第7話「下働きダミアン、出世する」





 グロワール王国でも最上位である大貴族、ヴォールト公爵。

 その公爵家に仕える従者見習いダミアンはその日、正式な主人を得て見習いを卒業する事になっていた。

 そうは言っても、下働きから従者見習いになったのもほんの数日前の事であり、最低限の作法は元々叩き込まれていたものの、従者として必要な能力が十全に備わっているかは疑わしい。


 そんなダミアンを敢えて従者に就けるくらいである。

 ダミアンの主人となる者は、おそらく公爵家に連なる者の中でもそれほど立場が良い者ではないのだろう。

 高位貴族の従者ともなれば、その者自身も貴族家出身であることが多い。公爵家に仕えるのなら、子爵家か伯爵家の子息辺りだろうか。

 平民、いやそれ以下の存在であるダミアンが従者見習いになること自体、かなり異例のことなのだ。下級貴族の男爵家辺りならそう珍しいことでもないのだが。


 下働きとしてそれなりの期間ヴォールト家で働いてきたダミアンであるから、屋敷内の間取りくらいは頭に入っている。だから完全なる他家に出すとは考えづらいが、血の繋がりの細い遠縁の家に送り出されるくらいの事はあるかもしれない。


 名目上では下働きから従者への大栄転だが、それでは全く喜べない。ヴォールト家という公爵家に仕えているというステータスの前では多少の階級の差など無意味である。給金だって、男爵家の従者と公爵家の下働きでは後者の方が高額だろう。

 いや給金やステータスなどどうでもいい。この公爵家でなければダミアンが仕えている理由などないのだ。


 左遷されてしまうほどのヘマをした覚えはダミアンには無かったが、ダミアンはその容姿の良さから同僚に妬まれているきらいはあった。身寄りの無かったダミアンが公爵家に雇われたのも、美しい容姿だからだろうと陰口を叩かれているくらいだ。


 正直なところ、ダミアン自身も自分の容姿には自信があった。

 だから従者として呼ばれたのも、あるいはヴォールト公爵家の傘下の貴族に何かの褒美として下げ渡されるのかもしれないとも思っていた。


 しかしダミアンを自らの執務室に呼んだ公爵家当主、ルーベン・ヴォールトは、怒りさえ滲ませた冷徹な声でこう言った。


「……ダミアン。お前にはこれから我が不肖の息子、ローリーの従者となってもらう」


 ヴォールト家長男の名はディラン。彼は公爵家の後継者であるため、子爵家出身の身元も確かな従者が付いている。その従者は将来は子爵家を継ぎ、次期公爵の側近として活躍する予定の者だ。ダミアンとは何もかもが違う。

 ヴォールト家次男の名はアーロン。こちらも兄ディランに次ぐ継承権を持っているため、従者には男爵家出身の従者が付けられている。理由は長兄ディランと同じである。


 ローリーとは誰だろう。少なくともダミアンは聞いたことがない。

 下働きなど普段は当主一族と接する事はないし、何なら当主の姿を見たことさえない使用人もいるかもしれない。ダミアンにしても、そこまでではないものの、当主と面と向かって会話をしたのはこれが初めてである。

 とは言え何年も働いていれば、一家の構成くらいは頭に入っている。というか、その程度の事は使用人の上役に礼儀作法と共に叩き込まれるし、知らないほうがおかしい。


「ローリーというのは、当家の三男だ。……おそらくな。歳はまあ、アーロンの下だから……18、という事にしておこう。

 これまで下民と共に生活していたせいで、あらゆる常識を知らん愚か者だ。最低限、会話が成立する程度に教育をしておけ。

 まずは言葉遣い、それと文字の読み書きだ。教材は書庫のものを自由に使って構わんが、魔法についてはもう手遅れだから、魔法書は見せる必要はない」


 そんな事を言われた。なるほど、これまで下民と生活していたのなら、使用人が知らずとも仕方がない。

 とはさすがにならない。


(いやいや、なんだ下民と生活してたって! しかも、読み書きも出来ないって? 貴族なのに? 聞いたことがないぞ! どういう事なんだ!)


 魔法については、どのみち平民であるダミアンでは命令されても教える事は出来ない。


 魔法というのは、何よりも血と教育が重要だと言われている。

 血については懐疑的な部分もあるが、教育が重要なのはその通りだ。

 そうした教育を受けたことがないダミアンは詳しくは知らないが、魔法教育は幼い頃から魔法に親しむ事が重要らしく、少なくとも10歳頃までに魔法が発動できなければ、その後は何をどう頑張っても生活魔法程度の弱い魔法しか使えなくなると聞いている。たとえ貴族の、あるいは王族の血筋の者であってもだ。

 これが15歳まで魔法に触れずに成長してしまうと、もう生活魔法すら全く発動出来ない完全なる無能になってしまうという。もっとも多くの平民がそうであるので、無能と言われてもピンとくる者は少ないが。


 公爵家三男のローリーが現在18歳であり、下民と共に生活をしてきたというのなら、確かに魔法は全く使えないはずだ。それなら、魔法について教育しても意味はない。


(ていうか、おそらく三男だとか、18歳ってことにしとこうだとか、突っ込みどころがありすぎる! あと下民って具体的に何のことなんだ!)


 ルーベン・ヴォールトは王家に次ぐ地位を持つ公爵家の当主であり、この国の最上位の人間である。彼から見れば、大半の国民はそれは下民と言って差支えがないだろう。

 ルーベンが一般的な平民の事を下民だと考えているのなら、ダミアンだって下民である。

 教育をしておけと言われても、公爵が満足するような教育などダミアンに出来るはずがない。


 下民というのが平民以下の、いわゆる貧民の事を指しているのだとしたら、ダミアンは驚くだろう。

 貧民というのは王国の秩序から外れた者たちのことだ。特定の仕事を持たず、財産もなく、教養もない、国民としてカウントされていない者たちの事である。

 公爵家に生まれ公爵家で育ち公爵家のトップにまでなったルーベンが貧民の存在を口にしたという時点で驚くべき事だ。

 それに、少なくともこの王都の貧民は十年以上前に大半が追放──処刑されている。もちろん貧民の統計など誰も取っていないだろうから正確なところはわからないが、かつてよりはかなり数が減っているはずだ。


 そういった意味で、公爵家三男ローリー・ヴォールトが貧民と共に生活していたというのは少し考えづらかった。

 おそらくルーベンが言う下民とは平民のことなのだろう。


 一応は自分も含む平民を下民と吐き捨てられたと考えると苛立ちも湧くが、ヴォールト公爵家などそんなものだ。

 長男のディランこそ人間的にまともな考えを持っているが、当主ルーベンと次男アーロンは酷いものである。貴族以外は人とも思っていないのだ。


 特にアーロンは最悪だった。

 優秀な兄ディランに対する劣等感と、兄の婚約者グレース王女に対する恋慕の情を拗らせてか、不必要なまでに平民を虐げる傾向にある。

 ダミアンがこの公爵家の門を叩いたのも──いや、それは今は関係ない。


 何であれ、その三男の従者になれと言われたのならそうするだけだ。

 少なくともただの下働きよりは、ダミアンの目的に近付けるだろう。







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