《人生の栞》


 放り出された俺は即座に結界の中に入ろうとするが、透明の壁は強固でびくともしない。


「ふざけんなッ!! 開けろ! 入れてくれ! 俺は、俺は死ねないんだ!! クロロ! ゴーン! メリダ! ミザリー!」


 懸命に壁を叩く俺の様子に大笑いするゴーン。ニヤニヤとするメリダ。結界を維持するのに必死のミザリー。


 そして心から楽しそうに微笑むクロロ。


(……クソッ!!)


 頭の中にはこれまでの努力と、クロロとの思い出が駆け巡るが、それは腐り落ちるようにボロボロと崩れていく。


(全部、全部、全部、全部……、嘘だったのか?)


 まるでこれまでの思い出を壊していくように結界を叩くが、俺の頭には絶対に果たさなければならない『誓い』とシャルの事がよぎる。



『お兄ちゃん。いつも回復薬(ポーション)ありがとう!』

『お兄ちゃん、無理はしないでね?』

『今日は体調が良かったからご飯を作ってみたよ!』

『お兄ちゃん。いつもごめんね。シャルのせいで……』

『怪我だけはしないでね?』


『無事に帰ってきてね、お兄ちゃん!!』


 シャルの色々な表情が溢れ出し、親友を失った事を嘆いている場合じゃない事を自覚する。


――シャルと母さんを頼んだぞ、ローラン。


 5年前の父の言葉と大きな手の感触が立ち上がる力をくれる。


――ローラン。シャル……。心から愛してるわ。


 3年前の母の最期の言葉と、綺麗な笑顔や愛情が背中を押す。


 『絶対にシャルを救う!!』


 自分自身の『誓い』が俺自身を奮い立たす。



(俺はまだ死ねない……!!)


 仲間だと思っていた4人の顔を焼き付けると同時に、コイツらに縋っても仕方ないと頭を切り替える。



グゥルルルルルル……



 すぐ背後からの威嚇の声に震えるだけの俺ではない。バッと振り返り即座に『解体用』のナイフを構える。


(考えろ! 考えろ! 考えろ!! 考えろ!!!!)


 頭を高速で回転させ助かる道を模索する。


(『スキル』には頼れない……。一度も成功した事のないスキルなんて期待するだけ無駄だ。それよりも冷静に観察して……)


 俺は心の中で呟きながら、20匹の炎狼(フレイムウルフ)からの視線にゴクリと息を飲む。


 ランクは1匹でも『A+』。


(これが『最果てダンジョン』の中層。『群れている』なんて情報はなかったぞ)


 炎を纏う毛並みに獰猛な牙。

 真っ黒な瞳はしっかりと俺を捉え、口からはダラダラとヨダレを垂らしている。



グゥルルルルルルルル……ガァウッ!!



 襲いかかって来た炎狼(フレイムウルフ)に、俺はギリギリのところで躱すとそのまま駆け出した。


(逃げながらでいい。絶対に囲まれないように……)


 回り込むような行動をとる者はいない。逃げる俺に向かって一斉に追ってくる炎狼(フレイムウルフ)に、やはり連携しているわけではない事を確認する。


 弱点は水や氷の魔法と眉間、それからメラメラと炎が揺らめく耳の裏。攻撃は突進と口から吹く「火炎砲(ファイア・ノヴァ)」。


「ハァ、ハァ、ハァ、来い。すれ違いざまに耳の裏から脳みそにナイフを突き立ててやる!!」


 経験したことのない心拍数に息苦しさを感じていると、視界の端に4人が走り去る姿が入ってくる。


(ほ、本当に……置いて……?)


 心のどこかではまだ信じていた。


 こうして囮になった状況で、炎狼(フレイムウルフ)の背後から奇襲をかけてくれるのではないかと思っていたんだ。


(そんなはずない。アイツらは……クロロはッ……)


 数々の思い出に蓋をしてギリッと歯軋りをすると、大口を開けた5匹の炎狼(フレイムウルフ)と目が合った。


(……う、嘘だろ? なんで連携してる?)


 合わさった5つの「火炎砲(フレイム・ノヴァ)」は轟音を立てて膨れ上がり、目の前の全てが炎に包まれていく。


(こ、こんなのどうすれば……)



ガァブッ!!  



 一瞬の唖然と同時に左腕に激痛が走り、ブシュウっと血が噴き出す。


「あぁああああ!! ぐっ、ぁあああ!!」


 絶叫する俺の事など気にする様子はなく、間髪を入れずに目の前の大炎が放たれた。



ゴォオオオオオオ!!!!



(クソッ! クソッ! クソッ! クソッ!!)


 炎の中にシャルの満面の笑顔が浮かんでいて、その世界一可愛い笑顔に堪えきれず、涙が洪水のように押し寄せる。


(ごめん。ごめん。ごめん。ごめん!! シャル! ごめん、ごめん、ごめん、ごめん、父さん、母さんッ!! 俺、もう……)


 逃げ場など一つもない大炎を前にシャルとの『約束』と『誓い』が果たされない事に涙を流す。


『お兄ちゃん! だぁいすき!!』


 まだ元気だった頃のシャルの笑顔が浮かび、俺は絶叫して唯一の希望に縋った。 


「なんとかしやがれ!! クソスキル!! 《人生の栞(ライフ・ブックマーク)》!」


 俺が叫ぶと現れたのは『人生の栞』と書かれた魔導書。それは白紙で、なんの変哲もないただの古本。


 それは見慣れた魔導書であり、何をどうやっても反応する事のなかったただの『ゴミ』だ。



「クソォオオオオッ!!!!!」




ゴォオオオオオオ!!!!



 数々の記憶が混ざり合い、眼前に迫る『死』への恐怖とシャルを救えなかった自分に対する激しい憤怒。


 去り際に一瞬だけ目が合ったクロロの薄笑いと見向きもしなかったメンバーに対する憎悪。


 この死に際でも成功する事のなかったスキルへの絶望と、こんなスキルを与えた神に対する嫌悪。


 もう何もわからなかった。


 頭がおかしくなりそうなほどの感情の波に飲まれ、身に迫る大炎が眼球をメラッと刺激し、パチパチパチッと頬を焼き始めた。


(もう死ぬ、んだ……)


 その刹那(せつな)、なんの答えも浮かばない俺は、ナイフを握る手に力を込める。地面に転がっている古びた『ゴミ』に、全ての憤怒をぶつけるようにナイフを突き立てた。



「ふざけんじゃねぇ!!!」



グザンッ!!!!



 突き立てた瞬間にブワァっと魔導書は発光した。


 その光は全てを包み込み目の前が真っ白に変化していく。身体のあらゆる感覚が剥がれていく。痛覚も、嗅覚も聴覚も、ポロッ、ポロッと自分から消え去っていく。


(なんだ……、これ……)


 次の瞬間、不思議な声が鼓膜を震わせた。


「ありがとうございます、『マスター』。4000と587年ぶりに顕現を許されました。心から感謝を……!」


 とても柔らかく澄んだ声に抱かれて、俺の視界は全てが『白』になっていく。


 とても心地よくて悪くない気分だった。



ーーーーーーーー


【あとがき】


次話「『7日前』」です。


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