3章 砂の章

 どれだけの時間が経ったのだろう。

 何時いつの間にか顔に当たる日差しは和らいで、その色調を暖色系のものへと変えていた。

 元居た世界の夕焼けに見えるそれは、しかし絶え間なく変化を繰り返し、混じり解け、溶け合い、赤や黄色や橙と、様々な文様を大地に映していく。


 この世界には太陽が無い。その事に気付いたのは誰だったろう。

 ただ、その不自然な現実を目の当たりにして初めて、自分達が何かとんでもない事に巻き込まれたのだと思い知らされた。


 いつもと何も変わらない朝だった。起きて、家族に挨拶して朝飯を喰って友達と合流し、学校に向かい教室に入るところまでは。

 その後のことは記憶に無い。気付けば荒野に、誰一人欠ける事無くクラスメート全員が佇んでいた。着の身着のまま何一つ持たずに。


 場が恐慌と混乱に包まれる中、空を見上げた誰かが言った、


「なー、おい太陽が無いぞ?」

 

 その言葉を聞いて全員が空を見る。誰も一言も発さず、在る筈のものを探す。

 空は青く澄み渡り、雲一つ無い。本来なら清清しく感じる筈のそれも、太陽が無いというその一点のみで、酷く不気味で陰鬱なものに映った。


 何人かの女子が泣き出し、それ以外の面々も不安を隠し切れず表情を硬くしている。

 その後も、泣き出した女子を慰める者や、近くのクラスメートとひそひそ会話をする者、自分と同じように手持ち無沙汰で周囲をきょろきょろ眺める者と。それぞれがそれぞれの反応を示しながらも、鉛を飲んだような重苦しい雰囲気だけは一様に感じていた。


 いや、皆というわけではなさそうだ。よく見れば、あからさまに目をキラキラさせてる奴もいるし、それどころか鼻息を荒くして今にも飛び出さんばかりの奴もいる。それとは真逆で、まるで興味を持っていないかのような、無関心な奴すらいた。

 さすがは評判の変人クラス。ある意味頼もしくすらあるが。


 実際そいつらの影響か、深刻だった筈の空気が少しだけ和らいだものに。

 少しだけ冷静さを取り戻し、泣いていた女子も含めて、クラス委員長を中心に今後の方針について話し合おうとしていたところで。事態が動く。


 最初それは点のように見えた。だが直ぐに、それが近付いてくる人影であることに誰もが気付く。人影の数は五つ、それがこちらを目指して真っ直ぐに向かってくる。

 クラスメートの間に緊張が走り、皆の視線がそれに注がれる。


 興味、不安、不審と、様々な感情の籠もった視線が向けられたものの、彼らの見た目といえば、一見して自分達とさほど変わらない。さらに距離が縮まり、その詳細な姿が分かってくるにつれて、髪や目の色は自分たちと違っていたもののやはり普通の人間にしか見えない。ただし、簡素な皮の胸当てを着け、ヘルメットに似た兜を被り、帯剣、もしくは身長を超える槍を持つその姿は、とても普通とは言い難い剣呑さを見る者に与えた。


 誰かがごくりと唾を飲み込む。あるいは自分だったのかもしれない。

 緊張感が張り詰めていく。恐らく今から迎えるファーストコンタクトが、自分達の未来を決める上で極めて重要で。取り返しのつかない分岐点となる予感を、此処にいる誰もが共有していたのだろう。


 その時ざざっと、学級委員長が出迎えるように前に出る。思わず「おお!」と歓声が上がる。元々責任感が強いのは知っていたが、この場面で交渉役を買って出る、その勇敢さに惜しみのない賞賛の声が贈られる。

 けれど、唯一つ、残念な点を挙げるなら、その勇敢な行動とは裏腹の、彼の膝は明らかに震えを隠せていないということ。なにより、緊張し過ぎの所為か顔色は青白いを通り越して土気色に見えた。


 その姿に、ギャラリーの間にも賞賛の空気から一転、「大丈夫かあいつ・・・」といった不穏な空気が流れ始め、その様子を見ていた副委員長の女子が、「はぁ・・・」と一つため息を吐きつつその背中を追う。


 まあ結論から先に言ってしまえば交渉は出来なかった。というより、意思疎通が出来なかった。日本語は当然駄目、次に英語で話しかけてみたがこれも駄目、ならばと、ドイツ語とロシア語で話しかけるという驚愕の特技を副委員長が披露したが、これも駄目。

 暫くの間、お互いに困り切ったとばかりに無言で顔を見合わせていたが、最終的には仕方なしといった風に携帯していた武器を突き付けられ、半ば連行される形でその場を後にすることとなる。


 連れて行かれた先は街だった。最初の場所から1キロ程移動した所に丘が在ったために見えなかったが城壁があり。最初の荒野だと思っていた場所は、実は広大な農地の一角で。城門へと向かう道中そこで働く人々の姿が遠目に映った。恐らく、彼らが自分達の事を知らせたのだろう、その中には、作業の手を止めてこちらを注視する者も少なくない。

 確かに、黒を基調とした制服姿の自分達は、改めてかえりみると怪しい異様な集団に見えなくもない。実際そのことを、簡単な手続きの後に街に入ったところで痛感させられる。


 次々に好奇の視線が注がれる。外からは分からなかったが街は活気に溢れ、通りは人でごった返している。そんな状況下で黒尽くめの集団が役人に連行されているのだから、見るなというのが無理な話だろう。

 しかも、そんな針のむしろの上と言ってもいい状況だというのに、驚き好奇の視線を向けているのはなにも向こうだけでなく此方も同じだった。


 目に入る人々の姿があまりにカラフルすぎた。

 肌の色こそ黒や茶、白や黄とバリエーションに乏しいが、金髪銀髪、さらには薄水色や淡藤あわふじ色といった、漫画やゲームの中でしか見たことの無い鮮やかな髪の色も目立つ。

 

 服装も様々だ。極めて簡素で色彩に欠けたものが大半だが、赤や青など原色に染め付けた布を、幾重にも重ねて身に纏っている高齢の女性や、精緻な刺繍が施された、民族衣装を思い起こさせる若草色の外套を羽織った青年など、色取り取りの異なった様式のものも珍しくなく。

 色々な意味で、ほぼ黒一色の此方とは対照的な世界が広がっている。


 互いに好奇の視線を交えつつも、人だかりが出来る事も無ければ、混雑する人の流れを掻き分けるように街を進む。

 後ろの方から、「あれって染めてるのかな?」とか「綺麗だったよね!」といったはしゃいだ声が聞こえてくるが、驚きはそれに止まらない。

 

 進行方向にある建物から、一際大柄な人影が姿を現す。

 群集より頭一つ分高いその風体ふうていは、獣の様に純白の長毛を、頭の先から裸の上半身までびっしり生やし。耳は横ではなく頭の上に在り、その威容を誇るようにピンと屹立させた。去り際には、体毛と同じく純白の毛並みの、尻尾らしきものがゆらゆら揺れるのが目に入る。


 そんな存在が目の前を通り過ぎるのを、誰も彼も一言も発せず無言のまま見送る。

 それは決定的な瞬間だった。頭の片隅に、もしかしたらというレベルで存在した、異世界、という単語が、その世迷い言としか言いようのない馬鹿げた代物が、現実のものとなって突き付けられた瞬間だった。


 「ねえ、さっきのって作り物?」「コスプレじゃね?」「でもリアルすぎない?」、ちらほらそんな会話も聞こえてくるが、自分も含め大半は無言のまま歩を進める。混乱していたのも当然ある、が、なにより考えなければならない事で頭がいっぱいだった。

 その後も、同じような獣混じりの人の姿は、頻繁にではないが少なからず見かけた。最初こそ一々律儀に驚いていたクラスメートも、やがて慣れたのかリアクションも段々と小さくなる。

 

 足元を、浅黒い肌をした銀髪の少年と、耳と尻尾をピンと立てた灰色の毛並みの少年が、追いかけっこをしているのか、笑い合いながら駆け抜けていく。

 その子供たちを何気なくを目で追うと、その先には井戸端会議をしている女性陣の姿があり、肌や髪の色どころか種族すら違う彼女達が、明け透けにお喋りに興じているのが分かる。


 異なる世界の異なる人々、それでも変わらないものが幾らでもあった。

 きっとこれがこの世界の、ごくありふれた日常の姿なのだろう。

 

 兵士達の足が止まる。果たして目的地に着いたのか、目の前には白い大きな建物が在る。白亜の宮殿と言うには武骨な感じもしたが、ともかくそれ程に大きな威容。その大きな扉の前に立つ、同じような格好をした兵士に何事かを告げると、そのまま建物の中へと自分達を連れ立ち入っていく。

 そしてそのまま廊下を進み幾つかの部屋を抜けると、がらんどうとした大広間へと通された。


 決して華美ではなく、洗練された様式。そんな印象の空間だった。

 殺風景ではあるものの、床には文様の入った鮮やかな赤い絨毯が敷き詰められて、視線の先の、一段高くなった奥まった場所には、唯一の調度品である大きな椅子が鎮座し、そしてその背後の壁には金に縁取られた旗が堂々と飾られている。

 恐らくは採光の為か、ドーム型の高い天井に設えられた巨大なガラスの天窓からは、柔らかな光が燦々と降り注いでくる。

 

 廊下の暗さを掃う明るい部屋。そんな部屋に自分達を案内した兵士の内の、一人の兵士はそのまま部屋から出て行くと、残った四人の兵士の内の、それぞれ二人ずつ左右の壁際に移動し直立不動の姿勢をとる。

 その一連の行動に特に説明らしきものは無かったが、どの道言葉が通じないのだから省いたのだろう。但し、その緊張感をはらんだ表情こそが、何より雄弁に事態の深刻さを物語っていた、のかも知れない。


 場に薄っすらと緊張感が漂う。部屋に入った当初こそ聞こえたはしゃいだ声も、時間が経つごとにじりじり増していくプレッシャーに、段々減っていく。

 どれぐらいの時が過ぎたのだろう。手持ち無沙汰ではあったが、これといって出来る事がなんにも無い。


 直立不動で待機している兵士がいるお陰で休むことも出来ないし。これから何が始まるか分からないから相談のしようもない。

 ただ、その時が来るのを待つしかない中で、皆一様に、その束の間の自由時間を持て余していた。


 ・・・どれだけの時間待っていたのだろう、天窓から入る日差しに暖色系のものが混じり始める。

 緊張していた筈の面々も、さすがにだれたのか、車座になってヒソヒソ話をしていたり、あっち向いてホイや、いっせーのせなど手遊びに興じている者もいる。さすがに大の字になって寝ているのは、兵士の手前リラックスし過ぎな気もするが。


 やきもきする時間が過ぎていく。

 その時だ、扉が開き、最初に出て行った兵士が入ってくる。

 

 だらけきっていた面々の顔にも緊張感が戻り、居住まいを正すと、寝ていた奴も起こされた。目を擦りながら立ち上がる。

 

 その兵士は身振り手振りで全員を整列させると、口を両手で覆い喋らない事を。不自然なほど背筋と両腕をピンと伸ばすことで、気をつけの姿勢をとる事を此方に伝えてきた。

 そしてそのまま脇に移動すると、椅子の方に向き直り、同じく気をつけの姿勢をとる。

 

 まもなく帯剣した二人の男性が、椅子の横の壁の、死角になった所から現れて、それぞれが椅子の左右に侍る。

 そしてそれに続くように、一際豪華な、金糸銀糸の刺繍が施され、白と赤を基調にして重厚に誂えられた、祭服に似た装いに身を包んだ初老の男性が姿を現し、そしてそのまま中央の椅子へと腰を降ろす。


 ぴりりと場に緊張が走る。

 流石に言われる迄もない。目の前の人物が纏う空気は明らかに高貴な者のそれで、普通に生きていたらまずお目にかかる事のない存在なのだと。


 左右に侍る男性二人も整った容姿をしているが、言わずもがな中央の椅子に腰掛けた男性は整った容姿をしており、彫りの深い渋い顔立ちに、短めの銀髪をオールバック気味に撫で付けて、同色の、顔の下半分を覆う濃い目の髭は短く刈り整えられていて清潔感がある、切れ長の瞳は透明感の有るグレー。

 

 クラスメートの中にもイケメンと呼ばれる奴は居るが、流石に貫目が違った。

 ハリウッド俳優並の容姿で、手すりに肘を着きゆったりと腰掛けるその様は、まるで映画のワンシーン。ミュージカルなら歌い出しそうな。


 そんな、壁際の兵士以外の、その場に居るすべての人の視線が集まる中で、その人は徐に口を開く。

 想像通りの渋い声が響く。が、相変わらず何を言っているのかは分からなかった。そんな此方の代わりに、傍らの兵士が何事か言葉を返す。

 

 随分な長台詞だが、多分報告のたぐいだろう。その後も、遣り取りは傍らの兵士と椅子に腰掛けた男性の間でのみ行われていく。

 仕方がない事とはいえ、当事者でありながら蚊帳の外といった扱いには、何人かのクラスメートが途中で口を挟もうとし掛け。けれど、何が問題になって自分達の立場を危うくするか分からない状況では、悔しそうに口をつぐむ他なかった。

 

 そのようにやきもきが続く内に議論は進む。決して激した風ではないが、静かに白熱し、何事か兵士が強い口調で訴えかければ、それを椅子に腰掛けた男性が難しい顔で諭す。そんな遣り取りが暫く続き、やがてその男性が、静かに首を振り何事か告げると、傍らの兵士は気落ちした様子で押し黙る。


 椅子に腰掛けたまま、その男性が改めてこちらに顔を向け、恐らくは何らかの審判を下す為に口を開きかけた。まさにその時、


「待ってください!!」

 

 クラスメートの中から声が上がる。

 皆の視線が一人のクラスメートに集中する。それは眼鏡を掛けた、如何にも大人しそうな女生徒で、実際彼女はその見た目の通りに控えめだった。仲の良い数名の友達と遊んでる時以外は、教室の隅で本を読んでいる、そんなイメージしかない。


 そんな彼女がこんな大事な場面で大声を出した。その事実に、皆一様に目を丸くして彼女を見つめる。

 突然、注目の的になった彼女は、気圧されたように目を伏せ小さく一歩後ずさるが、決意は固いのか直ぐに屹然と前を向き、一段高い所に居る初老の男性を見据えて口を開く。


「わたしたちは、逃げ出した奴隷でも、他国の間者でもないです。気付いたら、あそこに居ました。本当です。唯の、学生なんです」


 たどたどしく噛み砕いて、それだけの事を、日本語、で伝える。

 目に涙を溜めて、必死の思いは伝わってくるが、如何せんその言葉が相手に理解されることはない。なかった筈なのだが。

 見ると椅子に腰掛けた男性だけでなく、傍らの兵士までも酷く驚いた顔で彼女を見ている。

 

 の御仁は、驚いた表情のまま右手で数回顎鬚あごひげを撫でると、徐に彼女に向かって話し掛けた。

 彼女はそれにじっと耳を傾ける。その様子を、自分を含め突然の事態に付いていけない周りのクラスメート達は、固唾を呑んで見守る事しか出来ない。


 椅子に腰掛けた男性が話し終わると、彼女がそれに答える。


「分かっていました。でも、恐ろしくて。どうしてこんな事が出来るようになったのか。本当は、私の頭がおかしいだけなんじゃないかって」


 先ほどより幾分落ち着いた、澱みない口調で返すものの、話の内容についてははたから聞いていてもあまり理解できそうになかった。

 大方、彼女のみが意思疎通が可能な、不可思議な現象についての言及なのだろうが、彼女も一杯一杯で、こちらに遣り取りを訳して伝える余裕は一切ない。

 

 結局、置いてけぼりにされたまま会話は続く。いくつかの《神施》や、《教導国家郡》、《教主》など会話の中に気になる単語が混じり始めたが。

 後で彼女に訊かなければならない事が山ほど有りながらも、今も順調にそこから積み上がっていく。


 果たして今日中に終わるのだろうか。

 と、そんな中、ふと顔を上げて天窓を見る。


 会話に夢中で気付かなかったが、随分と時間が経ったようだ。

 顔に当たる光はすっかり夕暮れ時のもので、暖色系の光が部屋を満たしている。それを見て、元の世界と変わらないと一瞬思いかけたが、直ぐにそれが違うものなのだと理解する。

 

 オーロラのように異世界の夕焼けが乱舞する部屋の中、息詰まる話し合いの終着点は遥か先にて、いまだ遠く。まだまだ見えそうにない。

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