『ノルン』



 ニコニコと俺を見つめる自分を『聖典だ』という女性に俺は顔を引き攣らせた。


(どうしよう! 全くわからない!)


 彼女の笑みとドヤ顔に笑みを返しながら『あの本』が人間の姿になるなんて簡単には理解できない。


 要するに、あの『古本』が『聖典』で、『聖典』がこの『女性』だと言うことなのだろう。


(……うん。全くわからないな!!)


 『運命の女神 ノルン?』が、この女性を『本』に閉じ込めてて、俺の血を浴びる事で外に出れた?


(……うん! 全くわからないなッ!!)


 「ん?」と小さく首を傾げ、俺の様子をうかがっている彼女に苦笑してから口を開く。


「君は俺の『恩恵(スキル)』で間違いないんだろ?」


「はい! 私はマスターの『力』です!」


「……君が俺を助けてくれたんだろ?」


「……マスターの『血』で私は顕現されました!!」


「『血』……?」


「はい。熱くて甘い疼きが……奥に……」


 何やら頬を染めている美女に更に混乱してしまう。


「……ちゃんと説明してくれ」


「……わ、私はマスターの『聖典』。『運命の女神 ノルン』によって創造され、マスターの血によって顕現を許された者です」


「いやいや、何が出来るんだ? 『アレ』はなんだったんだ? 死にかけて、気がついたら『7日前』に戻ってたんだけど?」


 彼女はキョトンとして目を見開く。


「……そうなんですか?」


「……そ、『そうなんですか』!? 何か色々教えてくれたりとか……、何かないのか?」


「……マ、マスターが知ってるはずです! 私は『マスターの力』です! わ、私は何も……。マスターに顕現して頂いただけで……。も、申し訳ありません……」


 彼女はシュンと眉を垂らす。


(か、かわいいんだが……?)


 少し胸がキュンとしながらも小さく息を吐く。


 これは困った事になった。

 この女性が全て知っている物と思っていただけに、少しばかり狼狽えてしまう。


 ここは『7日前』。『アレ』は現実。


 これは間違いない。


 まず俺が確かめるべきなのは、『時間』を戻る事が可能なのかどうかという事になってくる。チラリと視線が合うと、不安そうな顔で俺の様子を伺っている美女と目が合う。


(……か、かわいいんだがッ!!??)


 俺は「んんっ!」と咳払いをして、大きく息を吐いて心を落ち着ける。


「君は『聖典』で『運命の女神』に創られた?」


「……はぃ」


「その『運命の女神』は『時間』を操ったり出来るのか?」


「『女神 ノルン』は運命を操作します。『時間』を操り運命を捻じ曲げる事も可能かと思います」


「『運命を捻じ曲げる』……?」


「……なるほど! わかりました!! マスターは『運命を捻じ曲げる力』を手にしました! 間違いありません!!」


 パーッと弾ける笑顔は途方もなく美しいが、少し落ち着いて欲しいところだ。


(……俺以上に『頭が弱い』のか?)


 「ふっ」と小さく笑みをこぼし思考を進めるために、なんとなく辺りをクルクルと歩きながらしばらく熟考する。


「……『栞(ブックマーク)』。……『過去』と『聖典』。……『人生』の……【栞】!!」


(この女性は『聖典』で『人生』……。それに『栞』を挟むのが俺の『恩恵(スキル)』! ……『やり直し』が俺の力?)


 全身の毛が逆立ち身震いする。

 俺の仮説が正しいなんてわからないが直感がある。


(待て待て。それじゃあ、そもそも7日前に戻った理由にはならない。……ん? 俺は『死んだ』ぞ? 『死に戻り』? いや、それじゃあ『栞』である必要がない……。まさか、『死ぬ事で栞を挟む』……?)



ゾクゾクッ……



 あんな思いを繰り返すのか?

 あんな絶望が繰り返されるのか?


 心臓をギュッと握られたように息苦しさが襲ってくる。頭に浮かぶのは3人のパーティーメンバーの顔と……クロロの悪魔のような笑顔。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 呼吸が荒くなり、寒気が止まらない。必死にシャルの笑顔を思い出しながら更に荒くなる呼吸を無理矢理に止める。


(シャ、シャルのためなら何度でも死んでやる……!)


 心の中で決意を固めながらも、震える身体は一向に治まる気配がない。



ふわっ……。



 柔らかい感触と温かく優しい香りが全身を包む。


「大丈夫です、マスター……。マスターならどんな事でも叶えられます……」


 耳元で囁かれた優しい声に涙腺が刺激される。


 1人じゃない事がこれほど救われるとは思わなかった。もう誰も信じられないと思った。植え付けられた絶望はそんな簡単に拭い去れる物じゃない。


「マスター。大丈夫です! 私が付いてます。私はマスターのためだけに存在する『聖典』。マスターだけにこの身と心を捧げます……」


 伝わってくる体温が心地いい。

 虚像ではない『本物』の温もりが俺を包み込む。


 俺は気づいてしまった。


 俺が今、心から求めているのが、『圧倒的な力』でも『世界を変える力』でもなく、ただ『1人の味方』だという事に。



「あ、ありがとう……」


「何があっても問題ありません! どんな時でも私がそばにいますのでッ! ですから、その綺麗な涙を止めさせてください……」


 彼女はそう言うと俺の目に優しく唇を押し当てた。



ポワァア……



 突如、彼女の心臓部が淡い光を放ち、『何か』が起こった事はわかったが、正直、唇の感触で頭がいっぱいだ。


「……ひ、光りました! マスター……光りました!! 『何か』出来ましたよ! 私を見捨てないで下さいッ! 私は『おそらく』、できる子です!!」


 心底ホッとしたように瞳を潤ませ、声を上げる彼女に頬が緩む。彼女は『彼女の存在自体』が、俺を心から救っている事に気づいていない。


(やっぱり、少し『おバカ』なのか……?)


 俺は小さく笑いながら、彼女の頭に手を伸ばし優しく撫でる。サラサラで綺麗な銀髪は少しだけひんやりと冷たい。


「見捨てるなんて出来るはずがない。俺は君がいてくれるだけで随分と救われたから。ありがとう、俺を1人にしないでくれて……」


「マスター……」


「君の名前は?」


「……わ、私はマスターだけの『聖典』です。何もわからず、マスターを困らせているだけの、使えない……、ただの『本』です……」


「ふっ……。違う……違うよ? 君は『ただの本』じゃない。俺にはわかるんだ……。君こそが俺の元に舞い降りた女神だろ? 『ノルン』……」


 彼女は大きく目を見開くと、みるみる翡翠の瞳に涙を溜めていく。


「は、はい。私は『ノルン』……。マスターから女神の名を与えて貰った、ずっとマスターの側で、常にマスターの幸せを祈り続ける者です!」


 『ノルン』が呟いた瞬間に心臓部が強く光り始める。



※※※※※※※※※※


『ローラン・クライスの『永遠の命』を確立しました』


※※※※※※※※※※



 天から降り注いだ無機質な声に驚き、俺はハッと夜空を見上げた。



▽▽▽▽▽



消滅することのない【栞】を確認。

死亡後、この場所からの再出発(リスタート)を保証。


個体名『ノルン』に細胞の譲渡にて【栞】を形成。


《栞(ブックマーク)》or《回帰(リグレス)》


『無限時間』の渡航が可能。


『運命』を操り、自分の望む世界の形成を……。



△△△△△




(なんだ……これ……?)


 宙に浮かぶ言葉の羅列に息を飲むが、ノルンは気づいていないようで、ポロポロと涙を流しながら俺の肩に顔を埋めている。


「私のマスター……。『ローラン・クライス』様。私はあなた様に『生』を与えて頂いた事に心から感謝します……! 私はこれから先、『永遠』にあなた様だけの物です。いまこの場で感謝と忠誠を誓います……」


 俺はノルンの頭を強く抱きながら、非現実的な世界に涙を滲ませた。まだ全てがわかったわけではない。でも確かに俺は『力』を手に入れたのだろう……。


 頭の中にはシャルがいる。

 「本物の英雄になる」と愉悦に塗れたクロロがいる。


(『救える』……。俺はシャルを……救える!!)


 俺はグッと目頭を熱くする。


 俺が手にしたのは、きっと『無限の時間』。

 ノルンの言うように『運命を捻じ曲げる力』なのだ。



「……よろしく、ノルン。君はやっぱり俺の女神だ」


「……う、……うぅ。マスター……。本当にありがとうございます。心から感謝します……」


 俺の胸の中で更に涙を加速させたノルンの体温は温かくて、


(やっぱり『本』なんかじゃないじゃないか……)


 俺はクスッと笑みを溢した。





ーーーーーーーー


【あとがき】


序章はこれにて!

次から一章「聖女救出編」開幕です!!


次話「8度目の再出発」です。


少しでも「面白い」、「今後に期待!」、「更新頑張れ!」と思ってくれた読書様、


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 ここまで読んで下さった皆様。本当に感謝申し上げます。引き続きよろしくお願い致します。

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