第98話 イケナイお金の稼ぎ方



 一つ目の線引きを越えるのを許してしまうと、二つ目の線引きを越えるハードルは低くなる。

 二つ目の線引きも越えると、三つ目のハードルはもっと低くなる。


 そうして一つ二つと許してしまったら、止め時を見失う。


『先っちょだけ! 先っちょ挿れたらすぐ抜くから!』


 のように。

 いや、違うか。

 あれは元からそこで止めるつもりはない言葉だ。


 どうしてこんなクソみたいな例えを考えたのか。




「そうか、この光景を前にしているからか」




 窓から差し込む明るい陽射し。

 汗ばんだ肌に、肉付きのいい裸体。

 ゆっくり、そして大きく呼吸をすると腹部が膨らんだり縮んだりする。


 さっきまで彼女に覆いかぶさっていた俺は上半身を起こした。

 彼女は顔を横に向けたまま頬を赤く染め、潤んだ瞳は遠くの壁を見つめていた。




「詩乃香さん、大丈夫ですか?」




 そう問いかけるが、彼女は返事しなかった。

 怒っているのか、悲しんでいるのか。

 それとも、どうしてこんなことをしてしまったのかと後悔しているのか。


 それは彼女にしかわからない。

 ただ、越えてはいけないハードルを越えた。それは事実だ。




「そろそろ娘さんのお迎えの時間ですよね。じゃあ、少しだけ仕事の話をしましょうか」




 裸のまま俺はソファーに座る。

 絨毯の上で横になったままの詩乃香さんは、やっぱり返事をしなかった。




「詩乃香さん、ファンシア【Fansia】を始めましょうか」


「え……?」




 詩乃香さんは体を起こすと、やっと声を発した。




「そもそも、ファンシアって知ってますか?」


「い、いえ」


「ファンシアはクリエイター支援サイトです。活動者がいて、その人を支えるファンが月額──サブスク会員になってクリエイターを支援するものです。これを見てください」




 詩乃香さんはゆっくり体を起こすと、そこら辺に散らかった衣服を着ると隣に座る。


 もちろん、少し離れた隣だ。




「このサイトにはいろんなジャンルの活動者がいるんです。漫画家やイラストレーター、それに配信者。他にもマニアックなジャンルの活動者もいますが、中でも多いのはコスプレイヤーです」




 詩乃香さんはサイトのページを見ながら黙って俺の話を聞いていた。




「ちなみに、うちの会社に所属しているコスプレイヤーさんが月に稼いでいる金額は……」




 生々しい金額なので小さな声で伝えると、久しぶりに俺と目を合わせてくれた。




「えっ! そ、そんなに……」


「らしいです。そもそも、コスプレイヤーの主な仕事は雑誌とか企業案件を受けたときの報酬ですけど、そういうのを受けれるのはトップ層の人たちだけです」




 そういった仕事にはコスプレイヤーだけでなくアイドルやグラビア、それに芸能人なんかも加わってくる。

 そうなるとコスプレイヤーの上から下まで全員が受けられるわけはない。




「で、上位層ではない人たちはどう稼ぐか。まあ、今の時代は配信活動ってのもありますが、それだって他ジャンルの配信者がライバルになって簡単じゃない。なので、多くのコスプレイヤーはここで稼いでいます」


「月額500円……」


「その活動者の人気によって金額は変わりますが、多い方だと2000円のプランとかもあります」


「2000円!?」


「その内の10%を手数料で取られますが。ただサブスク会員が増えれば増えるほど収入は増えるので、これからの詩乃香さんの活動場所はここがいいんじゃないかなって思ってます。どうですか?」


「その月額……えっと、サブスクというのは、毎月お支払いしていただくんですよね、ファンの方に」


「そうなりますね」


「そんなことしてくれる人っているのでしょうか。毎月何百円、何千円も、私なんかに……」




 今の時代はサブスク会員なんて一般的なものなのだが、そういうのと無縁だった詩乃香さんにとっては不思議なんだろう。

 まあ、わからないでもない。

 スマホ代みたいに毎月支払うなんてと、そう思ったことは俺もある。




「もちろんSNSに載せているような写真を有料であるファンシアに載せても誰も見たいとは思いません。だけど無料では見れないような過激な写真が頻繁に更新されたら、ファンだったら見たいと思いませんか?」


「それは……」


「なので、はい」




 俺はスマホを操作して詩乃香さんへ写真を送った。

 その写真を見て、詩乃香さんは赤面して全身を震わせた。




「こ、これ……」


「さっき撮ったんです。よく撮れてますよね、詩乃香さんのあられもない姿」


「け、消してください! こんな、こんな!」


「この写真、ファンシアに投稿してください。あー、先にこの画像にモザイク加工してSNSに載せてください。『ファンシア始めました! モザイク無しバージョン投稿してます!』って」




 俺が送った写真は”行為中”の詩乃香さんの写真だ。

 きっと気持ち良くて、自分が撮られていることに気付いていなかったのだろう。

 この写真を撮った本人である俺が見れば行為中の写真だとすぐ理解できるが、第三者が見たら胸元を手で隠した色気のある写真ぐらいにしか思わない。

 まあ、中には勘付く人もいるかもしれないが、誰も行為中の写真を載せているなんて思わないだろう。




「SNSのフォロワーは増えました。ここからはどう稼ぐかです」


「で、でも……」


「詩乃香さんは綺麗です。でも、普通のコスプレを載せてすぐにお金を稼げるとは思えません。フォロワーになるのは無料であって、お金をくれるわけではないですから」




 既に多くのコスプレイヤーがファンシアで稼いでいる。

 今から新規参入した詩乃香さんに割って入る余地は正直なところない。

 なにせどんなジャンルにだってファン数には限度があるのだから。

 トップ層を支えるファンが新規参入した活動者──それも全員に金を払って支えるわけがない。


 新規参入者の何倍ものファンが新たに増える?


 それもない。

 であればトップ層のファンを分けてもらう、もしくは、奪うぐらいの勢いじゃないと難しい。




「それとも今から配信活動でも始めますか? 実写配信? ゲーム配信? それこそ、競争にすらなりません。4nоがここから始めるのは、ファンシアで固定の収入源を稼ぐこと。そして、手っ取り早い方法は他より過激にすることです。……男はみんな、過激な方が好きですからね」




 笑顔でそう伝えると、詩乃香さんは黙ったまま俯いてしまった。


 入口はSNSから。

 そこで彼女の魅力を知った人をファンシアに誘導する。

 はっきり言ってしまえば地味、良く言えば清純派っぽい見た目のエロい姿なんて世の男みんな好きだろう。

 それなりの数をサブスク会員にすることができると思う。


 後は詩乃香さんが一歩前に進めるかどうかだが……。




「スーパーの仕事、辞めたんですよね?」


「……はい」


「居酒屋のバイトだってこのまま続けられるかわからない。そもそも、居酒屋のバイトだけじゃ、娘さん──澪ちゃんのこれからの面倒を見るのは難しい。ですよね?」


「……」


「じゃあ、頑張らないと」




 彼女の顔をこちらに向け、笑顔で伝える。




「もう後戻りはできませんよ。俺に従うか、それとも自分で何とかするか。ほら、選んでください」




 今まで俺のことを良い人だと思ってくれていたのかもしれない。

 だけど今、きっと悪い人だと気付いた……いや、はっきりと自覚した。

 それでも彼女に足踏みする余裕も後退りする愚行もできない。今の彼女にできるのは、目の前の男に従うだけ。




「わかり、ました……。よろしくお願いします」




 詩乃香さんは消えてしまいそうなほど小さな声で言うと、俺に向かって頭を下げた。












 ♦












 その日の夜。

 詩乃香さんはファンシアのアカウントを作り、SNSで宣伝した。

 俺が言った通りあの写真にモザイクを付けたSNSの投稿は大きな反響を得た。おそらくはファンシアのサブスク会員数もある程度は加入してくれただろう。


 次の日。

 詩乃香さんに聞くと、500円のサブスク会員にて現時点で300人もの加入があったそうだ。

 興奮気味に話す詩乃香さんに昨日の気まずい雰囲気はない。

 おそらく成功体験に興奮して、俺と何をしたのか忘れてしまったのだろう。


 そんな彼女に俺は「新しい写真を撮りましょうか」と伝えた。

 舞い上がっていた詩乃香さんの表情がどんどん暗くなっていく。

 何が行われるのか想像したのだろう。そして、俺と詩乃香さんは再び体を重ねた。


 初めてした昨日よりも悦んでくれた詩乃香さん。


 その時の写真をファンシアで公開すると、会員数はまた増えた。


 次の日、また体を重ねて写真を撮って投稿した。

 その次の日、また体を重ねて写真を撮って投稿した。


 次の日も。

 またその次の日も。

 そんな楽しい楽しい関係を一週間も続けていると、最初は嫌々な空気を出していた詩乃香さんも壊れてしまった。


 サブスク会員は1000を越えた。

 フォロワー数もどんどん増え、コスプレ界隈以外にも名前を知られるほど有名になった。

 毎日のように「ファンシアに載せる写真を撮りますね」という名目を盾に体を求められ、結婚してからずっと忘れていた悦びを思い出させられた。


 詩乃香さんは、気付くと俺が何を命令しても従うようになっていた。



 そんな彼女の育成計画が終わった8月15日。

 達成感を抱えながら、俺は深い夢を見た。

 明るくて楽しい夢だった気がする。登場人物はわからない。ただ不意に誰か来て、そして俺に何かを言った。

 なんて言われたかわからない。

 だけど俺は、目の前に突如として現れた鉄球に押され、深くて暗い影の中に背中から落ちて行った。


 気がする。

 全て、うろ覚えだ。


 そして深い夢から目を覚まして、すぐに声を漏らした。




「……え?」




 目を覚ますと俺は小さな公園のベンチに座っていた。

 夕暮れ時で、遊具には多くの子供たちが楽しそうに遊んでいた。

 だが目の前の光景はよく見えない。正面に障害物があって、体を横に傾けないと見えない。




「えっと、あの……」




 なにせ目の前には、制服姿の女子高生が立っていたからだ。

 金と水色のダブルカラーの長髪に色白の小顔。モデルのようなすらっとした体型の彼女は、派手な装飾品を付けたスクールバックを持ち、俺の目の前に立つ。

 睨み付けるように……と思ったが、それは鋭い目付きなだけで、よく見るとボーっと俺のことを観察しているように感じた。




「ここは? えっと、君は誰かな?」




 再び問いかけると、彼女は何も言わずその場を立ち去った。


 何だったのだろうか。

 そう思いながらスマホを確認すると、日付は8月19日──最後に詩乃香さんと一緒にいた8月15日から4日も経っていた。

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