第43話 敗走のハイルトン
「く、くそ。あんな塵にこの私が手傷を負わされるとは――」
魔導具を使いネロ達から逃げ出したハイルトンは、帰路につく途中も怒りの気持ちが抑えきれずにいた。
「キキィ!」
ダンジョンを引き返すハイルトンの前にジャイアントラットというモンスターが姿を見せる。
大型犬程度はある巨大なネズミといった様相の魔物だ。群れで行動し得物に襲いかかる。
「このハイルトンも見くびられたものだな!」
とは言えジャイアントラット自体はそこまで強くはない。手負いの獲物と見て襲いかかってきたが傷を負ったとは言えこの程度の魔物にやられる彼ではなかった。
チャクラムを投げつけたことで通路にジャイアントラットの死体が横たわっていく。
「くそが! この私がこんな雑魚にまで狙われるとは、全てあの糞どものせいだ!」
途中の壁をガンガンと殴り片眼鏡を何度も直す。どうしてくれよう、どうこの落とし前を付けてやろうか、そんなことを考えながら足を進み続けた。
「殺気がこっちまでダダ漏れだぞハイルトン」
ダンジョンの二層まで戻ってきたその時、彼に声を掛ける人物が現れた。ハイルトンは目を見開き、嬉しそうに口角を吊り上げる。
「はは! これは僥倖だ! まさかここでお前たちに会えるとは。いいぞ! よく聞け。殺すべき害虫はこの下にいる。今なら手負いの兎も同然。我々で追い詰めれば間違いなく始末できる!」
「――ほう。そうかい」
ハイルトンが彼らに協力を仰いだ。その目は狂気に満ちていた。一方で話を持ちかけられた彼らからもひりついた空気を感じた。
「それを聞いて安心した。俺たちはラッキーだな」
彼がそう言葉を返す。ハイルトンの眼鏡のレンズがキラリと光った。
「ははは。そうだろうそうだろう。そうと決まれば早速行動に移るぞ」
喜色満面で彼らに語りかけるハイルトン。これで今度こそ目的を達成できると興奮した様子だ。
「連中が戻ってくるならそのまま殺ればいいが、位置的にボス部屋に向かった可能性もある。そうなると面倒だが、道はわかっているこれから最速で向かえば――」
ハイルトンが拳を握りしめ強い口調で訴えた。その時だ鋭い音と共に影がハイルトンの腕を撫でた。
「――は?」
片眼鏡の奥の瞳を見広げ間の抜けた声をハイルトンが発する。
彼の右腕が消失していた。肘から先が地面に落下し、ようやくハイルトンが切られたことに気がついた。
「な、う、腕が、私の腕がああぁああぁあ!」
叫び声がダンジョンに木霊する。左手で右腕を押さえようとするハイルトンだが、その瞬間には左腕も消えていた。
「あ、ああああぁああああぁ! 畜生! 畜生! どういうつもりだ貴様ら! まさか、貴様、裏切るのか! 裏切るつもりなのか!」
ここにきてようやく気がつく。自分の腕が目の前の彼に切られたのだと。ハイルトンは叫び憤慨して見せた。
「――裏切るも何も最初から仲間になった覚えなんてないさ」
冷たい目で言い放たれ、ハイルトンの目の色が代わり叫ぶ。
「き、貴様貴様貴様、貴様らぁああ!」
「うるさい――」
怨嗟に満ちた声が響き、ハイルトンの顔が炎に包まれた。
「ぎ、ぎゃああぁあああぁあ! 熱ィ! 熱ィイィイィィィィィイイィイ!」
ハイルトンが地面を転がり悲鳴を上げるが、その声も次第に弱々しくなっていった。生きてはいる。だが口と喉が焼かれもうまともに喋られないのだ。
「ハイルトン良かったな。ここはダンジョンだ。このまま放っておいてもここに巣食う魔物がお前をしっかり喰らってくれるさ。害虫にはお似合いな最期だろう?」
火傷を負ったハイルトンは憎悪の籠もった瞳で彼らを見た。彼らはハイルトンをそのまま放置し去っていく。
顔を焼かれ喉も焼けた。助けを呼ぶことも出来ない。だがまだ足がある。絶対に逃げ出してやる。そしてあの連中にも目にもの見せてくれる、その思いだけで入り口を目指すハイルトン。
だがその決意をあざ笑うように魔物の群れがハイルトンに目をつけた。ジャイアントラット――先程ハイルトンが雑魚と罵り片付けた魔物だ。
それほど強くはなくある程度の腕を持った冒険者であれば問題にもならない。
だが、手負いになった時、その魔物は恐怖の対象となる。ジャイアントラットは獲物の食べ方が汚くそれ故にジャイアントラットに襲われると簡単には死ねない――徐々に徐々に生きたまま貪り続けられることになる。
故に冒険者はこう口にする。死ぬにしてもジャイアントラットに殺されるのだけは御免だ、と――
ハイルトンの瞳が絶望に染まった。戦おうにも腕はない。叫ぼうにも声が出ない。残るは足だけだが蓄積されたダメージで思うように足も動かない。
そしてあっという間にハイルトンはジャイアントラットの群れに囲まれ飛びつかれ、全身に齧歯類特有の牙が突き刺さり、声にならない声を上げ苦悶の表情を浮かべた。
飢えたジャイアントラットは噛みしめるように獲物の肉体を削り取るように少しずつ 少しずつ捕食していく――
――ポリ、ポリ、ポリ、ポリ……。
こうしてダンジョン内では久しぶりに餌にありつけたジャイアントラットの咀嚼音だけが長らく響き渡ることとなるのだった――
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