囮にされた少年



ポタッ……ポタッ……ポタポタッ……


 雨が降った。

 それは黒い黒い雨だった。


 俺は妹のシャルと手を繋いで街を歩いていた。


「お兄ちゃん……。なんだか怖いね……?」


 シャルはそう言って俺の手をギュッと握る。


 俺はシャルが雨に濡れないようにそっと自分の着ていた上着で包み、優しく抱き上げてる。


「大丈夫だ、シャル! 何があっても絶対に兄ちゃんが守ってやるからな?」


 シャルはパーッと屈託のない笑みを浮かべて、俺は世界一可愛い笑顔に目を細めた。


「うん!! お兄ちゃん、だぁいすき!」


 シャルは無邪気な笑顔がよく似合う7歳の女の子で、俺は妹の笑顔が守りたいだけの11歳だった。


 この時の俺は、この雨が『黒涙(こくるい)』と呼ばれるようになる『魔王の呪い』だなんて思ってもみなかった。






―――7年後 

【最果てのダンジョン 32階層】



「ローラン。死んでくれるか?」


 Aランクパーティー『炎剣(フレイム・ソード)』のリーダーにして幼馴染でもあるクロロは薄く微笑みながら口にした。


「……えっ?」


 絶句する俺にクロロは穏やかに微笑んだ。


 その様子は先程の言葉なんて、ただの聞き間違いだと錯覚してしまうほどのいつもの笑顔だ。


「な、何言ってんだよ、クロロ。『死んでくれ』って何かの冗談、」


「そうね。こんな時のために、この『無能』を連れてたんでしょ!?」


 俺の言葉を遮り口を開いたのは治癒師のメリダだ。


 俺は更にパニックになり、残りのパーティーメンバーに視線を向ける。


「クロロ! 急げ! 早く捨てて離脱するぞ!」

「私の《遮断結界(シャット・サークル)》もそんなに持ちません! ローランさん! 早く魔物の注意を引いてください!!」


 盾役のゴーンは俺の方など見もしないで決定事項のように魔物を警戒し、支援魔導師の弓使い、ミザリーは鬼気迫る表情で俺に行動を促した。


「ま、待て……、待ってくれ。な、何言ってんだよ。冗談言ってる場合じゃないだろ?」


 4人からの刺すような視線に耐えられず少し後退るが、俺を急かすように魔物の声が鼓膜に響く。



グゥルルルルルルルル……



 辺りには20匹ほどの炎狼(フレイムウルフ)の群れが荒ぶっており、結界が破られればかなりの被害が出るのは一目瞭然だ。


 俺が微かに震える手を誤魔化すように強く拳を握りしめると、ゴーンが鬼の形相で歩み寄ってくる。


「冗談なはずねぇだろ?! 早く行けよ!」


「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」


「いいから早く行けよ……。魔力もねぇし、スキルだって発動すらできねぇお前が、他になんの役に立つって言うんだ?」


「……お、俺だって必死で魔物の特性とか、ダンジョンの構造を頭に入れて、サポートしてきただろ?」


「ふざけんじゃねぇ!! だったらこの状況はなんだよ!!」


「今回のダンジョン攻略は30階層までのはずだ! それに俺は引き返すべきだって言ったろ?」


「うるせぇーッ!! お前がもっと強く引き留めておけば、こんな事にはならなかったんだ! テメェのミスだ!! テメェが『責任』とるんだよ! この荷物持ちの無能がッ!!」


「な、なに言ってんだよ、ゴーン……」


 ゴーンが振り上げた拳を見つめながら、俺は本当にパニックになっていた。


 俺はちゃんと引き留めた。


 ちゃんと危険性を列挙したのに、「何もできねんだから口出しするな」と言ったのはコイツだ。



ドガッ!!



 鈍い音と共に頬に衝撃が走ると、ゴーンはそのまま俺に馬乗りになり、更に拳を振り上げる。


(クソッ……ふざけるな! これは俺のミスじゃない!!)


 俺は心の中でゴーンに苛立ちをぶつけるが、咄嗟に歯を食いしばり振り下ろされるであろう拳に備える。


「やめろ! ゴーン!!」


「クロロ! 止めんじゃねぇ! 早くこの『クズ』の意識を奪って投げ捨てるんだよ! コイツに群がってる間に逃げるんだ!」


「やめろって言ってるんだ」


「幼馴染かなんだか知らねえが、俺達はこんな所で終わるわけには行かねぇだろ!? 俺達はまだまだこれからじゃねぇか! なぁ、そうだろ? クロロ!!」


「落ち着けって言ってんだよ! ゴーン!」


 クロロはゴーンに鋭い視線を向け、ボワァッと手のひらの上にキラキラと光輝く『焔』を浮かべる。


「……チィッ!! じゃあ、どうすんだよ! 一斉に飛び出して『ヤツら』と戦うのかよ? 勝てたとしてもタダじゃすまねぇ。帰る余力も残らず、俺達は終わりじゃねぇか……」


 ゴーンは俺から離れながらも文句を垂れ、メリダとミザリーは不安気な表情でクロロを見つめたまま一向に口を開く気配はない。


(……や、やっぱりさっきの言葉は気のせいだ! クロロが俺を見捨てるはずがない)


 幼い頃からの親友で俺の『境遇』を知っているクロロが俺が死ぬ事を許すはずがない。



※※※


 クロロは俺や妹の暮らす辺境都市『ルーリャ』の領主を父に持つ、有名な公爵家の長男だ。それなのに偉ぶるわけでもなく、平民である俺と泥だらけになって遊ぶような男だ。


 12歳になる時に神から与えられたスキルも【煉獄焔】と呼ばれる特殊な焔を操る物であり、俺の使い方もわからないスキル【栞(ブックマーク)】とは雲泥の差がある。


 魔力量も国内随一。

 《身体強化》を活かした『剣』の腕も超一流。


 魔力ゼロの俺とは全てが違う。


 でもクロロは……、


――ローラン! 俺、冒険者になるよ! パーティーを結成するんだ。お前と俺で……!


 公爵家の冒険者。


 異例中の異例と言われたクロロの行動は、きっと俺のためだ。口には出さないが、シャルを救うのを手伝うためにクロロは冒険者になってくれたんだ。


 スキルと魔力量が全てとされる世界で、魔力もなく、スキルもまともに使えない俺の友として『シャルを救う』のを手伝ってくれるようなすごいヤツなんだ。



※※※



「大丈夫か? ローラン」


 クロロから差し伸べられる手を取り、深く息を吐く。


(俺は俺に出来る事を……)


 懸命に勉強して頭に入れた魔物の特性とダンジョン内の罠の有無。パーティー全体のバランスとその指揮。


 俺には『力』がない。

 でも、その『力』はクロロが貸してくれる。


「ありがとう、クロロ。……これだけの量の炎狼(フレイムウルフ)は、クロロの【煉獄焔】でも相性が悪い。まずはゴーンと俺でヘイトを集める。『アイツら』は本来群れないはずだから、連携は取らない」


「……」


「俺も囮として走る。だから、後方からミザリーは『魔坊低下(レジスト・ダウン)』と弓で援護。メリダは常に『完全回復(パーフェクト・ヒール)』が出来る状態で待機して、」


 クロロのおかげで冷静さを取り戻した俺は、辺りの状況を観察しながら作戦を練るが、クロロの返事は一向に聞こえない。


「……クロロ?」


 首を傾げて振り返ると、そこに待っていたのは自分の目を疑うほどの、冷たい目をしたクロロの姿だった。



(……な、んだよ、その顔……)



 クロロはニッコリと笑顔を浮かべていると、背筋にゾクゾクッと悪寒が走る。クロロは「ふっ」と小さく笑うと、憐(あわ)れみの目を向けてくる。


「……ローラン。しっかり逃げ回って時間を稼ぐんだ。ゴーンに殴られた傷は大丈夫か? まぁ、足に影響がないなら、問題はないんだけどな……」


「……何言ってんだよ。お、俺は死ねない! 知ってるだろ?」


「シャルロッテか。ローラン……、『アレ』はもうダメだ。『呪印』が出て3年。もう手遅れだろう」


「……な、にを……」


「……ククッ。お前の『無駄な足掻き』はとても滑稽で見てて楽しかったぞ? ローラン」


「……」


 目の前にいるのは知らない人間みたいだ。俺の知っているクロロとは明らかに別人だ。


 俺は心から信じていたクロロからの言葉が信じられず、絶句する事しか出来ずにいる。


「……『この遊び』も、もう終わりだな。お前のような『虫ケラ』が、『妹の死』にどんな顔で絶望するのかを、1番近くで見たたかったのに、この状況じゃ仕方ない」


「お、おい、本当に何を言って……」


「俺達は『本物の英雄』になるんだ」


「どうしたんだよ、クロロ……。俺達は親友じゃ……」


「……ククッ、ハハハハハハッ!! ローラン! 何の力もない『虫ケラ』が必死に努力してる姿は最ッ高に愉快だったぞ?」


 クロロは心から楽しそうに捲し立てる。


 いつもの穏やかな笑顔が作り物であった事は嫌でも理解できた。瞳を輝かせ、顔を崩して大笑いする表情は悪魔のようだ。


「何の『力』もない最底辺の無能が『黒涙(こくるい)』を治すなんて無理に決まってるだろ? お前は何も出来ない!! 魔力もない! スキルも使えない! 何もないお前はせいぜい囮にしか役に立たないんだよ!!」


「……俺は、俺は、死ねないんだ……。シャルを救うんだ」


「クッ、クク……。それはもう聞き飽きたよ。……俺は選ばれてる。俺は全世界を救う『神』になるんだ。こんな所で死ぬリスクは取れない」


「……やめろ、やめてくれ。俺は、俺はシャルを……」


「……クククッ、そんなに心配なら街に帰ったら、すぐにシャルロッテも『お前の元』に送ってやろうか?」


 ニヤァッと口角を吊り上げたクロロに、シャルが殺される光景を想像してしまう。ドクンッと心臓が跳ね、激しい怒りが込み上がる。


「……ふ、ふざ、けるなぁああ!!」


 俺は叫びながら殴りかかるが、クロロはヒラリと躱し、即座に『身体強化』を展開。バランスを崩した俺の首を後ろから掴み、地面に押し付けた。


「なかなか楽しめた。今の顔はなかなか絶望に満ちていたぞ? ローラン……」


「ふざけんな! シャルに手を出してみろ! 殺してやるからなッ!」



ドガッ!!



 クロロは暴れる俺の頭を地面に打ち付ける。


「くっ……がはッ……」


「……バカだな、ローラン。お前は何も出来ずにここで死ぬんだよ」


「ク、クロロ、なんで……、なんでお前が」


「こんな結末より、シャルロッテが死んだ後のお前が見たかったよ。本当に残念だ……」


 顔は見えない。ダンジョンの土の匂いが鼻の奥を刺激する。ゆっくりと滲んでいく視界が、コレは現実だと突きつけてくる。


(なんで……?)


 もう何もわからない。


「じゃあな。ローラン……」


 クロロは別れの言葉を呟くと俺を片手で投げ捨てた。


 フワリと俺の身体が宙を舞う。


 自由になった身体は『決別の証』。俺は投げ出されるがまま抵抗する事も出来ず、ミザリーが展開している結界の外に放り出された。



ーーーーーーーー


【あとがき】


次話「《人生の栞》」です。


少しでも「面白い」、「今後に期待!」、「更新頑張れ!」と思ってくれた読書様、


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