『フェンリー』



 この地下牢には不自然なほどに綺麗な、藍色と白色が入り混じった髪に狼の耳。真紅の瞳は美しくて、怪しい光を放っている。


 自分のふわふわの尻尾をソファのようにして座っており、少し幼く見えるが、半裸の身体には、はち切れんばかりの豊満な胸が覗いている。


(獣人……だよな? 『敵意』や『悪意』はないようだが……)


 ルベル王国における獣人は、正直、奴隷以外見たことがない。


 獣人の国の存在は、剣の師であるセリシアから聞いて知っているが、かなり閉鎖的な場所らしく入国した事はない。


 ニコニコと含みのある笑顔は確実に『子供』の物ではない。


「……『いい匂い』なのだ。神具を人化させたのはお前なのか? それにその膨大な『聖力』はなんなのだ?」


 女の言葉に、俺はいつでも抜刀できるように警戒する。


(『セイリョク』? なんだそれ? 人を変態扱いしてるのか?)


 ノルンを確実に視認している。


 こんな事は今までになかったし、『触れられる』可能性……、つまりノルンを『殺せる』可能性がある。


 正直、かなりテンパっている。


 ここは地下牢。

 何をしてここに居るのかは知らないが、『コイツ』は危険だ。『気配』がなんだかおかしい。


 俺は深く息を吐き出し、戦闘態勢に入る。


 どんな挙動も見逃せない。

 絶対にノルンに傷ひとつ付けさせない。


「どうしたのだ? 黙りこくって……」


 不思議そうに首を傾げる幼女に、ゴクリと息を飲み口を開く。


「お前は誰だ? 何でここに入れられている?」


「ハハッ! いきなり『お前』とは失礼なヤツなのだ! でも、物凄く興味があるぞ?」


「……お、お前だって俺を『お前』と呼ぶだろ?」 


「だって名前を知らないのだから仕方ないだろ?」


「そっくりそのままお返しする」


 幼女は楽しそうに微笑むが、暗がりと赤い目、幼いくせに整いすぎている容姿の違和感と、見た目とのギャップが合わさり、少し不気味に感じてしまう。


「マスター。この者は『変な匂い』です。すみません。気がつきませんでした。もっと注意を払っていれば、こんな事には……」


「気にするな。大丈夫だから」


「マスター……」


 ノルンは小声で俺に伝えるが、俺は幼女から視線を外さない。今すぐにでも頭を撫でて微笑みかけて安心させてやりたいが、そうもいかない。


「ハハッ。我(われ)は混じってるし、それを隠してるのだ。すごいだろ!? だから、別に、そこの人化神具のせいではない!」


「……『混じってる』?」


「我(われ)は、其方(そなた)の『力』と魔力。両方の力を持っているのだ!! びっくりしたか?」


 幼女は俺を指差しながら、かなり楽しそうに笑みを浮かべる。何だか全然争う雰囲気ではなさそうな状況だし、この幼女の言う事はさっぱりわからない。


「……俺の『力』って?」


「我は『神獣』のフェンリル……、そうだな……、『フェンリー』とでも言っておくのだ! 其方は?」


 ノルンは驚いたように俺の背中から飛び出し、大きく目を見開く。


「し、神獣……? それが本当なら、なんで捕まってるの? それが本当なら誰にも捕まえられるはずはないはずでしょ?」


「ハハハハッ。なぁに。このたゆたゆで、ぷりっぷりな、我(われ)のおっぱいを触ろうとしたバカ者を屠ってやっただけなのだ!」


 幼女は自分の胸に手を当て、たぷんたぷんさせながら、ニヤリと俺を見つめた。


「なっ……。マ、マスター! ノルンのおっぱいも負けてませんよ!!」


「ハッ! 我のおっぱいの方がいいに決まっているぞ! この愛らしい容姿に大きな胸。そのギャップこそが『人間』には有効なのだ!」


「マスターの『おっぱい』は間に合っています! そろそろ黙りなさい! ねぇ、マスター?」


「よし。それならどちらのおっぱいが至高であるか勝負しようではないか!」


「の、望む所よ! 神獣だかなんだか知らないけど、マスターの事はノルンの方が知ってるのです! それに、マスターに『可愛い』で攻めても意味はない! シャルちゃんの可愛らしさに勝てる者などいないからね!」


「……ん? それが誰かは知らんが、我こそがこの世界で1番の可愛らしさに決まっているぞ! それは聞き捨てならんのだ!」


「あなたなんか、シャルちゃんよ足元にも及ばないわ! ねぇ? マスター!」


「な、なにぃ? そ、それは嘘なのだ!! 我は可愛くて強くておっぱいがでかいのだ! 我が1番可愛いに決まってるのだ!」


「ふふっ……。『神獣様』? それに、『美しさ』で言えば、ノルンの方が上でしょう?」


「クッ……し、神具のくせにぃ!! 」


 2人の言い合いを聞きながら、俺はただただ顔を引き攣らせた。


(……ど、どういう状況?)


 まず、ノルンが俺以外の誰かと話している光景を『初めて』見た。これまでにこんな事は1度としてなかった。


 神獣。神の獣。


 何がどうなっているのかはわからないが、2人で言い合っているノルンは少し楽しそうに見える。見つかってしまった時は「失敗してしまった……」と混乱していただけなのだろう。


 まるで友達のように言い合うノルンの顔は、単純に嬉しそうで、100年以上一緒に居て、初めて見る表情だった。


「ねぇ! マスター!?」


「そうだぞ! どうなのだ? お前!!」


「マスターに向かって『お前』とは失礼な!」


「うるさい! この者の名前を聞いたのに、遮ったのは『ノルン』だろぅ?!」


「ローラン・クライス様。それがマスターのお名前! そんな事も知らなかったの? 『フェンリー』」


「し、知ってるはずないだろ! 今初めて会ったんだからッ!! 神具のクセに生意気なのだ!」


「ふふっ。牢に入れられている神獣にバカにされたくないんだけど?」


「わ、我は自分から入ったんだ! 人間界は面白くないし、ここに居れば、タダで食事が出るんだぞ? ふふふっ。これは知らなかっただろ?」


「……ふふっ。こんな場所の食事なんて、マスターが作ってくれる食事に比べればゴミ以下だね」


「な、なに!? 『ローラン』は美味しいご飯が作れるのか?」


「ええ。それはもう……。……マスター、ノルン、少しお腹が空いてきました」


 ノルンはもう本来の目的を見失っている。


 すっかり名前を呼び合っているようだし、俺以外の人間と会話できるのが嬉しかったのは間違いなさそうだ。


「……ノルン。アリスに会いに来たんだぞ?」


「……も、も、も、もちろん、アリスに会った後の話です! わ、わ、忘れてなんていませんよ?」


 目が泳ぎまくるノルンに小さく笑みを溢すと、



ガシャンッ!!



 大きな音が地下牢に響く。


「おい! イカれた女!! さっきから『1人』で『おっぱい、おっぱい』うるせぇんだよ!! ムラムラして眠れねぇだろ!」

「そうだ!! テメェの胸を見せやがれ!」

「あぁ!! 無茶苦茶に女を抱きてぇぜ!! 責任取りやがれ!! クソが!!」

 

 囚人達の怒号に俺とノルンは顔を見合わせて苦笑するが、『フェンリー』はムスゥッと頬を膨らませる。



「ムゥー!! 誰がイカれた女なのだ!! 我は神獣なのだぞ!」


「うるせぇ! 完璧にイカれてやがるじゃねぇか!」


 更にムスゥッと変化していく顔に笑ってしまう。まあ敵じゃないなら、なんでもいい。


 それにフェンリーが神獣であるのは間違いないだろう。ただの獣人にノルンを視認することはできるはずはない。


「……我、もうここを出るのだ。お前達と居れば、なんか楽しそうだし」


 フェンリーの言葉に俺達は顔を見合わせ、2人同時に顔を引き攣らせた。



ーーーーーーーー


【あとがき】


次話「『約束』」です。


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