第8話 法被の上司
完全に捕まったな……。
俺は相手を刺激しないよう極力丁寧に、
「そこを通してもらえませんか?」
と声を掛けてみたが返事は無かった。
無論黙認という訳ではなく、取り付く島もないという強い意思表示だろう。
WSCは戦闘メインのVRではないが、この世界の基盤プログラムが高性能の物理エンジンによって動いているのは、すでに彼らの一人で実証済みだ。
となれば現実と同様に力ずくで通り抜けることは理論上可能だが、この人壁をかき分けられるとも思えない。
また別の問題として、不要に暴力をふるえばすぐにアカウントを凍結されてしまう。一般にVRゲームは複数アカウントの所持ができないため、聖稜館へ行くまではこのアカウントを失うという選択はできない。
俺が必死に脱出手段を模索する一方で、隣にいるルナは少し肩を震わせながらも、それを隠すように法被集団へ嫌悪の視線を向けていた。
そういえば、と今更になって思い出すが、彼女曰く彼らはストーカーのようなものらしい、という情報しか聞いていない。
俺は声を潜めてルナに尋ねた。
「お前、何したんだ?」
「人聞きが悪いこと言わないで。ボクは何もしてないよ」
「本当に何もしていなければこんな状況にはならないだろうが」
「うっ。正論はズルい……」
すぐにルナが言葉を詰まらす。
しばしの間の後、ルナは堂々と告げた。
「棋士団に勧誘されたのを断っただけ! ちょっと言い過ぎたかもしれないけど……」
「……ちょっと?」
その気になる補足に、俺は確認の意を込めて法被達を一瞥する。
その視線を受けた法被の一人が力強く答えた。
「確かに俺達も強引だったかもしれない。だが、お前のせいで多くの仲間がWSC内の病院に通院するはめになったんだぞ!」
通院、暴力沙汰か? 性格はともかく、ルナはそこまで血気盛んな人種には見えないが。
俺の疑問に答える形で、続く他の法被達が叫んだ。
「ああ。俺達の多くが心に傷を負った!」
「そうだ。あんな非人道的なことよく口にできるな!」
本当に何を言ったんだ、このボクっ子。
そして法被達よ、思ったより繊細な性格だったんだな。通院って精神科か……。
まあ状況としてはかわいいネコを捕まえようとしたら実はトラでした、という所だろう。一昔前のSNSで可愛い女の子がいたから寄って行ったら手厳しく拒否された、と表現した方が正確だろうが生々しくて想像もしたくない。
……本当に禄でもない世界に来たものだ。
それはそうと、大体の事情は理解したが、結局こいつらがなぜルナを追い回しているのかは未だ不明だ。
謝罪の要求、お礼参りなどがベタだが、それにしては必死過ぎるしこの人数で動くほどの理由にはならない。
ふと、先程転ばせた法被の緩慢な動きと今の必死さの違いから、ある可能性に思い当たった。
これはまさか……。
だが俺が思考をまとめるより先に、突如として狭い路地に柏手を打つ音が鳴り響いた。
その場にいた全員の視線が音の発信源に集中する。
「はいはい。それ以上は見苦しいよ」
まるで教祖でも現れたかのように声と共に法被たちが頭を下げた。
正面の人垣が水のように開くと、一人の青年がこちらへ来る。短く整えられた髪に黒縁の眼鏡。高い背に合ったスーツの胸元に団扇のエンブレムがついていた。
どうやらこの集団のお偉いさんらしい。
「部下が見苦しい真似をしたね。この通りだ」
そう言って青年が軽く頭を下げた。
一瞬拍子抜けした様子を見せつつもルナは腕を組んで男を牽制するように睨みながら返す。
「次に過度な勧誘とかやったら運営に通報するからね?」
「分かった。徹底させることを約束するよ」
そう余裕気に顔を上げた男は安堵というよりも全て予定通りと言わんばかりだ。ルナの話にも機械的に返しているだけで話を聞いた素振りがない。
「それとは別に君たちと相談したいことがあるんだけど、いいかな?」
俺達は顔を見合わせる。
ルナの目が明らかに怪しいと訴えていた。
「ここで話すのもなんだから付いて来てもらえるかい?」
そう一方的に告げて青年は今来た道を引き返す。明らかに裏のある話し方だが、この場を抜け出すにはついて行くしかない。
横にいる不安げな様子のルナに一瞬目配せをすると彼女は軽く頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます