第二章

第6話 法被再び

 互いにフレンド登録を済ませた後、WSCを案内してくれるというルナの申し出をありがたく受けることにした。未だ俺の目的を伝えてはいないが手がかりくらいは掴めるかもしれない、という打算のもとの行動……だったのだが。


「ルナさん、一ついいですか?」


「敬語アレルギーって言ってるでしょ」


「……一ついいか?」


なんとも楽しそうな表情でたこ焼きを頬張るルナに俺は一声かけた。


「やっぱり欲しいの? だからずっと「今日は奢ってあげる」って言ったのに」


 その言葉と共にスッと差し出しされる空の器。


 あれ? と不思議そうな声がしたが空耳に違いない。


 近くの屋台へ買いに行こうとするルナを引き留める。


「そうではなくだな」


 目の前の少女はその二つ結びの髪を揺らしながら小首をかしげている。この数時間で可愛らしい、という感想は薄れむしろ腹立たしく感じ始めた。可愛さ余って憎さ百倍とはいうが、それとは何か違う気がする。


「食べ歩きはもう十分じゃないか?」


「そう? ボクは全然」


「でしょうね」


「け・い・ご」


「気にするな。ただの皮肉だ」


 要するに、俺の打算は完全に誤った解を導き出していた。


 複数のエリアを移動してマップの見方やゴールドの使い方、いろいろと知っておくと便利な場所などの案内もしてもらった。が、一か所案内されるたびにすぐ周囲の飲食店へ入ろうとするので食べ歩きで我慢してもらっている。


 俺の方はゴールドの温存のために極力食べ物の購入は避けたいところだが、ルナに気を使わせるのも申し訳ないので軽く付き合いで食べることにした。


 しかしながら最初に食べた焼き鳥もタレである醤油の香や味、焼き立ての熱まで完璧に現実世界と代わり映えない、いや、それ以上の味わいだった。


 そして俺は、残念ながらこれを素直に楽しむことはできなかった。


 この世界は所詮作り物だ。彼女との些細な会話すも所詮はデータ上のやり取りで無駄な時間に過ぎない。


 そんな考えが表情に出てしまっていたのかもしれなかった。


 ルナはどこか寂しそうに俺の顔を覗き込むとゆっくりと口を開いた。


「マサはどこか行きたいところはある?」



 ……目的を伝えるなら今だろう。



「俺は……」


 だが、そんな俺の言葉よりも先に遠くから掛け声が聞えてきた。


「いたぞ!」


 屋台の賑わいを貫くような声の主はルナを追いかけていた法被の集団であった。

本人曰くストーカーみたいなものらしいが、それにしては目立ち過ぎではなかろうか。


 きっと全国ストーカー学会から抗議が来るだろう。そんな学会があればさっさと検挙されるべきだが。


 俺がそんな下らないことを考えていたのは、先とのデジャブで対岸の火事と思っていたからだ。


「ヤバっ」


 そのルナの慌てた声を聞いて俺も当事者であることに気付いた。


 急いでルナが走り始めたので後を追う……が、すぐに立ち止まった。正面からも法被が現れたのだ。


 先ほどとは気合いが異なるようで、戦々恐々とこちらへ向かってくる男達。


 これが少女なら……いや、人はダメだな。猫くらいなら可愛げもあっただろうに。


 視線だけで周囲を確認するとやや寂れた町の雰囲気に溶け込むように少し先の右手に薄暗い路地の入口があった。


 俺は黙ってルナの手をとると、迷わずその道を選択する。


「あっ、ちょっと……」


 横目で見たルナの頬に赤みがさしているが、息切れには早すぎないだろうか。


 俺はエリアへ入った直後に見た地図を脳内で再生しながら逃走ルートを練り上げる。確かこの路地にはいくつか分岐点があってアリの巣のように張り巡らされていたはずだ。


 このゲームのエリア移動は各エリアに複数ある転移ポータルを用いて行う。そして一つのポータルから複数個所へ転移が可能なためそこが逃げる場合のゴールと考えるのが普通だ。だが今回のように相手が多数の場合には既に抑えられていると考えるのが自然。よって行方を暗ませてどこかの店内へ隠れるのが最善となる。


 地図によればこの路地を抜けた先に喫茶店がある。そこに一度身を隠してから再度ポータルへ向かうか。


 ゲームの世界だけあって疲れを感じないし、背後から追ってくる法被の姿は小さい。


 間一髪逃げ切れた、その計算自体は間違っていなかった。


 誤算があったとすればルナの性格だろう。


「あ、宝箱」


 そう口にするが早いか、ルナは立ち止まり、軽く掴んでいた腕が引かれて俺も足を止めた。

 視線の先を確認すると灰色の壁に煤のような黒い線で詰将棋が描かれていた。凝視すると手元に現れた回答用のポップが証拠を主張しているように、どうやらこれも例のトレジャー詰将棋こと宝箱になっているらしい。


 だが、今はそんなことをしている場合ではない。先ほど曲がった角で視認こそできないが近くまで追っ手が迫ってきているのだ。


「ルナ、行くぞ」


 俺が必死に訴えるも時既に遅し。ルナはすでに思考の海へと沈んでいた。


 もう俺の声は聞こえていないらしい。


 これだから将棋指しは……!


「初手は飛車捨て一択として……ああ、桂馬の限定合いか、じゃあ……」


 小さい手を頬に当ててブツブツ言っている。どうやら意地でも解き切るつもりのようだ。このままでは追いつかれるし彼女を動かすにはどうしたらいいか。


 俺の思考はそれまでの運動エネルギーをすべて変換したように高速で回転する。

詰将棋と言うのは厄介なもので、一度見ると答えが気になり解けるまで思考を奪われる。ある程度の棋力になれば脳内に盤ができるため、仮にその場にいなくても脳が勝手に解き始める始末。そんな軽い拘束具にも似た詰将棋を解く気をなくす方法……それは。


 即座にポップを操作し入力する準備を整える。


 一瞬アレを使うか迷ったが、時間も無いので素早く指を動かした。


「十九手、ね……?」


 ルナが硬直するがそれも当然だろう。彼女が解き終わると同時に壁に貼られた詰将棋にclearの文字が浮かび上がった。


 そのまま、ルナは顔をこちらに向けた。その表情は意外さと不服さ、そして興味を混ぜ合わせた様な、なんとも形容しがたいものであった。


「……ボクより早く解いたの?」


 どうやらルナは状況を悟ったらしい。


 そう、詰将棋を解いたのは俺だった。

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