エルとオーグスの心中


 目の前で激昂し、カルマン伯爵の胸ぐらを掴み声を荒げる青年にエルは涙を堪えた。


――勇者こそが『英雄』だ!


 王宮のど真ん中で平然と言ってのけた。


――誰よりも1番、勇者を守らなければいけない立場だったはずだ!!


 力のある貴族が一堂に会す場で、『王都を救った英雄』は綺麗な紺碧な瞳に怒りを滲ませた。


 エルは本当に涙を堪えるのに必死だった。


――お兄ちゃん。私は私の『為すべきこと』を果たしてくるよ。心配しなくていいからね?


 否応なしに『妹』の姿が浮かび、その笑顔が蘇る。


(『エレナ』……)


 妹の名を心の中で呟き、『王都を救った英雄』を見つめる。


 まるで自分の気持ちを代弁してくれているかのような光景に目頭が熱くて仕方ない。自分の『復讐』を阻んだ青年の言葉に、胸が熱くなって仕方がない。


(俺が間違っていたのか……?)


 ローランの言葉と決意。覚悟を目の当たりにしてエルは自分の行動が誤っていた事を実感する。


――絶対に『黒涙』の治療薬を生み出し、『勇者』が果たした偉業を改めて世界中に認めさせてやる!!


 その通りだと思った。


 本当にエレナの事を考えるのならば、『そうすべき』だった。『黒涙』という脅威から世界を救い、改めて『魔王』の脅威が無くなった事を実感させる。


 それが正しい選択だった。


(俺はただ、自分の憎悪を晴らそうとしただけだ)


 エレナの処刑に歓声をあげた王都の人々を殺してやろうと思った。


 『全てを壊し、解らせる』


 魔物の恐怖を思い出せばいいと思った。妹の功績がどれほど大きな物だったか身をもって知ればいいと思った。


 そして絶望して『英雄』を求めればいいと思った。


 妹が『何のため』に死地に向かったのか?

 この『平和』は誰が勝ち取ったものなのか?


 『黒涙』が振りまかれてしまった事実と、発症して命を落とした者たちには同情する。でも、その責任を妹が背負う必要はなかったはずだった。


『勇者様が居てくれればこんな事には……』


 王都、いや、世界中の人間にそう思わせてやるつもりだった。だからこそ、オーグスに近づいた。妹を処刑に追い込んだ『最大の復讐対象』を担ぎ上げ、我慢してきた。



――魔王を討つのが【聖剣】を与えられた者の義務だから。みんなが魔王に怯えずに済む世界が待ってるからね!


 妹との思い出が駆け巡る。


 自分よりも弱かった妹に1番初めに剣を教えたのはエルだった。魔力がない妹に最低限の『力』を与えたのはエルだった。


(もっと早く『君』に出会えていたなら……)


 エルはローランを見つめながら心の中で呟き、心から感謝し、心から後悔した。


 今まで奪ってしまってきた命。結局、自分がしてしまった事は、妹に更なる不名誉を与えただけに過ぎない事を理解してしまった。


 『あれほど』に強大な『力』を持つ『魔力0』の青年が、妹を『英雄だ』と言ってくれた。


 それだけで救われた。妹の生き様が誰かの心で息づいているだけで、本当に救われたのだ。

 

 エルは涙を堪えていた。


(ありがとう。『ローラン・クライス』……)


 エルは心の中で黒髪の剣士に何度も何度も感謝を述べた。



※※※※※



「ふざけるなぁ! このような荒くれ者が王都を救った『英雄』だとぉ?! 聖女の解放など、私が断じて許さん! 『黒涙』の収束を目的としたパーティーだと? 笑わせるなッ! この者は貴族に対する傷害で牢に入れるべきだッ!!」


 オーグスはこの好機を逃す手はないと声を張り上げた。


(ガッハッハ! ざまぁみろ! 私の『計画』を潰した罰だ!! 聖女を解放など許すはずがない! 『アイツ』は私の物だ!)


 心の中でアリスの姿を反芻し、ローランへの憎悪を募らせる。長年の計画が潰されて残った物は何もない。ただ、莫大な金をドブに捨てただけだった。


 オーグスは一歩踏み出し声を荒げた。


「そもそも、その者には魔力がないぞ!? そんな得体の知れない者が『英雄』など許されんだろぅ? 」


「そ、そうだ! 本当にこの者が魔物を討ったのか?」

「オ、オーグス公爵の言う通りだ! こんな野蛮な平民は牢に入れてやれば良いのだ!」


 同調する貴族達にオーグスはニヤリと口角を吊り上げる。


「これは何かの陰謀だ! 聖女と誰かもわからぬ囚人を解放し、何か悪巧みしているに決まっている! 騙されてはいけませんよ、陛下!」


 国王に視線を向ける事なくオーグスは続ける。


「そもそもこの者の『自作自演』の可能性があるのではッ? この者はまるで全てを知っていたかのように、あの場に現れたのですよッ!?」



 オーグスの叫びに「平民嫌い」の貴族が騒ぎ立てる。その騒ぎはローランが貴族に対して躊躇なく暴力を振るった事に対する畏怖からだった。


 涙ながらに言葉を紡ぐローランに胸打たれてはいても、(次は私が『ああなる』かもしれない……)とカルマン伯爵を見つめ、牢に放り込んでしまうのがいいのかもしれないと保身に走ったのだ。


 そんな周囲の貴族の思惑など知らず、(私の意見こそが真実になるのだ!)とオーグスは更に笑みを深めた。


(ククッ、これでもう黙ってりゃいい……)


 しかし、それに声を荒げたのは冒険者の長『グランド・マスター』のヨルム・ロドマンだ。


「ふざけるなぁッ!! ローランの自作自演だと? そんなはずはねぇ! 俺の目に狂いはねぇ。何千、何万と冒険者を見てきた! ローランは大業を為す逸材だ!! ローランは『目標』を必ず達成する!」


 すっかり静まり返った場で、オーグスは更に声を荒げる。


「そんな事知った物か! この男は国に害なす存在だ!! 衛兵! さっさと牢に運ばぬか!!」


 同調する貴族は誰1人としていない。また沈黙に包まれると、ローランの言葉が小さく低く響いた。


「『全てを知っていたかのように』……? あれほどの混乱の中で、何でそんなに冷静に、俺の動向を指摘できるんだ?」


 更に静まり返り、その場の全ての者達の視線が、オーグスに向かう。全員からの刺すような視線にオーグスはブルッと身震いした。


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