第6話「ルーベン・ヴォールト公爵の受難」





 ヴォールト公爵家はグロワール王家の血を引く一族だ。

 4代前の王弟がその祖とされている。

 現当主のルーベンでは王家の血もかなり薄まっているが、それでも建国王に連なる血筋である事に変わりはない。建国王より連なる血の濃さという意味では、現在の王家とさほど違いはない。


 かつては法服貴族として財務卿を任じられていたヴォールト家であったが、王弟を婿に入れ、公爵位を賜ってからは王国の端に領地を転封されていた。

 これは別に当時の王弟が兄王に疎まれていたからではなく、兄王としてはむしろ逆で、弟を信用していたからこそ国境という難しくも広大な領地を任せることにしたという経緯があった。

 王弟もまた兄王を信用していたため、生涯を通じて隣国であるスフォルト帝国との折衝と、蠻獣ばんじゅうがひしめく大森林を抑える事に尽力した。

 王都から距離があればあるほど王家の力は届きにくく、統治も難しくなる。そのため王都から遠い地域、いわゆる辺境には独自の統治機構とそれを制御出来るだけの力のある大貴族が必要になる。加えてそこが他国と接する国境であれば、その隣国からの間者や調略にも耐えられる強い信頼関係も必要だ。

 時の国王は王弟にそれを求め、また王弟もそれに応えた。


 その代はそれでよかった。血の繋がった兄弟だ。信頼関係もあったし、王弟には実力も人脈もあった。

 その次の代もまあ、よかったと言える。王家と公爵家は従兄弟の関係であり、親の代の人脈もすぐに枯れるものでもない。

 しかしその次は。

 その次の次は。


 血の繋がりも信頼関係も人脈も、代を重ねるごとに薄まっていくものだ。

 そしてそれらは往々にして、都合の良い方だけは覚えているものであったりする。

 公爵家はすでに縁戚である王家を支える気構えを失っていたが、王家の方は未だ薄れた血の繋がりに寄り掛かり、他の貴族よりも少ない報奨でヴォールト公爵家を頼る始末であった。


 現公爵家当主ルーベンは、それを面白く思っていなかった。

 長子ディランが第一王女と縁を結んだのは偶然であったが、それを以て再び王家との関係を強化する──ということにでもしておかなければ、もはや隠しきれないほどにルーベンの、いや公爵家の不満は蓄積されていた。





 そんな折に王家より、ルーベン・ヴォールト公爵はただちに王都に向かい到着次第登城すべし、という通達が来た。

 何の根回しも事前連絡も無しの一方的な通達だ。いかに王家とは言え、貴族位最高峰の公爵相手にとっていい態度ではない。

 となればよほど王家を怒らせてしまっていたか、あるいは王家ですらどうしようもない緊急事態が起きてしまったか、そのどちらかだろうか。


 心当たりがないでもなかったルーベンは一瞬冷や汗をかいた。

 しかし、その心当たりもすぐに否定する。

 何しろルーベンはまだ何も動いていない。頭の中にしかない計画を察知されることなど有り得ないし、証拠も何もない。


 何であれ、呼ばれているなら行かねばならない。

 ルーベンは急ぎ馬車を用意させ、王都に向かった。





 ◇





 数日をかけて王都に到着すると、いつも通り丁重な扱いで王城内まで案内された。

 その様子からはルーベンが何かの罪に問われているような雰囲気は感じられない。王家が怒っている可能性は低いだろう。

 となると緊急事態の方か。

 そう考えて案内役を見てみると、少し気が急いているようにも見える。もっとも案内役は名前も知らないような下位貴族であろうから、貴族としては最高位であるルーベンを急かすような真似は出来ない。


 これは余程の事が起きているな、と内心覚悟を決め、案内役に付いていく。

 本来であれば旅装から略式正装へと着替えをするところだが、その時間さえ惜しいのか、ルーベンは少々の埃を払った程度で王の執務室まで通された。まあ、ずっと公爵家の豪奢な馬車の中にいたので、そう汚れるような事も無いのだが。


(しかし、いきなり執務室とはな。この緊急事態は余人には聞かせられない内容らしい)


 本来、国王への謁見というのは、いくつもの段取りを整え、何人もの護衛や文官がいる前で行わなければならない。

 何の手続きも踏まずに直接執務室に通されるなど通常有り得ない事だ。よほど個人的に仲が良いか、信頼されているのなら話は別だが、前述の通りルーベンは不満を溜め込む程度には王家と疎遠になっている。信頼関係については何とも言えないが、たとえルーベンや国王がどう思っていたとしても、現在は互いの息子と娘が婚約している間柄だ。対外的には信頼し合っている事になっているのだろう。


 案内役に導かれるまま執務室に入る。

 中には王と宰相だけが居た。どこかには隠れて王を護衛する「影」も居るのかもしれないが、ルーベンにはわからなかった。


「来たか、ヴォールト公爵」


 王が自ら立ち、ルーベンに席を勧めた。宰相は眉根を寄せて立ったままだ。

 王国では王より上の立場は存在しないため、王自ら客に椅子を勧める事はない。従者が行なうか、機密保持のため従者がいない場であっても、この場合は宰相がするべき事であろう。


 その微妙な空気から、事態は極めて複雑かつ政治的な問題を孕んでおり、その解決には公爵の力が必要で、ある程度を尊重しなければならないながらも、急に呼び付ける程度には公爵にも責任がある状況なのではないか、と推測出来た。

 加えて言うと、その責任というのは幾ばくかは王も負っている可能性がある。宰相が顰め面で立ったままなのはそれが理由だろう。


(つまり……なんだろうな。全く想像がつかないが)


 公爵家が領地を接する大森林か、帝国関連の話だろうか。それとも王家の血筋に関する話だろうか。ディランとグレース王女の婚約に関する話という可能性もあるが、それならもっと別のやり方があったはずだ。宰相が不機嫌になる理由もない。


「ヴォールト公爵……。初めに言っておくが、余は別に貴公のその、まあ、素行、について疑っているわけではない。だが、余自身の事を顧みても、心当たりがそれほど無いのも事実だ。余には女兄弟しかおらぬし、女は男よりもそういうミスが起きにくいから考えにくいのでな」


 王が何の話をしているのかさっぱりわからない。

 それは傍で話を聞いていた宰相も察してくれたのか、王に一言断り、代わって話し始めた。


「……端的に言いますれば。我がグロワール王国、その王家の血を引く人物が発見されたのです。しかも先祖返りと思われるほど濃い血を引く方が。

 それも、最悪の発見のされ方で」


「王家の血を……。それで、私の素行を疑ったというわけですか」


 王家の血を引いているとなればその出自は限られる。

 王家から零れ落ちたか、王家の縁戚であるヴォールト公爵家から漏れたかのどちらかだ。


 ルーベンに心当たりがあるとすれば、20年近く前、まだ先代公爵が現役であった頃に、現在のディランと同じように王都の別邸を任されていた時のことだろう。

 すでにディランが生まれており、妻が二人目のアーロンを身籠っていた時期、ルーベンも少し粗相をしていた記憶がある。

 似たようなことは同年代の王だってやっていたかもしれないが、ルーベンよりは厳しく管理されていたはずだ。そのくらいの年頃の隠し子が現れたとなると、王とルーベンの容疑はおおよそ3対7か4対6くらいでルーベンに不利といったところか。

 王と宰相の微妙な態度も頷ける。


「……状況は大方把握いたしました。私としても、心当たりはまあ、そんなには無い、とだけ。

 して、最悪の発見のされ方、というのは?」


「はい。その人物──その御方ですが……。どうやら、マルール連邦で傭兵などをしていたようでして……。

 スフォルト帝国より、明らかにグロワール王国の王家の血を引く人間が帝国軍を虐殺しているがどういう了見か、と外交ルートを通じて苦情が……」


 ルーベンは天を仰いだ。

 宰相が何を言おうとしているかを察したからだ。


「そこで、貴卿にはその御方の父親役をお願いしたいのです。血筋から、その方が陛下か貴卿のどちらかのお子である事はおそらく確実……。もうすでにかなりまずい事態ではありますが、ここでもし、隠された王子が帝国で暴れていたなどという事になったら……。

 その点、公爵家の隠し子であればまだ、言い逃れのしようがありますので」


 それは確かに、極めて複雑かつ政治的な問題を孕んでおり、その解決には公爵の力が必要で、しかも公爵にも責任があるかもしれない状況だった。





 ◇





 王と自分のかつての生活を思えば、問題の人物はルーベン自身の子である可能性が高い。


 そうだとしてもこの王都で生まれているはずだが、それが一体どうなったら連邦に流れ、帝国で暴れるような事になるというのか。

 さっぱり意味がわからないが、今重要なのはその人物の来歴ではなく、これからどうするべきかだ。


 ひとまず、問題の人物は公爵家で引き取る事に同意しておいた。

 帝国と領土を隣接するヴォールト公爵家にとっては要らぬ火種を抱え込むようなものかもしれないが、火種であろうと使いようである。

 上手く使えば、ルーベンの野望の一助となるかもしれない。


 ただどう使うにしても、最終的には使い捨てに近い形になるのは間違いない。

 ならば下手にコストをかけても損をするだけだ。駒には最低限、黙って笑って立っていられるだけの常識さえあればいい。それ以上のものは求めない。

 とりあえずは適当に下位の従者をあてがっておき、この国の一般常識を教えておくくらいでいいだろう。







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