第81話 制服デート




「まだ、思い出してくれないんですか……?」




 何を。

 という言葉を発しようとして口を開け、唇を動かしたのに声が出ない。

 奇妙な沈黙。

 そんな僕の反応を見て、メイは悲しそうに俯いた。




「……メイのことめちゃくちゃにしたのに、自分だけ忘れるなんて。ほんと、ひどい人ですね」


「え、それどういう……」


「なんでもありません。そういえば時間、大丈夫ですか?」




 時間。ああ、時間。

 時計もスマホもないからわからない。




「そろそろ病院に戻った方がいいですよね。あんまり長いと病院の人に怒られちゃう」


「そう、だね。うん」




 言われるまでそんなこと考えてなかった。

 それよりも続き。僕の失った、消えてしまった彼女──メイとの思い出が知りたかった。

 だけど同時に、それを知るのが少し怖いとも思った。

 なにせ何も覚えていないから。

 僕が知っているのは彩奈から教えてもらったことだけ。

 彩奈の話にはメイはいない。メイの名前すら出てこない。

 だから怖かった。自分の知らない一面を知ることが。そして、誰が本当のことを言っていて、誰が僕に嘘を付いているのかを知るのが。




「明日、また同じ時間に出てこれますか?」


「いや。わ、わからない」


「もし明日、同じ時間に出れたら思い出話の続きを聞いてくれませんか? 先輩とメイが再会して、どんな風に……」




 メイの手が、僕の太股を撫で上げた。




「求め合って、メイのこと──壊したのか」


「壊した? 壊したって僕が、君を……?」


「他に誰がいるんですか? 壊したんです。先輩が、メイを」




 今さら、彼女のくすくすという独特な笑い方が不気味に思えた。




「知りたいですか?」


「う、うん!」


「じゃあ、明日。絶対に来てください」


「……」


「困ったら黙って、嫌なことにはすぐ逃げちゃう。記憶が無くなってもそこは変わらないんですね」


「いや、その」


「卑怯な人」




 メイが僕の両頬に手を当てる。




「だけど、好き。悪いところを見れば普通は嫌いになるのに、先輩の嫌いところは見れば見るほど、おかしくなるぐらい好きになっちゃう」


「メイ……?」


「もう、逃がさないですよ?」




 そのままキスをした。

 唇を重ね、彼女の濡れた舌が僕の口をこじ開けてくる。

 ちょんちょんと舌先同士が当たると、そのまま……無意識に絡まっていく。

 お互いの唾液と吐息が口内を行き来する。

 涼しい風に吹かれながら、重ねた口からゆっくりと全身が温かくなっていった。体だけじゃなく頭も、おかしくなりそうだ。




「ん……ちゅ」




 だが、その快感がふと消える。




「彼女がいるのに他の女とキスするなんて、最低ですね?」




 そう言われて胸が苦しくなる。

 何も言い返せない。そんな僕を見て、メイは口端を吊り上げる。




「でも安心してください。そんな最低な先輩を、メイは……メイだけは、愛しますから。ずっと、ずーっと、ね?」




 だから明日、また同じ時間に。


 そう言った彼女に僕は気付くと頷いていた。

 それからタクシーに乗って病院まで戻る。道中、メイは喋らなかった。ただ隣に座って、僕の腕を組んで、肩に頭を乗せて目を閉じていた。
















 ♦















 ──次の日。


 何も無かったように彩奈と話す。

 それができていたかはわからない。

 ただ、彩奈は時々なにか言いたそうな表情を浮かべた。

 その度に話題を変える。僕が。やましい気持ちを隠すように。


 そして、約束の時間が訪れる。

 近付くごとにそわそわして、時計を見る機会も増えた。

 緊張だと思いたい。期待という単語がちらつくが、何を期待するというのか。




「僕が、彼女を壊した……」




 証拠もない、ただの彼女の言葉。真実か嘘かなんてわからない。

 それに「壊した」にもいろんな意味がある。

 想像している意味の他にも、アイドルの夢を壊したとか。




「きっとそういうことだ。僕が彼女の人気アイドルになりたいっていう夢を壊しちゃったんだ。恋愛が……そう、アイドルは恋愛禁止だからそれで」




 そう思うと、昨日の夜からずっと僕の中にある気持ち悪いモノが薄れていく。

 だけどすぐに戻る。したくない、そうじゃないと思っている想像を。




「僕が彼女を、壊した……」




 想像するたびに動揺と、それ以上の興奮が全身を支配する。

 壊したということに罪悪感を覚えないといけないのに、どうして僕は。




「僕はなんだ。これまでの僕は、何をしてきたんだ……?」




 わからないことだらけのぐちゃぐちゃの頭のまま、僕は再び病室を出る。行ってはいけない、知ってはいけない、そんな気がしながら。




 今日もナースさんが勘違いしていた。

 続きが気になっていたドラマが始まったときの僕みたいな表情だ。

 そんなナースさんに送られて病院を出ると、あんまり車が停まっていない駐車場に人影が見えた。




「──先輩」




 近付くにつれ影になって真っ黒だったシルエットが鮮明になっていき、はっきりと彼女の姿が見えた。

 驚いて、足を止めた。




「え?」


「どうですか、似合いますか?」




 昨日の服装とは違う、何処からどう見ても制服姿の彼女。

 紺色のソックスに太股を出した短めのスカート。胸元を大きく開けたブラウスに、クリーム色のブレザー。




「どうしたの、その制服」


「メイの高校時代の制服ですよ。先輩の為に実家から持って来たんです。卒業してまだあまり経ってないですけど、髪色が派手だからコスプレ感があって少し恥ずかしいです」




 頬を赤くしながら、メイは俺の前に立つ。




「先輩、どうですか?」


「ど、どうって……?」


「似合ってますか?」




 テレビでも病院内でも制服姿の女の子は何度も見てきた。

 それに欲情することなんて一切なかった。当たり前だ。だけど目の前に立つ制服姿のメイを見てると、頭がおかしくなる。

 自然と、はちきれそうな胸元のボタンに目がいく。




「くすくす、また胸見てますよ?」


「え、あ、これは」


「先輩と付き合ってから少し大きくなりましたからね。ブラウスだけは当時のじゃなくって新しいの買った方が良かったかもです」




 確かにもう一つ大きいサイズでも良かったかもしれない。というよりその方がいい。

 それに下着の色も透けて見える。そんな派手な黒じゃなくて白の方が……。




「それで?」


「え?」


「言葉で聞かなくてもわかりますが、先輩の口から聞きたいです。先輩、メイの制服姿……似合ってますか?」




 僕は何も考えず「うん、似合ってるよ」と答えていた。

 呼吸をするように何も考えずにした返事に、僕は言って数秒してから自分で驚いた。

 知らない過去の自分が一瞬だけ顔を出したようだった。




「くすっ、良かった。じゃあ行きましょうか、初デートの場所に」

 

 

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