第14話 勝利の条件(第一局 中盤)


 最初に持ち時間を全て浪費した上に四間飛車に対して棒銀という作戦負けに等しい戦法を選ぶ初心者。この局面は他者の目には俺がそう映っていることだろう。


 数手目から手付きも危うく見えるように努力しているつもりだ。


 ここまでくれば俺の勝利条件は明白。


 それは、終盤へ行くことなくこの勝負に勝つこと。


 高段者でさえ、アマチュア将棋は終盤力があれば勝てると言われるほどに、終盤はどうしても棋力がハッキリと分かってしまう。


 実は、将棋は相手の王を取らずとも勝つ方法があるのだ。


 俺は大体の方針を固めると☗2六銀と銀を前進させた。本来なら自玉を囲う前にここまで指すが、この手順の拙さすら俺を初心者と思い込む情報になる。


 レインは一瞬考えてから☖4五歩と飛車先を伸ばして駒を捌きに来た。


 やや古いが角交換は居飛車有利という格言したがって☗3三角成☖同銀と進む。


 そのままノータイムで☗1五銀と指した俺に対してレインの手が止まった。


 さすがは高段者。いくら苛立っていても読みを入れるタイミングを間違えるようなヘマはしない。


 だが、折角なので俺も時間を使わせてもらうことにした。


(次に☗2四歩から飛車先の突破が成立するのでこれを受けるしかない。第一感は☖2二飛車だがそれは☗2六銀と引いて3筋から銀を使える。これはこちらにとっても不満が無く、向こうからすればチャンスを逃した形になるだろう。他に考えられる可能性としては……)


 その瞬間、レインは持ち駒の角に手を添えると自陣のすぐ近く、☖5四角と打った。


 自陣角と言ってもいいであろうこの角は棒銀対策として有名な手だ。


 飛車先の牽制によってこちらの仕掛けを封じつつ、玉を睨む堅実な角だった。


 これに対する俺の対応は☗2六飛車。


 これは角による飛車先の牽制を避けながら、飛車で玉頭を守ろうという手だ。


 一見好手に見えるこの手には大きな落とし穴があった。


 それは☖2二飛車からの千日手。


 千日手とは同一局面が四回以上生じることであり、先後を逆にして指し直しになる。


 だが、いくら後手番とはいえ、このレインが有利な局面、かつ初心者相手に千日手を仕掛けるのは心理的に難しい。


 よってレインは一度飛車先を受けるために☖2二飛と回りながらも千日手とは異なる変化を選んだ。


 局面は決してこちらにとって優しくない。


 だが、悲観するほどでもない。


 そうして、銀の前後や歩突きから水面下での激戦が始まった。


 もっとも、表面だけ見れば肉食獣からどうにかして身を守る被捕食者にしかみえないだろう。


 とはいえ、あまり綺麗に対応しすぎても初心者の面目が保てない。


 よって俺は敢えてレインの攻めを誘うことにした。


 ☗3六歩という如何にも振り飛車の捌きが成立しそうな手。


 高段者どうしなら怪しんで乗らないであろうその手も、初心者相手なら強引な攻めで成立することが多い。そして俺の予想通り、レインがその誘いに食いついた。

 


 

 相変わらず微妙な距離を保ちながらも対局を観戦するルナとシンジ。


 ☖4六歩とレインが4筋の歩を突いて、ついに開戦した。


 将暉の陣へ、ダムに穴が開いたように一気に敵駒が攻め込んでくる。


 腕を組み対局を観戦していたシンジが余裕そうにルナを煽った。


「ここまでは必死に攻めを防げていたみたいだけど、もう終わりだ。彼の捌きを見るがいい」


「へえ。楽しみだね」


 ルナの返事が気に入らなかったシンジは舌打ちをすると盤面を睨みつける。


「ふん。その仮初の余裕もいつまでもつことやら。どう見ても3六の歩が浮いて、それを守る手順がない。この歩を取れば角銀が捌け、飛車も扱いやすくなる。そもそもの棋力さを考えてもレインの勝ちは揺るがない!」


「ご丁寧にどうも」


 淡々とした無感情な返事。


 シンジは棋力差があるにも関わらず、ここまでせめぎ合いをしているという事実に疑問を抱いていなかった。


 一方ルナは髪を弄りつつ盤面を凝視して読みを入れる。


(ボクはマサ持ちかな?)


 それから互いに持ち時間を消費しつつ(将暉は秒読みだが)指しては進む。


 レインの角が3六の歩を奪い、それを埋めるように将暉が銀を引いた。


 それに対してレインは☖6四角と冷静に自陣へ角を引き、銀を捌く用意が整う。



 ここまではシンジの読み通りだった。


 ここでルナの読みが外れた。



 彼女の読みは☖6三角の代わりに☖5四角だった。


 将棋というのは残酷なゲームで棋力によって文字通り見える世界が違う。今、それが顕著に表れた。


 レインが角を引いた瞬間、間髪を入れずに将暉が持ち駒の歩に手を伸ばし☗3二歩と打つ。


 パシッという軽い音と共にレインが目を見開いた。


 一見ただで取れそうな歩。だがそうすると飛車の均衡が崩れて将暉の攻めが成立してしまう。だが無視すれば一方的にと金ができて不利になる。


 つまり、将暉の技が成立した瞬間だった。


「マサが一本取ったみたいだね」


「……」


 先程までの勢いはどこへ行ったのか、シンジも黙っていた。


(それにしても☖5四角でも同じでいいのか……。ここまでの将棋を持ち時間なしでするって、マサの正体はやっぱり……)


 観戦するルナの胸は高鳴っている。自分と噛み合った深い読みにあの絶対的に不利と思われた棒銀からのこの盤面。興奮するなという方が難しいだろう。


 ルナは改めて将暉の対局姿勢を見る。


(やっぱり顔立ちも似てる気がする。それに時々素で動かす、あの駒の持ち方、置き方、読みの速さに指し回し……)


「やるじゃないか」


 対局中相手に話しかけるのはマナー違反……とは言わないがそれでも話しかける人は少数だろう。実際、今のレインの声もただの呟きだ。


 だが、この一言でレインの雰囲気が変わった。

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