第11話「悪役貴族アーロン・ヴォールト登場」
「ローリー様!」
なんとも要領を得ないルーベンの叱責から解放されたダミアンは、まっすぐに庭の離れに向かった。
今後どうするにせよ、まずは本人の真意を確かめておかなければならないと考えたからだ。
「ああ、ダミアン殿か。どうだっただろうか。私は高位貴族の子息として、きちんと役割を果たせただろうか。貴殿に教わった一般常識に則って、かつ最大限穏便に済ませたつもりではあるが」
「お、穏便? 何を言っているのですか! あれだけの兵士を──ええと、たくさんの死者が出たのですよ!」
お前が殺しておいて、と言いそうになったが何とか堪えた。
ダミアンが普段会話をする限りでは、ローリーは理性的で大人しい人物だった。少なくともこの離れの中で彼が暴力的な行動に出たことはない。
むしろダミアンが世話をする前に身の回りは片付けていたり、着替えも自分で用意していたりと、どちらかと言えば素朴で家庭的な面が強い。以前にダミアンが教える事を拒否したお茶の淹れ方についても、数度眺めていただけでほとんど完璧に習得してしまったくらいである。
しかしあの謁見の間で見たように、全くの普段通りの態度でありながら、あれだけの惨劇を引き起こしたのがこのローリーであることも事実だ。
そんな彼を相手に「殺す」という非日常的なワードを口に出すのは抵抗があった。そのワードをトリガーに、ローリーの非日常的な意識がダミアンに向かないとも限らないからだ。
「なんだ、兵士たちのことか。それなら気にする事はない。
兵士というのは戦うのが仕事だ。そして、仕事があるのは幸せな事だ。つまり、戦う機会を得られた彼らは幸せ者だということだ。遺族には年金も出るだろう。
加えて言えば、戦えば必ずどちらかが死ぬ。だから何の問題もない。きっと彼らは幸せの中で死んでいった事だろう。つまり、みんなハッピーになれたと言う事だ」
ローリーはごく普通の口調で、ダミアンが教えた貴族らしくも丁寧な言葉遣いで、聞き取りやすく説明をした。
もちろんダミアンにもよく聞き取ることが出来た。
しかし、何を言っているのかは理解できなかった。
兵士が戦う職業だというのはいい。それはその通りだ。仕事があるのが幸せだという話も間違ってはいない。働かなければ生きていけない以上、仕事は自分や家族の生活を安定させるために必要不可欠なものだ。
だが、戦う機会を得られたとして、本当に兵士たちは幸せなのだろうか。戦わずに済むのならそれに越した事はないのではないか。
それに、戦えば必ずどちらかが死ぬというのも納得出来ない。もしそうだとしたら、戦う職業の者は恐ろしくておちおち対人訓練も出来ないだろうし、訓練のために剣を模して作られた木剣の立場はどうなるというのか。
と、そこまで考えてダミアンはハッとした。
そういえばあの謁見の間で、ローリーは素手で武装した兵士を鎧ごと解体していた。
涼しい顔であんな事が可能なほどの身体能力を持っているのなら、得物が真剣であろうと木剣であろうと大差はない。というより、まず得物自体が必要ない。対人、対蠻獣のために人類が研鑽してきた武器の歴史をすべて無にしてしまうかのような、ふざけた身体能力だ。
あんな力を持っており、そして今言った通りの思想を持っているのなら、相手を殺さずに戦いを終える方が彼にとっては難しいに違いない。
傭兵の主義信条についてダミアンは詳しくないが、もしかしたら傭兵たちには模擬戦や名誉ある戦いといった概念は無いのかもしれない。
それに、そういう文化は平民にはあまりない。
模擬戦は平民出身の兵士たちならやるだろうが、一般常識かと言われると微妙なところだ。
なのでダミアンとて詳しい訳ではないが、一応一般常識として、相手を殺さない戦いのニュアンスくらいは教えておくべきか、と考えて、結局やめた。
正確に伝える自信が無かったし、当主にももう何もさせるなと言われている。
どうせこの離れから外に出さないのなら、知らなくとも問題ない。
「……今日のことは、もういいです。
それより、ご当主様より、ローリー様はこの離れから一歩も出るな、と厳命されております。ご不便でしょうが、離れからは出ないようお願いいたします。何か必要な物があれば私に申し付けてください」
「なるほど……。つまり公爵閣下より、この離れを死守しろ、と命令が下りたという事なのだな。了解した」
(了解出来てない!)
と叫びたい気持ちを抑え、まあ結果的に離れから離れないのならそれでいいか、とダミアンは諦めて頷いた。
離れから一歩も出ないのならば、少なくともこれ以上死人が出ることもないだろう。
強いて言うなら心配なのはダミアン自身の安全だが、今のところローリーがダミアンに対して暴力を振るう様子も理由もない。余計なことをしなければ安全なはずだ。
しかし、この屋敷に住んでいるヴォールトの一族は、ローリーとルーベンだけではなかった。
公爵家長男であるディランは勉学と人脈作りのためか、あるいはいずれ王室に入るという噂が真実だからか、王都の別邸で過ごしている。
しかし次男のアーロンはヴォールト領から出ていくことはおそらくない。ディランがヴォールト家を出るならば次期当主はアーロンになるし、ディランがヴォールト家を継ぐ場合でもディランの補佐をすることになる。そのため彼はこのヴォールト領で当主ルーベンに付いて経営のイロハを学んでいるのだ。
公爵位を継ぐか、あるいは代官か家宰としてヴォールト領で采配を振るう事になるであろうアーロンである。
そんな彼が、自領の兵士たちを無為に殺されたと聞いて黙っているはずがなかった。
◇
「──開けろ! ここにいるのはわかっている!」
翌日、ダミアンがローリーと食事の後片付けをしていたところ──手伝わなくてもいいと言っても聞かなかったから仕方なく一緒にやった──どんどんどん、と扉を激しく叩く音と共に、外からそんな叫び声が聞こえてきた。
「……なんだ。ずいぶんと激しいノックだな。傭兵がするノックはもう少し静かなのだが、貴族式だとここまで激しいものなのか。こういった作法の差異も覚えていかねばな」
「い、言ってる場合ですか! この声、まさか……! なぜこんなところに……」
ダミアンは慌てて玄関へと走り、扉を開けた。
扉の外には兵士を2人両脇に付けた、ローリーと同じくらいの歳の男性が立っていた。ルーベンと同じ褐色の髪と瞳に、よく似た顔立ちをしている。
彼がヴォールト公爵家次男、アーロン・ヴォールトである。
自領の屋敷の離れに来るのに2人も兵士を侍らせているのは経費の無駄と言う他ないが、これがアーロンという男なので仕方がない。それ以前に、少し前に経費の塊である兵士を無意味に大量殺戮してしまったローリーの従者であるダミアンに言える事は何も無い。
開かれた扉を通し、ダミアンの肩越しにアーロンがローリーを見た。
「……そいつがローリーとやらか。ちっ……確かに、忌々しいほど原色だな」
付いてきていたと思っていなかったダミアンは内心で青ざめた。気配がないのでてっきり食堂で待っているものと思っていた。
ローリーとアーロンを会わせるなど、絶対にろくな結果にはならない。しかし今更どうしようもない。
アーロンが言った「原色」とは、髪の色の事だろう。
言い伝えによれば、このグロワール王国の建国王の髪は燃えるような赤い色をしていたのだそうだ。
当時現在の王国領は帝国の一部であったが、その赤髪の建国王が帝国に反旗を翻し、賛同する一部の帝国貴族たちと共に帝国から離反して、新たに国を作り上げたのである。
この時の事は当然帝国にも代々伝わっており、今回のローリーの出戻りも、当時の伝説を思い出した帝国軍の高級将校から外交ルートを通じて王国にクレームが入った事によるものだ。
それはつまり、ローリーの容姿は当時敵国だった帝国から見ても王族の直系であるとすぐにわかるという事であり、王室の血を引いているからこそ公爵位を賜っているヴォールト家の者にしてみれば、嫉妬をするに十分な理由になる。
アーロンがローリーの容姿を見て舌打ちをしたのはそういう理由からだろう。
ただ、わざわざ兵士を引き連れて離れにまでやってきた理由は別にあるようだった。
「貴様。昨日は我が領の兵たちにずいぶんと無体を働いてくれたようだな。居候ふぜいが……。おおかた、一応は客扱いだと気を使って手を抜いた兵たちを一方的に殺戮したのだろうが……。我が領の資産をあれほど損耗させておいて、ただで済むと思うなよ!」
兵士とは言え、人を人とも思わないその口ぶりに、ダミアンの眉根に皺が寄った。
アーロン・ヴォールト。この男は昔からそうだった。
正式に公爵家に仕えている使用人や兵士はもちろんのこと、時には自領の領民でさえ自分の持ち物であるかのように考えている。
ヴォールト領の領都には取り巻きを連れてよく出かけているようだし、夜の店にも出入りしており、店でかなり無茶な行為もしていると聞く。
それが本当なら──
「──ふむ。どうしたのだねダミアン殿。具合が悪そうだが」
知らぬうちに全身が強張ってしまっていたダミアンに、ローリーがそう声をかけてきた。
しまった。
アーロンがあんな事を言うから、つい、憎しみが漏れてしまったようだ。
「……いえ、何でもありません。申し訳ありません」
ダミアンは慌てて取り繕う。
せっかく公爵家に雇われる事が出来、これまで目立たないよう仕えてきたというのに、こんなところで躓いてしまうわけにはいかない。
ローリーという男が、公爵家の人間にしては気安すぎ、しかも型破りすぎていて、なおかつ恐ろしすぎたせいだろう。そのギャップの連続に振り回され、いささか精神的に疲労してしまっていたようだ。
つまらない事で油断し、アーロンにダミアンの感情を気づかれてはまずい。
だが、ダミアンのそんな心配は杞憂だった。
なぜならアーロンという男は、ダミアンのような一使用人のことなど全く気にしていなかったからである。
「貴様……! この俺が話しかけているというのに、無視して使用人如きに声をかけるとは、どういう了見だ! 俺を馬鹿にしているのか!」
怒りを滲ませるアーロンに、ローリーは対称的な冷たい視線を向けた。冷たいというか、これは無表情なローリーにとってはいつもと同じ視線だが。
「……ふむ。今の言葉から察するに、少なくともお前は公爵家の使用人よりは地位が上のようだ。しかしそれ以上の事はわからないな。なぜなら私はまだ、お前に名乗ってもらっていないからだ。
お前はもしかしたら、この世の全ての人間は自分のことを知っていて当然だと思い込んでいるのかもしれないが、残念ながらそんな事はないのだ。まあ大抵の人間は子供の頃にそういった現実を思い知るものなのだが……。ずいぶんと狭い世界で生きてきたのだな。お前のその恵まれない境遇には同情する」
「なっ!?」
なんと、ローリーは無表情のまま、アーロンをそう罵倒したのだ。しかもダミアンが教えた、貴族に相応しいいやらしい言い回しで。
これは流石に、プライドだけが肥大化した典型的な貴族主義のアーロンでなかったとしても頭に来るだろう。
「きさ、貴様あ……!」
「それと、先ほど言っていた、この領の兵士を大勢殺した件だが。
あれは単純に、彼らが私に対して攻撃意思を持ち、私もそれに応える形で反撃したというだけの事だ。結果はあのような形になってしまったが、戦えばどちらかが死ぬのは自明の理。まあしょうがなかった。この領にとっては不幸な事だったかもしれないが、兵士として戦いの中で死ねた分彼らは幸せだっただろう。兵士と言えども領民である事に変わりはない。領民が幸せに逝けたのだから、そこは祝福してやるべきだな。
だから、公爵家の関係者であるらしいお前が私にするべきなのは、恫喝ではなく感謝であるはずだ。もちろん、お前の言った通り
ローリーのこの言葉を聞いた時、ダミアンは諸々と諦めなければならなくなった事を覚悟した。
「ふっ、ふざけおって! おい、貴様ら! この男をこのあばら家から引きずり出せ!」
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