四章 ~アタシのスキなカレをカエシテ

第87話 私だけが知っている選択肢





「──記憶喪失になった患者さんの記憶が戻ったとき、一般的には前後の記憶が混ざった状態で回復します。ですが今、橘さんの中には二つの人格が形成されています。記憶を無くす前の橘さんと、記憶が無くなってからの橘さんです。今あなたの目から見て、彼がどちらの人格にあるかわかりますか?」


「前者です」


「では前者の橘さんに、ここ数日の記憶はありましたか?」


「いいえ。ただ昨夜の数時間、一瞬だけ意識が戻ったときのはあると言っていました」


「なるほど。それぞれの人格は共有されないのでしょう。では、別の人格が体を動かしているとき、あなたが話した橘さんはそれを自分の目、もしくは第三者として俯瞰で見ていたと仰っていましたか?」


「いいえ、意識は無く、眠っていた感覚に近いと言っていました」


「もう一人の人格が目を覚ましているときは眠った状態に近いと。なるほど。おそらくは精神的な部分が問題かと思われます」


「精神、ですか……」


「あなたが言うには、橘さんの人格Aと人格Bには性格や口調に大きく差があるとのことでした。そして、どちらも”彼”だと仰っていました。おそらくは元から二重人格の兆候があったのだと思います」


「……」


「こればかりは本人から聞かないとわかりませんが、今の彼に聞くのは難しいでしょう。わかりました」


「あの、先生」


「はい」


「彼はこれからどうなるのでしょうか」


「正直なところわかりません。今回の橘さんの症状ですが、これに似た症状のものが海外でいくつか確認されました。それを元に話すと、一度生まれた人格はそう簡単に消えないとのことです。ある人物は一年かかり、またある人物は三年……そして、二つの人格を持ったまま今も治っていない方も」


「……」


「そして、この人格は不意に切り替わるそうで、そのタイミングは患者さんによって異なるようです。例えば、その人格の時に深く関わった者と話したときに代わる方もいれば、睡眠を機会に一日ずつ切り替わる方もいるそうです。なので、橘さんも他の患者さん同様に切り替わるタイミングが何かしらあると思われます」


「その条件というのは、今のところわからないんですね」


「残念ながら。ただし橘さんはこれまで三度、人格が切り替わったと伺っています。ということは、何かしらの条件を踏んだ可能性があります。心当たりありませんか?」


「一回目はあの子とホテルで、二回目は行為の後。三回目は起きたら突然。……すみません、わかりません」


「そうですか、それがわかれば人格のコントロールができて日常生活に負担がかからなかったのですが」


「あの、先生。もし片方の人格だけが目覚めた状態になると、もう片方の人格はどうなるのでしょうか?」


「片方の人格──人格Aでいる期間が長ければ長いほど、人格Bの人格は少しずつ薄れ、やがて消えていくでしょう」


「二つの人格を一つにする方法は!? それは、できないんですか……?」


「残念ですが、前例がないとだけ言っておきます」


「そう、ですか……。わかりました。先生、ありがとうございます」


「いえ。それにしても驚きました。まさか研修医だった僕の初めての患者さんであるあなたとの再会が、こんな形になるとは。体調の方はもう大丈夫ですか?」


「はい。あの時はお世話になりました」


「そうですか、それは何よりです」


「それと彼のこと、本人よりも先に私に教えてくださってありがとうございました」


「いいえ。……僕も、あなたが彼の側にいてくれて良かったです。本人に”どっちの人格を消しますか?”なんて聞く度胸、僕にはありませんから。このことをどうするかは、あなたにお任せします。ご家族には……」


「私から話します。なんて話せばいいかわかりませんが」


「わかりました。彼の怪我もあと数日で完治しますので、そうしたら退院しても問題ありませんので」


「わかりました」


「では、僕はこれで」


「先生、ありがとうございました」

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