミアンは慌てて自己紹介をした。

 自分が公爵家の使用人であること、本日付けでこの離れに住まう公爵家三男の従者に任命されたこと、今はその挨拶に来ていること、他者を害せるものは身に帯びていないこと、などを。


 するとダミアンに向けられていた殺気が、ぐん、と鋭さを増した。

 何が気に障ったのか、と焦っていると、ダミアンの目の間に「点穴針」が差し出された。

 点穴針とは暗器のひとつで、服の袖や懐、ポケットなどに隠し持ち、非武装を装って対象に近付き暗殺するための武器である。返しのついた細長い刃物に、指を掛けるリングが付けられたような外見をしたものだ。


 ダミアンが隠し持っていた物である。


 殺気が増したのは、ダミアンの「他者を害せるものを持っていない」という言葉が嘘だったからだろう。


(一体いつの間に! どうやって!?)


 点穴針はダミアンの服の袖に仕込んであった。袖が動けば、腕にそれなりの感触があったはずだ。しかし全く何も感じられなかった。

 点穴針も隠し持つのが前提の暗器とは言え、最低でも人体を貫くだけの強度は必要なため総金属製であり、それなりの重さはある。それを抜き取っても本人に全く気付かせないとは、一体どういうことなのか。いやそもそも暗器は身につけた本人以外が容易に取り出せる構造にはなっていないはずだ。


 この殺気の持ち主が何者であれ、この時点ですでにダミアンでは到底敵わない実力者であろうと判断出来た。

 さらに言えば、いかに実力者だとしても、天下の公爵家の庭先に誰にも気付かれずに入り込めるとは思えない。

 消去法で考えれば、この人物がおそらくダミアンが仕える予定の公爵家三男だ。


 ダミアンは暗器を隠していた事を謝罪し、もう一度自分の立場を説明し、自分が公爵本人からここに遣わされた事を訴えた。

 そこまでしてようやく殺気は引いていき、首に当てられていた平たい何かも下げられた。


 どっ、と今さら溢れてくる冷や汗を拭いもせずに、ダミアンは振り返る。


 そこには、全く何の感情も宿していない無機質な金色の目をした、鮮やかな赤い髪の男が何の気配も無く立っていた。

 非常に目立つ容姿であるにも関わらず、存在感がまるで感じられない。あたかもそこに、精緻で立体的な絵画が立て掛けられているかのようだ。


「……公爵の命令か。すまない。俺、傭兵団ヴェルミクルム、団長、ローリー。俺、公爵、雇われた。この建物で暮らす、命令されてる」


(……カタコト……。あと、そういう認識なのか……)


 どうやら、ルーベンは実子に詳しい説明はしていないらしい。

 それを教え込むところからダミアンの仕事であるようだ。

 当初想定していたクレームは心配する必要がなさそうだが、それ以上に面倒な仕事になりそうだった。

 それと、公爵が言っていた下民とはどうやら傭兵のことであるらしい。





 それからダミアンは数日かけ、ローリーなる男との情報共有と教育を行なった。


 彼は親や親戚というものを全く知らずに生きてきたらしく、公爵が自分の父親らしいと聞いてもピンときていない様子だった。

 公爵本人が一応は三男だと言っているのに当のローリーに別の両親がいたりしたら非常に面倒なことになるので、彼が天涯孤独の身である事は問題ない。しかしその公爵を親とは思わないとなると、もっと面倒なことになる。それは問題だ。

 ダミアンは定期報告がてら公爵の元に「本当に彼が御子息で間違いないのですよね」と確認に行ったりしながら、ローリーに公爵が父親である事を認めさせ、他にも貴族らしい言葉遣いを教えたり、ダミアンが知る限りの礼儀作法を教えたりした。


 驚いたのは、このグロワール王国の常識も教えなければならなかったことだ。

 王国の常識を知らないことについて、ローリーはマルール連邦軍に長く雇われていたからと言っていたが、そうだとしてもその身体に公爵家の血が流れている以上、生まれは王国であるはずだ。いや、それ以前に、平民にとっての常識など国によってそう変化があるものでもない。何しろグロワール王国もマルール連邦も、かつてはスフォルト帝国の一部であったのだ。

 一般常識すら怪しいのは傭兵として従軍した記憶しかないからだとの事だったが、いくらなんでも常識を知らないというのはあり得ない。物心が付いた時にはすでに傭兵団だったというわけでもないだろうし、暴力を行使する傭兵が常識を知らないとか、一般市民からすれば恐怖でしかない。しかし、ローリーは傭兵団を立ち上げる前については言葉を濁し、話そうとはしなかった。

 ダミアンも、この年まで親の事を何も知らなかったという生い立ちから、幼い頃はそれなりに苦労をしていたのだろうと考え、あまり強くは聞けなかった。


 しかし、それにしても。

 ローリーはあまりに何も知らなすぎる。この状態から貴族の令息として育て上げるというのはダミアンには荷が重い。

 そもそも、ダミアンにわかるのはせいぜい貴族の言葉遣いと使用人としての礼儀作法、それから平民の常識くらいなのだ。貴族に教えられることなどそう多くはない。

 これは何度か当主ルーベンにも上奏したのだが、聞き入れられる事はなかった。


 その時のルーベンの様子から、ダミアンは察した。


 公爵は明らかに、この三男を疎ましく思っている。

 何かの事情で引き取らざるを得なくなったが、それは公爵の本意ではなく、出来れば引き取りたくなど無かったのだ。しかしそうもいかないので、後ろ盾の無い元孤児を従者として付け、体裁だけ整えておいて、後は放置しておくつもりなのだろう。

 どれだけ疎ましかろうとも一応は公爵家の血を引く人間である。下手な人材をあてがって、良からぬ事を企むことがあってもまずい。

 その点なんの知識も人脈もないダミアンならば、どうせ大した事は出来はしない。

 大方そんなところだろう。


 ダミアンとしては、給料が貰えてこの公爵家に居られるのなら文句はない。

 あまり明るい未来が待っていなさそうなローリーは気の毒に思えるので、出来る限りの事は教えるつもりだが、ダミアンがどれだけ頑張ったところでそれこそ孤児院上がりの従者見習い程度の知識しか与える事が出来ない。


 しかし一般人の域を出ないとはいえ、多少は腕に覚えがあるダミアンをあそこまで容易く追い詰めるだけの実力があるのなら、まあこの魔窟のような公爵家でも何とか生きてはいけるだろう。

 ダミアンはそう思った。


 この可哀想なローリーを隠れ蓑にし、ダミアンはダミアンで密かに準備を進め、目的を達成するために動けばいい。

 そういう意味では、良くも悪くも目立つであろうローリーのは、ダミアンにとって幸運だったと言えるかもしれない。







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