第99話 ラブホで仕事のお話を



「またかよ」




 という言葉が真っ先に出た。

 初めは「朝起きたくないなってときに、もう一つの人格に代わってもらえたら楽かもなー」なんて楽観的に思っていたが今は違う。


 いきなり俺の時間が止まって、空白の時間が生まれ、急によくわからない場所で目覚めると腹が立つ。

 というよりも不安や恐怖が混ざって気持ち悪い。


 ほんと、気持ち悪いって感想が強い。




「しかも今度は4日も。これじゃあ、ずっと先の予定なんか組めないぞ」




 こんな風に愚痴っていても仕方ない。

 スマホを取り出し、もう一つの人格が書き記したメモを確認する。




「いつも通り。定年退職した俺のじいちゃんより退屈な毎日だな」




 映画を見た。

 フードコートでご飯を食べた。

 ゲームセンターに行って音ゲーをした。

 カラオケに行った。


 じいちゃんというか中学生か高校生の放課後だな。




「好きなだけ親の金──いや、もう一つの人格が稼いだ金を使える学生だけど。……はあ」




 財布の中にコンビニで引き出した明細書が出てきた。


 6万。

 たった4日で6万も引き出しやがった。

 このメモを見るかぎりだと6万も使うわけないと思うんだが、まあ、俺に内緒でしていることでもあんだろ。


 風俗か、キャバクラか。


 俺だってもう一つの人格に全てを伝えているわけではない。

 お互い隠したいことだってある。同じ体を共有しているが、他人と同義だ。

 そこはいい。今はそれよりも。




『あ? なんだよこんな時間に。飲みの誘いか?』




 黒鉄に電話した。




「いや、少し調べてほしいことがあるんだ」


『調べてほしいこと?』


「ああ、今から女子高生の制服の特徴を言うから、何処の高校か調べてくれ」




 俺が目を覚ましたときに目の前にいた女子高生。

 あの子が赤の他人だとは思えない。ベンチに座る知らん大人の前に立ってジッと見下ろす赤の他人なんていたら恐怖すぎる。

 だから何かある。

 それも、俺の知らないもう一つの人格と。




『お前、今度はJKに手を出すつもりか? そういうのは、シチュだけにしておけよ。もしくは、知り合いの女に制服着せるとか』


「違う。気になることがあるだけだ」




 めんどくさいが、状況を説明した。




『なるほど。目を覚ますと目の前には謎のJKがいて、その子はお前のことをじーっと見つめていた、と……。だが、そこからラブコメ展開みたいに恋に発展するわけでもなく、無視されて立ち去られたと。よっぽど寝起きのお前の顔がブサイクだったんだな』


「はいはい、そうだな。で、特徴を言っただけでわかるか?」


『チッ、渾身のボケを流しやがった。まあ、できなくもないが。お前の現在地は?』


「現在地? えっと……ああ、前に一緒に飲んだ店の側だな」


『なるほど。ってことは駅の近くってわけでもないから、遠くの高校ってわけではなさそうだな。その辺が通学路の高校はそう多くない、特徴を言ってくれ』




 頼りになりそうな声。

 俺は寝起きに見た彼女の特徴を説明する。




「上は普通の白ブラウスで……ってか、夏服期間だろうから特徴っていう特徴は……ああ、リボンとかないけど、スカートは水色っぽかったな」


『水色? それ、星蘭女子じゃね?』


「星蘭女子」


『正式名称は”星蘭女子中学高等学校”。中高一貫の女子校で、偏差値もめちゃくちゃ高かったはずだ』


「へえ、初めて聞いた」


『不真面目なお前とは正反対な存在だからな。あそこには黒髪清楚の大和撫子みたいな子しかいねえはずだ』


「大和撫子? でもその子、めっちゃ派手な髪色してたぞ?」


『なに? あそこって校則も厳しいはずだが……』




 黒鉄は考え込んだ後『じゃあ』と明るい声で結論を話す。




『パパ活だ』


「は?」


『たまにいるんだよ、実在する制服をネットで購入してパパ活する奴。きっとそれだ』


「わざわざ実在する制服を買って? なんでそんなことするんだよ」


『問題。ドンキホーテとかで売っているコスプレ用の制服を着た子と、お嬢様高校で有名な制服を着た子。お前、セ○クスするなら、どっち興奮するよ』


「……お嬢様高校の」


『そういうことだ。純粋そうな子が俺の前でだけエロい……みたいな付加価値があるから、そうやって実在する学校の制服を買ってパパ活する奴もいるんだ。実際、そっちの方が人気あるらしいぞ』


「実体験か?」


『バカか。俺は年下より年上派なんだよ。だから、その女が本物の星蘭の生徒かは怪しいな。もしかしたらお前、もう一つの人格パパ活してるかもな』


「それは……あ」




 でも確かに、メモで書かれた以上の謎の出費がある。

 まさかもう一人の僕、まじでパパ活にハマってるのか……?




「と、とりあえず、わかった」


『次に目を覚ましたときは刑務所の中でしたー、なんて最高に笑えるシチュだな。ガハハハッ!』




 その声を聞いてイラッとしたので、俺は何も言わず電話を切った。


 公園のベンチで長電話する年でもないしな。

 もう一つの人格に『犯罪はすんなよ』と伝言を残し、それからメールを確認する。

 詩乃香さんから何度か連絡が来ていたが、俺が入れ替わったのを理解してか昨日から連絡は来ていない。




「今から会いに行くか……ああ、でも澪ちゃんがいるか」




 普段は娘の澪ちゃんが幼稚園に行っている間に会いに行っているから、澪ちゃんが家にいる状況で会いに行ったことはまずない。

 別に来ないでと言われているわけではないが、正直、新しいパパになる予定はないので娘に顔見せするのは気が引ける。

 彼女も、知らない男を娘に会わせるのは微妙だろう。


 なので、簡単にメッセージだけ送っておいた。

 澪ちゃんが寝てから少し会えないかと。別に仕事の話をするだけなら明日以降でも良かったのだが、無性に彼女に会いたい気分になった。

 ずっと寝ていたからか。それとも、今のモヤモヤした気持ちをナニかでスッキリしたいのか。


 すると、すぐにメッセージが返ってきた。


 ……20時以降なら、と。












 ♦












「お、お待たせしました!」




 無風でじめっとした空気の夏の夜。

 大人っぽい落ち着いた雰囲気だが、地味な服装の彼女は少し頬を赤くさせながらやって来た。 




「すみません、急に」


「い、いえ、大丈夫です!」


「良かった。詩乃香さん、ご飯ってもう食べましたか?」


「はい、娘と」


「じゃあ、ゆっくり話せるとこに行きますか」


「はい」




 何処へ?

 そう聞くこともなく隣を歩く彼女。




「澪ちゃんにはなんて?」


「娘には、居酒屋のバイトに行ってくると伝えてます」


「へえ、嘘をついたんですか」


「そ、それは……!」


「ははっ、冗談ですよ。安心してください、居酒屋のバイトと同じ時間には帰れますから」


「はい……。えっと、マネージャーさん。また意識が?」


「まあ、そうですね」




 必要最低限の会話だけ。

 これを大人の関係というのか、それとも、都合のいい割り切った関係というのか。

 隣を歩く詩乃香さんの表情からは何を考えているのかは読み取れない。

 無表情で、ただ指示に従って後ろを付いて来ているだけ。


 だが、目的地に到着すると頬を赤く染めた。




「ここ……」




 休憩、宿泊、その金額が表示された看板を見て顔を背ける。




「ゆっくり話ができるとこ、ここしか思いつかなかったので。別にいいですよね?」


「……」




 詩乃香さんは何も言わなかったが、微かに頷いた──気がする。


 適当な空き部屋をとり、沈黙のエレベーターに乗り、部屋に入る。

 詩乃香さんは女子大学生のような「わあ、おしゃれだね!」といった感想も言わず、どうしたらいいかわらないといった感じで部屋の隅で立つ。




「ほら、座ってください」


「……はい」




 そう言って、やっと彼女はソファーに座った。

 微かに汗ばんだ肌が艶っぽく、それをハンカチで吹く仕草も色気があった。今にも押し倒したくなる魅力があった。




「とりあえず、まず仕事のお話しから」




 言葉を発した瞬間に詩乃香さんの全身がビクッと反応したが、仕事というワードを出すと安堵するように息を吐く。




「どうしました? もしかして、部屋に入ってすぐに押し倒されると思いましたか?」


「ち、ちがっ……違います」


「期待してくれていたなら応えないとですよね」


「期待してなんかいません! 私は、ただ……それより、仕事のお話を」




 強引に迫ればいけるが、そうなると今日は仕事の話ができなくなってしまう。




「それじゃあ、まず最初に──実は企業から案件を頂きました」


「案件!?」




 これまで”4nоの正しいお金の稼ぎ方”については話していたので、案件という言葉に前のめりに反応する詩乃香さん。




「コミックマーケットってご存知ですよね?」


「コミケですよね、もちろん知ってます! 学生時代に何度も行きましたから!」


「実はそのコミケの企業ブースに出展する企業さんからコスプレ依頼が来ているんです」


「私なんかに、企業さんがお仕事を……ど、どんなコスプレでしょうか!?」




 持ってきた資料を見せる。

 キャラの立ち絵を見ながら、まるで子供のように目を輝かせていく詩乃香さん。

 色っぽく、いわゆるエロ要素全開のお姉さんキャラ。

 詩乃香さんは頬を真っ赤に染めてキャラを見つめる。




「このキャラを、私が」


「見た目”は”詩乃香さんにぴったりなキャラだと思いますよ」


「そ、そうですか、ありがとうございます!」


「そのキャラ、知ってますか?」


「すみません、わからないです」


「そのキャラは”マリーン・ヘイズ・ハンネリア”ってキャラで、敵キャラです」


「え、敵……?」




 ぽかーんとする詩乃香さんに、続けて立ち絵が載った資料を1枚、2枚、3枚……と、総勢12名ものキャラを見せていく。

 美少女から美女、個性溢れるキャラたち。




「今回頂いた依頼はスマートフォン向けのアプリゲームのコスプレなんですが、いくつもキャラがいるんです。で、そのキャラ分のコスプレイヤーをそれぞれ募集しているそうです」


「じゃあ……」


「詩乃香さんは敵キャラをって。主人公サイドは、残念ながら有名なコスプレイヤーさんがやるそうです」




 隠すことなくはっきりと伝えると、詩乃香さんは悔しそうに唇を噛むがすぐに笑顔を浮かべる。




「そうなんですね! それでも、こんな有名な方々と一緒に仕事できるなんて嬉しいです!」


「そう言ってもらえて良かったです。それで、この二日間で人気投票が行われるそうです」


「人気投票、ですか……?」


「その人気投票で上位3キャラになると、次のゲーム内のイベントガチャで登場するそうですよ」


「なるほど。じゃあ、その人気投票で選ばれるように頑張らないとですね!」




 詩乃香さんは食い入るように、自分が演じるキャラの立ち絵を見つめる。

 期待に満ちた表情ができるのは、このアプリゲームのことを何も知らないからだろう。


 ──果たして、このキャラのゲームでの人気を聞いても喜んでくれるのだろうか。




 


 

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