第3話 セコ

 改めて、今の自分の姿を鏡で確認する。今着ているのは、膝丈のシンプルなワンピース。


 薄い水色で、ノースリーブだ。これで寒く感じないって事は、今は夏?


 足元は、スリッパ。これもシンプルな品だけど、履き心地はいい。靴下はなし。下着は……下は履いてる。上はなし。


 洗面所からキッチンとは違う扉を通って出た先は、玄関ホールだった。奥には二階に続くらせん階段。


 洗面所の扉を背に右側には、大きな扉と上がり框がある。あれが、玄関か。外用には、つっかけのサンダルが一足。


 それに履き替えて扉を開けると、眩しい光が差し込んできた。


「うお……今は、何時だろう?」


 少なくとも、昼前に見える。玄関の外にはテラスがあって、そこから階段が下に伸びていた。


 階段からまっすぐ敷石が敷かれて、それが木戸まで続いている。敷地の中は芝生。でも、木製の柵の向こう側には、アマゾンのような密林が見えた。


「本当に、密林のど真ん中にいるんだ……」


 そして密林からは、今もギャースギャースと濁った声が響く。たまに象のような鳴き声や、ライオンの吠えるような声が聞こえてくるんだけど。


 あれ、絶対モンスターだよね? 柵は木製だし、飛び越えたり壊したりして敷地内に入ってきたりしない?


 慌てて手に持ったままだったタブレットを見る。えーと、異世界の歩き方に、この敷地の柵の事とか載ってないかな。


「えーと敷地敷地……あった! えーと、何々?」


 この敷地は特殊な結界で覆われているので、持ち主……この場合は私だね。私が招き入れない限り、誰も入ってはこられないそうだ。


 って事は、あの鳴き声の主は侵入不可か。良かった……一安心したところで、もう少し周囲を見てみよう。


 とりあえず、階段を下りて芝生に下りる。振り返った先にある建物は、やっぱりログハウス。


 柵沿いに歩いてみたけど、ログハウスを中心にぐるりと丸い敷地だ。敷地内にあるのは、ログハウスのみ。


 柵から外に手を出してみようとしたけれど、見えない壁のようなものに阻まれた。これが、結界?


「なるほど……これで誰も入ってこられないのか……」


 敷地の確認が終わったので、再びログハウスに戻る。LDKの反対側にも部屋があって、そこには何も置かれていなかった。がらんとした大きめの部屋。寝室とかじゃ、ないんだね。


 二階に上がると、大きな一部屋だけで、ここが寝室だった。両手を広げたよりも幅が広いベッドがデーンと置いてある。


 寝具も備え付けられているので、いつでも寝られるのは助かるわー。幼女女神も、どうせならこの部屋に落とせば良かったのに。


 ベッドの他にはウォークインクローゼット、書き物机、本棚らしき棚。奥の扉の向こうは洗面台とトイレだった。二階にもトイレがあるのは助かる。


 下に戻って、洗面所の両脇にあるトイレと風呂場も確認。トイレ、上も下も水洗でした。風呂場、日本風でした。湯船大きいー。


 にしても、ここの汚水、どこに行くんだろうね? 密林に垂れ流し? でも、敷地内を見回った時は、下水道のようなものは見なかったけど……


「これは、多分深く考えちゃいけないやつだ」


 うん、ふわっと考えておこう、ふわっと。何せここは、私の常識が通用しない世界だ。


「ガスとかもあるのかな……電気は……あ、ガス代に電気代、水道代とかどうなってんの?」


 疑問に感じたら、まずは歩き方アプリ。お、ガス水道電気は使い放題だ。光熱費ゼロって、凄いありがたいよね。てか電気、あるんだ……




 外からログハウスに戻り、ちょっとタブレットをいじってみる事にした。


 とりあえず、お買い物アプリも立ち上げてみよう。


「お?」


 初回ログインボーナスで、チャージがされている。しかも、百万円分!


 使えるお金は、日本円なのか? お買い物アプリの他に、異世界の歩き方を立ち上げてお買い物アプリについて調べてみる。


「んーと、あった。お買い物アプリで買い物をするには、現金または価値あるもの……魔物の素材や貴金属、薬草類や宝石などをチャージする必要があります」


 チャージした金額からしか、買い物が出来ないって訳か。そりゃここじゃあクレジットカードとか代引きとか銀行振込なんて使えないもんね。


 ともかく、この百万円分のチャージは、次のログインまでに使い切るようにと書かれている。つまり、今すぐ買い物をしろ、と。


「何があるかなー?」


 普通に雑貨や食料品、調理道具や調味料、衣類、靴、バッグ等の小物類、アクセサリー……何でもあるな。


 扱っていないのは、映像関連と音楽関連。あと、本も扱いなし。サブスクも電書もなしか。こちらの密林は割と不便だなあ。


 そんな中、私の目を引いた品がある。


「ん? 魔法!? それにスキル!?」


 魔法やスキルを売ってるよ! しかも、買えばその後何度も使えるやつだよ! 良かった、使い切りじゃなくて。


 色々とあって目移りするけれど、どれも高い。炎系の魔法なんて、一番弱いのでも二百万円だよ? これじゃ買えないじゃない。


 しかもファイヤーボールとかじゃなくて、着火だよ? 着火。ライターでいいじゃん。なのに二百万円……


 どれか、百万円以内で買える魔法はないかなあ。


「あ、これならいけるかな?」


 初心者セットと題したそれは、場に応じて初心者が持っていると便利な魔法をセットで割り引き価格で売っているもの。


 その中でも、密林セットというのに惹かれた。ここ、ホーイン密林って場所だしね。


「えーと、何々。バリア、浮遊、査定、帰還。この四つがワンセットで、八十万円か……」


 バリアはあらゆる攻撃から身を守る。どんな凶悪モンスターを前にしても、へっちゃらだね。


 浮遊は歩かなくても浮かんで移動可能。足元は危険がいっぱいだから、あると便利だよ。ぬかるみも毒を持つ生物からもさようなら。


 査定は見たものの値段を知る事が出来る。これで素人のあなたでも、買いたたかれる心配は無用よ。


 帰還はどこにいても一瞬で敷地内に戻ってこられる。遠出には嬉しい一品。


 ……確かに、初心者向けだね。てか、帰還とかだけでも、結構凄い魔法なんじゃないの? それとも、ゲームみたいに初期から持ってる便利機能?


 これで八十万って、破格の値段じゃね? だって、着火程度の魔法で二百万の世界だよ? なのに、これだけ揃って八十万って……帰還の魔法だけでも一千万くらいしそうなのに。


 そう考えるとこのセットはとってもお買い得。でも、本当にこの説明通りの結果が得られるのかな……安すぎると、かえって不安になるよね。


「んー……でも! 必要だと思うから! 買ってしまおう、ポチッとな!」


 どのみち、今すぐ百万円分の買い物をしないといけないんだから。百万円分はもらったものだしタダ同然。


 なら他にも何か買わなきゃ。あ、食べ物とか、どうなってるんだろう?


「おお、何もない……」


 キッチンには調理道具が揃っているけれど、食材が何もない。なんてこった。


 鍋や調理道具などは一通り揃っているけれど、調味料もない。冷蔵庫はあるけれど、中身は空。残りの二十万で食材を買わないと!


 慌ててお買い物アプリを見る。食材……食材っと。


「パンとコーヒー、牛乳に卵……ベーコンもあるといいかも。あと米に……」


 助かる事に、食料の値段は低い。パンは一斤五十円、卵も十個パックが八十九円。牛乳もベーコンも安い。


 一体、どこの価格なんだろう……いや、気にしたら負けだ。


 米味噌醤油という、日本人にとっての三種の神器も忘れない。味噌汁大事。醤油味は至高。あと、塩に砂糖、お酢……ソースにケチャップ、マヨネーズも。


 他にも野菜や肉、魚など、普通のスーパーにありそうなものは何でも揃ってるね。


 なるべく、日持ちするものも多めに買い込んでおこうっと。インスタントとか、冷食とか。オーブンレンジがあるのは本当助かる。ああ、だから電気。


 あ、それと着替え! 特に下着は大事。安目のでいいから、ジーパンとカットソー、靴下にスニーカーも。


 タオル類も買わないと。これで初回ボーナス分を使い切った形か。


 カートに入れ終えて、ポチッと精算。これらは、配達場所が選べるんだ。玄関、キッチン、部屋、寝室。


 そりゃもちろん、キッチンでしょ!


 選択ボタンを押したら、キッチンの床にいきなり木箱が出現した。もしかして、これで配達されるの? 段ボール箱じゃなく?


「箱の片付けも大変そうだな……あ」


 もしかして、この木箱もチャージに使えないかな? とりあえず、中身は全部取り出そう。


 要冷蔵のものは冷蔵庫に、冷凍ものは冷凍庫に、常温でおいておける乾麺やインスタント食品はキッチンの脇にあるパントリーへ。


 着替えは後でまとめて寝室だな。タオルは洗面所のリネン庫へ。タオル、ふっかふかだ。凄くいいタオルだね。


 そして、箱の一番下には何やら像がある。何だこれ?


「んー? この姿、あの幼女女神?」


 なんと、あの白い空間から私をこの危険地帯に落とした幼女女神の像である。


 そういえば、祭壇を作って祈りを捧げよとか何とか、言ってたね? って事は、この像はその為に送りつけてきた?


 と思ったら、スマホがピコンと鳴る。画面には、幼女女神からのメール着信のメッセージ。やっぱり……


『わらわの神像は届いたかの? それを部屋に飾り、祭壇を作るがよい。そして祈りを捧げれば、そなたにもいい事が起こるじゃろう』


 いい事って何だろう? 具体的に書かない辺りが幼女女神だよね。セコい。


「あた!」


 がらんと音を立てたのは、またしても金属製のたらい。


「もう! いちいち人の頭にたらいを落とすの、やめてよね!!」


 天井に向かって叫んでも、反応する存在は当然ない。ふーやれやれ。


 幼女女神の神像は、あの時見たまんまの幼女の姿。……一応、主神だったんだよね? もうちょっとこう、大人な姿じゃないのかな。


 像を片手に首を傾げていたら、またしても幼女女神からのメール。


『書き忘れておったが、そなたの信仰により、その神像の姿が変わるからな? 信仰を捧げてわらわの神像の姿が大人になれば、さらに良い事が起ころう』


 マジかよ。んじゃ、どっかに飾って……あ。


 ダイニングキッチンの向かいには、空き部屋があるじゃないか。あそこにこの像を飾っておこう。


 空き部屋に向かうと、やっぱり何もない部屋だ。でも、壁にへこみ……ニッチって言うんだっけ? あれがある。


 んじゃ、ここに神像を飾っておこう。お、サイズもぴったりだ。


「えーと、んじゃあ祈りを……どうやって捧げればいいんだ? ……あ、とりあえず、ご飯が食べられるようになりました。初回ログインボーナスをありがとうございます」


 神像の前で、手を合わせてみる。合掌だけど、いいよね。お買い物アプリの初回ログインボーナスは本当に助かったから、感謝を述べておいた。


 すると、神像が一瞬ピカーっと光る!


「へあ!?」


 びっくりした。こんなエフェクト付きの神像とは思わなかったよ。でも、こういう目に見える効果があると、感謝も捧げやすいね。やるじゃん、幼女女神。


 神像を祭壇に見立てたニッチに置いて、祈りも捧げた事だし、ダイニングキッチンに戻って箱を片付けよう。


「んじゃあ、スマホをかざしてっと……やっぱり!」


 木箱、チャージ出来ました。価格は百円。あの木箱で百円!?


「ん? ……ああ、そういう事か」


 あの木箱、リターナブルコンテナなんだ。繰り返し使う事を前提にしているって事か。返さなくてもいいけれど、返すとお金が戻ってくるんだね。


 という訳で、木箱で届いても邪魔にはならずに済むのがわかった。


 あ、二つあるたらいをチャージしてみたら、二十円にしかならなかったよ。セコ。

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