ノルンとローラン



side:【ノルン】



「どうしたんだ? ノルン」


 マスターの言葉に胸がギュッと締め付けられる。改めて実感する自分の無力さに泣きそうになってしまう。


 優秀なアリス。確かな力を持つフェンリー。


(ノルンはただマスターの側にいる事しかできない……)


 マスターのために自分にできることがあればなんだってする。でも、自分にはマスターのために出来ることは限られてて、その力はアリスやフェンリーに比べれば些末な物だ。


 黙り込んでしまった私に、マスターは心配そうに顔を覗き込んでくれる。


「ノルン? どうしたんだ?」


 その優しい表情に涙腺が刺激される。


「ノ、ノルンは……。ノルンだってマスターの『力』になりたいです! ノルンは役立たずです。アリスのように薬を作る事も、フェンリーのように実体を持ち戦闘する事も出来ないのです」


 言いながら涙が頬を伝う。

 これまでは存在価値を実感できた。


 でも、『今回』のマスターは《回帰(リグレス)》すら必要すらないほど完璧な行動と『力』だ。


 自分はもう必要ない存在なのでは……?


(ノルンは歪んでる……。マスターが周囲に繋がりを持つことが嬉しいのに、それが寂しい……。こんなノルンじゃ、マスターに嫌われてしまう……)


 そう思うと怖くて仕方がない。これまでの幸福が全て夢だったかのような感覚が消えてくれない。


 アリスの言葉を真剣に聞きながら思考を進めるマスターの横顔を見つめながら、1人取り残されているような疎外感に泣き叫びたくなってしまった。


 私はどこまでも欲張りで自分勝手な『聖典』。


 自分自身に心から幻滅する。


 でもマスターはこんな面倒な私を気にかけて、話をしようとしてくれている。


「ノルンはバカで、面倒で、使い物にならない聖典です。マスターの何の役にも立てない身勝手で、欲深い、」



ギュッ……


 私の言葉を遮るようにマスターにふわりと抱きしめられると、さらに涙腺を刺激される。


「ふっ。『そんな事』で拗ねてたのか?」


「マスター……」


 耳元で聞こえる声はひどく優しく温かい。


「ノルン。俺が俺で居られるのはノルンがいてくれるからだぞ? そんな寂しい事を言うなよ」


「う、うぅ……マスター……」


「誰よりもお前が大切だ」


「うぅ……」


「この100年以上……。これだけ長い年月一緒に居ても、俺はノルンがそばに居てくれない事なんて考えられない」


「ノルンも……。マスターが全てです」


「そばにいろ。ずっと……。ノルンは俺の横で笑ってるだけでいい」


「……うぅ、マスター。……心から愛してます」


 マスターはまたギュッと優しく抱きしめ、少し赤らめた頬で笑みを浮かべ顔を寄せた。



ちゅッ……



 真っ赤になるマスターの顔。

 【栞】を挟まない初めてのキス。


 それは優しくとても短い物だったが、これまでのどんなキスよりも幸福感に包まれた。


「マ、マスター……?」


「あっ。だ、『誰より』ではなかったな。『シャル』と同じくらい大切だ」


「ふ、ふふふっ……。マスターはノルンの事大好きなんですね!」


「う、うるさい」


「マスター! 大好きです!」


「……ああ」


 シャルちゃんと同じ。それが意味する所を私は知っている。これ以上の言葉はきっとない。先程までの疎外感など綺麗さっぱり無くなってしまった。


(マスター……)


 ドクンッドクンッと脈打つ心臓で息苦しい。耳まで真っ赤になっているマスターに堪らない愛おしさが湧き上がりつつも、自分の顔の熱と晴れた心、たまらない幸福感にまた泣きそうになった。

 


※※※※※



 顔から火が出そうだ。

 心臓は過去最高の心拍数を記録している。


(ノルンのバカ……)


 ノルンに俺がどれだけ救われているか、本人は全く自覚がないようだ。柄にもなく恥ずかしい事をベラベラ口にしたような気がするけど、すっかり元気になったようなので、よしとする。


「マスター! 早くシャルちゃんに会いたいですね!」


 まだ仄かに顔が赤いノルンの屈託のない笑顔に苦笑してしまう。ノルンは俺にとって特別で切り札でもある。


「ノルン。《無限回帰(エンドレス・リグレス)》を覚えてるか……?」


 そもそも役に立たないなどはふざけた話しだ。俺の最大の切り札にして、反則技はノルンがいないと完成しない。


「……お、覚えてますよ?」


「忘れてただろ? じゃないと『役に立てない』なんてふざけた発想にならないはずだ」


 もちろん、そばに居てくれるだけでも充分なのだが、スキル【栞】の最大とも呼べる『力』。2人で編み出した『必殺』なのだ。


 ノルンはパチパチと瞬きをすると俺から視線を外した。


「マ、マスターは『剣』だけでも最強です!」


「セリシアが言ってたろ? 世界には化け物みたいなヤツがたくさんいるって」


「セリシアは嫌いです! 酔っぱらうとマスターに、」


「お、思い出させるな」


 ノルンは頬をぷくぅッと膨らませる。


「マスター、顔が赤いですよ……?」


「……ほら、みんな待ってるから、もう行くぞ?」


「はぁーい……。マスター。挟みませんか?」


 うるうるの瞳に垂れた眉。形の良い尖らせた唇に仄かに染まる頬。やっぱりノルンは俺がこの顔に弱いのを知っている。


「ふふっ、《栞(ブックマーク)》……」


 優しく触れる唇から伝わる2人の体温が混じり合っていく。その熱はいつもより少し高くて、とても心地よくて、なんだかいつもより恥ずかしく感じた。





 

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