第12話 初手の長考

 ルナに背中を押されて畳の上へ踏み出すと、突如騒音が消えて周囲が六角形の壁に囲まれた。どうやら各面に盤面が映し出されて観戦しやすいようにする仕組みらしい。


 俺とレインが座布団に座ると、

 [賭けの内容はレイン、10万G、ショウ、棋士団への加入です。賭け将棋のため対局前にサインをしてください]

 と電子的な声が流れた後、ごちゃごちゃと長い説明文と白紙のウィンドウが表れた。ただ、気になったのは既にルナのサインが書いてあることだ。どうやってルナまで棋士団に引き込むつもりか分からなかったが、恐らく連帯保証人的なシステムだろう。


 適当に自分のユーザーネームで登録したショウという文字を書く。


 [対局者はショウA10級とレインA四段です。持ち時間は対局を受けたレインの選択で5分と秒読み30秒になります。先手はショウです。それでは対局を始めてください]


「「お願いします」」


 互いに軽く頭を下げた。


 俺は、左側に置いてあるボタンの無いデジタル式チェスクロックが進んでいることを確認して、手の震えややり場のない苛立ちを抑えつつ思考を開始した。


 対局前に考えなければならない点が幾つかある。


 まず、WSCにおける棋力。初心者は10級からスタートはいいとして、Aってなんだ?いくつか候補は考えられるが……。とりあえず俺のイメージする四段の棋力と仮定しよう。


 次に負債金額の予想だが、Cランクの強制対局は可能でAランクの棋士団への強制加入はできないということは、一人当たり5万以上25万以下か。


 と、俺の思考を中断するようにレインが口を開いた。


「おい」


「何だ?」


「お前が先手だぞ」


「初手を考えている。思考の邪魔をするな」


「ふっ。本当に初心者か。駒の動きくらいは分かるんだろうな?」


 レインは他意なく単に退屈そうだ。お前個人には恨みはないが、もう少し時間をいただこう。


 それからも俺はひたすらに対局と関係のない思考を巡らせた。


 幾らか操作を確認したが対局中はウィンドウが表れないし、外部へ連絡はもちろん、ログアウトもできない。恐らく助言やマナー違反を防止する目的だろう。


 それにしてもルナは聖稜館について知っているようだった。だが、あの過剰な反応は一体なんなのだろう。そもそもルナの本当の棋力はどの程度なのだろうか? 将棋を指せないという話も気になる。


 ルナに関して言うならコイツ等の目的も怪しい。ただ高段者の勧誘にしてはどうにもルナに固執している。それにシンジが漏らしたあのお方とは一体。


 そこまで考えて一度思考を止めた。これ以上は情報が足りないのか頭が足りないのか分からないが、答えは出そうになかった。


 ……あれを使うか。


 知らない方が幸せであるという言葉を信じさせてくれた呪い。


 昔は無条件に発動していたので苦労したものだ。


 俺は目を閉じ、右手を丸めてその中にため息を吹きかけることで集中力を高める。これが、この呪いを発動するための習慣になっていた。



 その瞬間、散らばった事象が一気に線でつながる感覚に襲われた。



 追いかけるだけの集団、絶妙なタイミングでのシンジの登場、執拗なまでの勧誘、そしてルナに訊きたい話。


 数多の可能性が列挙され否定されていく。



(視えた、な。そういうことか。稚拙ながらも意外と周到な作戦だ)



 シンジの真の狙いを理解し、対策を立てる前に直面する最大の問題にシフトした。


 さて。俺は将棋が嫌いだ。何なら盤駒を見るだけで悪寒が走り吐き気がするほどだ。


 そもそも俺は本当にこの対局をする必要があるのか?


 ここで、投了するか。なんなら時間切れで負けてもいい。


 どうせ俺は聖稜館での要件を済ませれば二度とこの世界には入ってこないのだ。ルナには申し訳ないが、多少行動を制限されたところで、とは思う。


 [秒読みを始めます]


 無機質な声が部屋に響く。


 だが、いくら嫌いなゲームでも、自分に損害は無くても、ルナには案内してもらった恩があるのは確かだ。


 [十秒]


 俺は覚悟を決めて思考を加速させた。俺の本当の敵は盤上にはいない。


 [二十秒]


 「……これが最善だな」


 [1・2……]


 俺は怒りを抑え、不快感を無視し覚悟を決める。


 そのせいか、思ったよりも強く駒を叩いてしまった。

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