第2話 始まりの街:振り駒街
さっきのノイズはバグだろうか?
そんなことを考えながら手足を動かし、正常な感覚があることを確かめる。疑似的な重力が俺を縛り付けていた。
周囲には鏡があり自分の容姿が確認できた。
この世界ではキャラメイキングが存在せず、髪の色や長さを変更できる程度だ。よって左右の壁に飾られた巨大な鏡には現実と遜色ない冴えない顔が映っていた。ただ、このいかにもつまらなそうな表情まで再現する必要があったかは抗議したいところだ。
服装は初期設定の見慣れない制服を着ており、それだけがこの世界をゲームだと教えてくれている。
軽く体を動かすがてら周囲を見渡した。
左右にはレンガの壁に取り付けられた先ほどの姿見があり、正面には階段が見えた。
階段は上階が立ち入り禁止区域になっているため、道なりに進み階段を降りる。足を踏みしめる感覚は現実と同じはずなのに心なしか重い。
小さな踊り場で折り返し、さらに降りると目の間に予想外の景色が現れた。
充実した空間に思わず感嘆が漏れる。
そこは将棋の書籍や駒、扇子などが所狭しと並ぶアイテムショップだった。駒は設定で変更できるだけ、本もただの電子書籍に過ぎないはずだが、現実の店と遜色ない。
「どっちが現実か区別がつかなくなりそうだな」
もっともこんな世界が現実なら引き籠りになる自信がある。
……去年も出席日数がギリギリだったので既に似たようなものかもしれないが。
俺がショップへ足を踏み入れると虚空にNPCと表示された店員が声を掛けてきた。
「こちらで受付を済ませてください」
ユーザーネームの登録場所を疑問に思っていたが、どうやらここがそうらしい。
面倒に思いながらもレジの前に立つと目の前に操作ウィンドウが出現した。
空中に置かれたような文字を読み取り、五十音を発音、簡単な書き取りをする。
数分でそれらを済ませると
「それではお名前を教えてください」
というNPCの言葉と共に、再度ウィンドウが開かれた。
「名前ね」
本来なら熟考するところかもしれないが、どうせ長く続けるゲームではない。
俺は少し迷ってから本名である神戸将暉の「将」の字から[ショウ]と入力した。
「『ショウ』様ですね。発音がよろしければOKボタンを、誤っていれば修正をお願いします」
俺が適当に何度かイントネーションを直すとその女性たちは俺の発音に習い繰り返し読み上げた。
満足する発音になったのでその旨を告げると
[初期ボーナスとして1000Gを受け取りました]
という表示が現れた。相場は不明だが、このGというのは仮想通過の単位なのだろう。
決して例の人類を恐怖に陥れている生物ではないという点が重要だ。
「行ってらっしゃい!」と送り出す人のような声に押される形で無意味に会釈してからショップを後にした。
自動ドアを出ると再度感嘆が漏れる。
目の前にはまごうことなき街が広がっていた。都心の一部を再現したらしく二本の有名な電波塔も見えるが、その一方で物理的に不可能な建造物を含む遊びある空間だ。
さらに特筆すべきは街を歩く人。アイテム購入地点であるのだからプレイヤーが集まるのは分かるが、表示が無ければ区別できない数多のNPCがこの光景に貢献していた。
……別に俺はこの世界に見ものをしに来たわけじゃない。
本来の目的を思い返す形で視界を外し、先程のチュートリアルで聞いた通り空中で指をスライドさせる。すると、[棋力、ユーザーネーム、プロフィール、メール、フレンド、アイテム]など様々な項目のウィンドウが表示された。右上に記されたエリア名によると、ここはどうやら[振り駒街]というらしい。
ゲームが始まる前の初心者がログインするからだろうが、なんとも芸がない名前だ。
次にメールの欄からリアルのアドレスと同期させてそのうちの一通を開いた。
先週、受け取った古い恩人からのメールだ。今時珍しい同期遅れか分からないが、差出人の欄だけが文字化けしている。
[WSCの聖稜館で待っている。君はもうこの世界に関わりたくないだろう。でも、どうしても君に見せたいものがあるんだ。そして、僕を裁いてくれ]
久しい、具体的には俺が将棋を離れて以来の約5年ぶりの連絡になるにもかかわらず本文はこの短さで終わっていた。
早々とこの目的を果たし、この世界から脱出する。
そう異世界に迷い込んだ主人公のようなことを心に誓いながら、今度はメインウィンドウの地図欄から聖稜館と入力して検索した。
……が、何もヒットせず地図は動かなかった。
考えられる可能性が脳裏に列挙される。
バグ、何らかの権限か条件が必要になる限定エリア、プレイヤー間でのみ用いられる通称、そもそも別のゲームの可能性……。
「少し調べるか」
情報があるなら考えればいい。
情報がないなら集めればいい。
俺は足早に雑多な情報の集まるこの町を歩き始めた。
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