第9話 後継者争い 1



 グラウンドに場所を移すと、体操着に着替えた二人のスートが準備体操をしている。


「あのさ、クレア」


 遠くを見つめながら対戦相手を呼ぶ。


「気安く呼ばないで……それとあたしはクレア=シルベスター。で、何?」

「勝負って……さっきのナイフとか使うんじゃないのか?」


 7の姿をじっと見る。残念ながらブルマではなく、ハーフパンツだった。さすがにここは間違った日本知識はなかったようだ。


「はぁ? それは最終手段。由緒あるグリズランドの貴族であるこのクレア=シルベスターがいきなり手荒なマネするわけないでしょ? おバカなの?」


 それはお前だろ。

 つい十数分前にナイフ突きつけさせてたのは誰だよ。


「まず勝負は陸上百メートル走」


 スート達が位置に着くと、クレアが雷管を片手で上に構えてもう片方の手で耳を塞ぐ。


「よーい………」


 固唾を飲んで見守る。一秒の沈黙が、一時間にも、十時間にも感じられた。

 雷管が轟く。同時に二人が駆ける。常人離れした動き。8が7を簡単に抜いて、六秒足らずで走り切った。


「はぁ……つ、強い」


 それから四秒遅れて7が到着。いやいやいや、あんたら十分強いから。


「これで一戦一勝。そっちが一戦一敗。どう、出鼻をくじかれた気分は?」


 勝負はまだまだ終わらない。

 学校には屋内プールが設置されており、常時使用可能だ。こうして昼休みでも、使おうとしている奴らが俺含め四人と撮影スタッフが数人。勝負の内容は、百メートル。種目は何でも泳いでいいらしい。

 競泳水着に着替えた二人のスートが、ウォーミングアップに泳いでいる。7のそれは、もうたまらないくらいかわいらしかった。


「司、次こそは白星を取ってきます」


 水から顔を出して飛び込み台に座った俺を見上げてくる。


「あ、あぁ……」


 その前にもうその格好を拝めただけで良かった。久々に女の子の水着を見たからなぁ。いやいや、眼福眼福。この時ばかりは後継者候補であることが嬉しかった。


「所詮7、一つ上の8には勝てないわよ」


 クレアが近寄ってくる。それはもう、勝利を確信した緩んだ顔で。


「勝負はこれからだ。一勝して喜ぶなんて子供だな」

「あらあら、負け惜しみ? 負け犬は吠えるだけは得意だから面白いわよね」

 自分が勝ったわけでもないのにずいぶん偉そうだな………言いようのない悔しさが胸をかき乱す。


「じゃ、行くわよー」


 先刻と同様に、クレアがスタートを仕切る。飛び込み台で構える二人。静寂が場を包む中、ブザーが鳴り響く。同時の飛込み。先に浮き上がってクロールを始めたのは8の方だった。


「見なさい! やっぱりワタシたちの方が優秀なのよ!」

「………」


 クレアはわかっていない。7はわざと浮上していなかった。水面下で水を掻き進み、ようやく浮上したのは十五メートルを過ぎた頃だった。8の泳ぎ方が猪突猛進なら、7は天衣無縫。ただ水を切り裂き続けるのではなく、全身のフォーム、息遣い……そして、水と一体になったかのような泳ぎは、見る者を圧倒させ、魅了させた。先を譲っていた8にも、あっという間に追いつき、五十メートル折り返しでは、もう追随を許すこともなく、そのまま戻ってきてゴールした。つまり、俺達の勝利。


「やりました、司」

「おう! やったぜ7!」


 二戦一勝一敗。戦いはまだまだ分からなくなってきた。

 それからテニス、バスケ、野球、サッカー………と、続いたわけだが、勝負は結局つかず、再びグラウンドで俺と7、クレアと8が並び対峙していた。


「なかなかやるな………7」

「あなたこそ………8」


 さすがに息を乱して、肩で呼吸する二人を見て思う。……これは、ケリがつかない。いつの間にか集まった観衆も、こんなバカバカしい戦いに厳粛な空気を持って見ている。……アホだ。


「おい、クレア」

「なに?」


 腕を組んでこちらを見るクレアに、前に出るよう促す。俺も前へ出る。


「これスートじゃ決着がつかないぞ?」


 単刀直入に用件を述べると、クレアが鼻で笑った。


「そうねぇ、ワタシも薄々感じていたわ。7と8の実力は互角。ならばあとは、その主であるワタシたちで優劣を競うしかないってね」

「物分りが早くて助かるよ」


 要するに、俺が勝てる戦いで且つ、クレアでもできる種目を提示すればいいんだ。なら、ジャパニーズスピリッツの心意気で最後の勝負を飾るなら定番のあれしかないだろ!


「じゃんけんだ、じゃんけんの一回勝負!」


 きょとんとした顔で、クレアが固まる。


「ジャン………ケン?」


 あ、知らないのか。日本文化が盛んなグリズランドでも、じゃんけんまでは輸入されてないのか。


「ほら、これがグーでこれがパー、で、これがチョキ」

「あ、それね。グリズランドではケンジャンというのよ」


 面倒なので今の言葉へのツッコみはなしにしておこう。ルールは同じ、だとも付け加えた。


「なら、話は早いな」

「その前に、少し練習させて」

「いいだろう」


 腕を組んで待つ。瞳を閉じて、出す役を決める。グーか、いやパーか……………待てよ、そもそも真っ向から戦う必要性があるか? 決闘だろうがなんだろうが、勝てばいいだろ、勝てば。

 向こうで8と練習するクレア。練習が終わったのか、戻ってくる。


「いいわよ、受けて立つわ!」


 堂々と仁王立ちするクレア。仕掛けるなら今だよな。咄嗟にクレアの前にチョキを作った手を出す。


「やっぱ………王族っつったら剣だよなぁ?」

「そ、そうね」


 視線がずれていた。カメラを気にしているのか、クレアは適当に相打ちを打った。この時点で、俺の策略にハマった。


「パーと出すとか、愚民だよな」

「え、えぇ! もちろん」


 髪をいじったり、空を見上げたりする仕草は、明らかにおかしかった。


「じゃ、じゃんけん行くぞー……じゃん、けん」

「え、えぇ?」


 ポン、と同時に二つの手が出る。俺は拳を握ってグー。そして、クレアは人差し指と中指を立てたチョキだった。

 かかった!


「よっしゃ! 俺の勝ちだな!」

「ちょ、何が王族だったらよ! あんたグーじゃない!」


 チョキの手を作ったまま、クレアが詰め寄る。俺もグーを見せたまま手をほどかない。


「おいおい、俺は言っただけだ。勝負には王族も国民もない。大体、敵の言葉を鵜呑みにするのが悪い」


 昨日会ったとき、今朝の態度。実直で素直。真っ向から向かってくるから、罠には弱いだろうと思って仕掛けてみたが………まんまとはまってくれると清々しいな。


「も、もう一回勝負よ!」

「やだねー、一回勝負だもんねー! 真剣勝負にやりなおしはナシ!」


 クレアにそっぽを向いて勝負を拒否する。これを続けていればいつか相手が折れるだろう。


「やぁだ! もう一回勝負!」

「しつけーなー。一回勝負でオーケーって言ったのはお前だろう?」 


 よく見ると、クレアの目尻から涙が零れていた。というより、溢れて洪水のようになっていた。


「やだやだ! 勝たなきゃやだ!」

「あーうぜー」


 両耳を塞いでも、クレアの甲高い鳴き声は鼓膜に響く。そこに、8が申し訳なさそうに俺に歩み寄る。


「スペードの7、もう一度だけ頼む」


 8が深々と頭を下げているが、その両手にはナイフがしっかりと握られていた。……断ったら殺されるよな、これ。


「………はぁ……もう一回だけだぞ」


 ぼそっと呟くと、クレアの顔が明るくなり、自信に満ちた表情に戻った。


「ふ、ふん! 仕方ないわね、このクレア=シルベスターがもう一回勝負してあげるわよ!」


 ホントはもう昼飯を食いたいんだけど………早く終わらねぇかな。俺はもう面倒だったので、前置きなしに始める。


「さぁいくぞ~じゃーんけーん」

「ちょ、ちょっとま――」

「ポン!」


 俺が繰り出したのはパー。対するクレアの手はグーだった。またしても俺の勝利。心の中で安堵していると、目の前のクレアが涙と鼻水を流しながら喚き始めた。

「やーだー! もう一回!」


 ……とても面倒くさい。この手の人間は、勝つまで終わらない。主に弟や妹に多い気がする。クレアのような奴とはゲームをやりたくない。


「あーうるせーうるせー。俺の勝ちな、8?」

「え? ……は、はぁ」


 クレアに仕える8は、泣きわめく主人にどう対処すればいいかわからないらしい。おどおどするだけでクレアに何もしてあげられていなかった。


「えいどぉ、なんがじでぇ」


 クレアの無く姿に、数十分前の威厳は見る影もない。もしこいつが国王になったら、大丈夫か、グリズランド。


「もぉ! やだっ!」


 クレアの怒声共に、一発の乾いた音が、周囲に響き渡る。クレアの両手に拳銃があり、空に銃口が向いていた。


「ごーなっだら、じづりょぐごうじっ!」


 実力行使、と言いたいのか。実力行使ってことは、力ずくって、ことか。もしかして、もしかしなくても、まずい。


「あー!」


 クレアが銃を乱射し始めた。ギャラリーはパニックになって逃げ始め、7と8は反射的に銃弾をかわした。


「ま、マジでシャレになんねぇって!」


 逃げる俺を、クレアが追いかける。泣きじゃくった顔が次第に迫る。


「待でー!」


 グラウンドの隅まで逃げる。しかし、クレアの追撃が終わらない。校舎まで逃げようとしたその時、クレアの発砲した弾丸が、やや斜めの角度に飛んでいく。すると、グラウンドでの夜間練習用につかう照明塔のライトの一つに運悪く直撃した。しばらく点検していなかったせいか、照明の一つがクレアに落下してくる。


「あぶねぇ!」


 全速力で走った。クレアの持っていた拳銃が、ちょうど弾切れになっていたのも相まって、余計な心配もない。クレアを突っ撥ねて、吹き飛ばす。


「ぎゃっ……」

「うぎゃ!」


 クレアを落下する照明から助けたのはいいものの、その照明がちょうど俺の脳天に直撃した。


「だ、誰も助けてくれなんて言ってないわよ!」

「へへ、強がり言うなって………礼のひとつくらい……」


 頭から何か液体が滴る。真っ赤な血だった。


「な、なんじゃこりゃ~!」


 ずいぶん古いネタが、とっさに口からでてしまう。それほどまでに、俺もパニックになっていた。


「クレア様!」


 8のクレアを呼ぶ声が聞こえた時には、意識が朦朧としていた。つーか、主人くらい助けろよ、8。


「司! すごい血の量じゃないですか! 司?」


それでも、彼女の声だけは、なぜかはっきり聞こえた。


「司、しっかりしてください。司? ……司っ!」


 俺はそのまま、立ったまま気絶した。

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