第5話 金髪の少女、ルナ

 それにしても本当にアレが解ける程の棋力の持ち主なら初心者ではないだろう。聖稜館について何か知っているかもしれない。


 俺も法被集団と一緒に追いかけるべきだったか……。


「やあ。また会ったね」


 ふと振り返れば、思考の中心にいた少女が目の前に存在していた。


 空々しい声を放ったその薄い唇には悪戯成功、という小悪魔てきな笑みが浮かべられている。


「さっきはありがとう。おかげで無事に逃げ切れたよ」


「気にするな。初心者で動きに慣れてないだけだ」


「ふーん。じゃあそう言うことにしとく」


 迷子の猫でも見つけたように、そう言えば、と少女が訊いてきた。


「こんなところで何してるの?」


 言われてようやく気付いたのだが、いつの間にか緑の芝生の茂る広場に来ていた。


 道は赤レンガで舗装されており、中央の噴水が奇麗な虹を描いている。


「散歩……だよな?」


「なんで疑問形……?」


 頬を撫でる風に金色のツインテールを揺らしながらため息交じりに少女が言う。


 そう言えば初対面にも関わらず、なぜかそんな感じがしなかったので砕けた口調で話してしまった。


 紳士的な振る舞いを自称するためにも、敬語に切り替えてから気になったことを確かめる。


「ところで、先ほど追いかけてきた人たちはいいんですか?」


「ああ。彼らは……宗教の勧誘とかストーカーみたいなものだから気にしなくて大丈夫」


 ……それは大丈夫なのだろうか。


 あまり聞かれたくない話だったのか、それだけでこの話題は終わり、という雰囲気を出している。


 どうやらその読みは当たっていたようで彼女はすぐに話を変えた。


 いや、最初からこの話題を振るつもりだったのかもしれない。


 少女は前髪を揺らしながら伏し目がちに訊いてくる。


 定まらない視線は風に靡く芝生に語り掛けているようだった。


「名前は?」


 まるで何か失くしてしまった宝物を必死に探すような切実な声。


 ここまで感情の込められた一言を俺は知らない。


 だが、俺は俺自身が彼女の探し人でないことを知っている。


 だからこそ丁寧に、ゲーム内では御法度と言われる本名を強調して答えた。


「神戸将暉、ここではショウと名乗っています」


 俺の名字を聞いた少女の顔に失望が浮かび、名前を聞いて疑うような視線を向けてくる。


 まあ、人違いなのだから綺麗に諦めていただけると幸いだ。


 もっともキャラメイキングのできないWSCでどうして間違えたのか疑問は残るが……。


「人違い……?」


「なんて?」


「なんでもない。じゃあ……マサね!」


「いや、ショウの方がプレイヤーネームなのでそちらで……」


「いいじゃん。その方が面白いし」


 始めの言葉を聞き取れなかったが、先ほどまでの態度が嘘のように楽しそうだ。情緒不安定なのか、演技なのか。


 そして彼女は何かウィンドウを探っていたが間もなく手を止めた。


「マサ……じゃなくて検索するならショウか。あ、やっぱり初心者なんだ」


「そうです」


「さっきから気になってたんだけど、なんで敬語になったの? そういう呪い?」


「いいえ」


「海外サーバーからの翻訳ミス!」


「残念ながら日本人です」


「ならボクの言いたいことは分かるよね?」


 わからん。


 そんな俺の沈黙を拾ってか、少女は両手を腰にあててキッパリと言った。


「敬語やめて。ボクは敬語アレルギーだから」


「アレルギー……」


 彼女の言葉には辟易とした疲れが宿っている気がする。聖稜館についても訊きたいのに、ここで機嫌を損ねるのは悪手だろう。


 俺はため息で妥協を告げると、最初の質問に答えることにした。


「さっき始めたばかりだからな。立派な初心者だ」


「なかなか聞かない表現するね……。棋譜履歴もないからそうかとは思ったけど」


 WSCでは棋譜に著作権はなく誰でも自由に棋譜をみることができる。つまり、プレイヤーネームを検索するだけでその人物の対局履歴を確認できるという訳だ。


 さて、先程の詰将棋は実力が偶然か。


 これくらいは知ってもバチはあたらないだろう。


「こちらも名前を聞いて良いか?」


 俺が名前を問うと、急に黙り、しばしの間を空けて少女は言う。


「先に一つ聞かせてもらってもいい?」


 疑問に疑問で返すのは非常識。


 この常識があるからこそ、敢えて一度確認を取ったのだろう。


 そんなことを考えながら俺は首肯する。


「ああ、構わない」


「なら……」


 特にイベントの無いこの公園では周囲に人は無く、やや離れた噴水近くのベンチで一組の男女が座っているだけだ。


無意味に緊張する俺に対し、目の前の少女から言葉が紡がれた。



「ねえ、将棋は好き?」



 唐突な確信を突いた発言に思わず黙り込んだ。


 先程までの緊張が消え、代わりに黒い感情が蘇る。


 だが、この感情との付き合いも長いのだ。


 俺は妙に感度のいいこの世界にポーカーフェイスを向けると笑みを浮かべて告げた。


「大嫌いだ」


 この時の彼女の表情は何故か分からなかったが、少し声が小さくなった気がする。


「理由を聞いていい?」


「いろいろだ。負ければ悔しくて勝てば恨まれる。強い奴ほど偉いという時代錯誤な人と弱いことを他人のせいにして努力しない人。まさに枚挙にいとまがないってやつだな」


「マサだけに?」


「プレイヤーネームはショウだ。というか、せっかく人が初対面の相手に語っているのに茶化さないでもらいたい」


「それはマサが本当のことを言ってくれないからだよ」


 この言葉を聞いた瞬間、感情が止まった気がした。


 確かに言い方がやや茶番じみていたかもしれないが、昔の不満を上げ連ねても誤魔化せないらしい。


「……気にするな、一身上の都合だ」


「ふうん。そのうち教えてね」


 そのうち、ね。


 俺は来ないであろうその時を考えないように、端的に言った。


「気が向けばな。それにもう一度言うが、俺は将棋が嫌いだ」


 だから長居はしない。


 裏の意図が通じたのかは不明だが、目の前の少女はどこか複雑そうに、それでもしっかりと俺の目を覗き込み、その透き通る碧い瞳で言った。


「それならまた、将棋を好きにしてあげるよ」


 そういう彼女の微笑みは見るものすべてを魅了するようであった。余計なお世話だ、なんて言葉は出ない。


 苦し紛れの返答が限界だった。


「それはないな」


「それはないよ」


 そう即断するとウィンドウを開き何やら操作し始めた。


 俺が口を開くより早く目の前に文字が表れる。フレンド申請の通知が一件。



「ボクの名前はルナ。よろしくね、マサ」



 そう言ってどこか満足そうに自己紹介するルナという少女。


 会って間もないはずなのに、すでに嫌な予感しかしない。


 俺にできたのは一刻も早くこの世界と別れられるように祈ることだけだった。

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