第55話 乗るか逃げるか



 次の日の朝。

 俺は支度を済ませて家を出た。

 昼過ぎに会いに行って、手料理を振る舞ってくれるそうだ。


 だが、




『すみません、先輩。急な用事ができてしまって。夜からでもいいですか?』




 家を出てすぐ、メイからメッセージが届いた。




「わかったよ、っと」




 用事か。

 何のとは聞かなかったけど、相当重要な用事なのだろう。

 仕事であろうが俺との用事を優先する彼女がそう言うってことは。




「……」




 想像した、何の用事なのかを。

 だけどすぐに頭を振って考えないようにした。




「家に戻るか、何か食ってくるか、どうするか」




 夜からということは昼飯は食っていいということだろう。

 朝飯もまだ食ってないからめちゃくちゃ腹が空いてる。


 そんなときだった。

 ポケットにしまおうとしたスマホが音を鳴らす。

 画面を確認して、「げっ」と声を漏らしながら眉を寄せた。

 だけどメッセージではなく電話なので永遠と鳴り続ける。留守電の設定にもしていないから、こいつが電話を切ってくれないと音が止まらない。


 大きなため息をついてから電話に出た。




「……もしもし」

『おお、エロガキ! いま暇!?』




 いつもより大きい黒鉄の声。

 電話の後ろでは『本日の第2レース』とか、そんな実況の声がした。




「暇じゃない」

『は、用事あんの?』

「いや、夜から……」

『夜から用事あんなら昼はないんだろ? ちょっと来てくれ、なっ、なっ?』

「……金は持ってかなくていいよな?」

『いや、ああ、まあ、何万か下ろしてから来た方がいいんじゃねえか? 知らんけど』

「そうか」




 そこまで聞いて、なんとなく俺を呼び出そうとする理由がわかった。




「競馬しに来たがもう軍資金が底を尽きそうになったから、俺を呼び出して金をせびる気なんだろ?」

『……とりあえず待ってっから! なっ? 飯でも食いながら今回の話しでもしようぜ!』




 一方的に場所だけを告げて電話を切った。

 やっぱり馬券が変える場外馬券場だった。

 行っても金くれとか金貸してくれとか言われるだけだが、まあ、今回の一件であいつには助けられたからな。


 いつもの呼び出しに比べれば、まだ気は重くない。


 俺は待ち合わせ場所へ向かった。














 ♦













「おお、こっちだこっち!」




 平日の昼間ということもあって人はあまりいなかった。

 競馬でメインとなる中央競馬は土日しかやっていないので、地方競馬しかやっていない今日は人がいなくて当然だ。

 だから、というわけではないが、場外馬券場に着くなりすぐに黒鉄を見つけられた。




「そんな大声出さなくてもわかるって」

「あ、別に大声出してないだろ?」

「十分、大声だった……って、お前、呑んでんのか?」

「ま、まあ、な。いや、今日は朝から勝ちまくって調子いいと思ったから、つい」

「だけどその後、めちゃくちゃ負けて、こうして俺を呼んだんだろ?」

「……何を人聞きの悪い。俺はなあ、親友のお前と一緒に遊びたくてだなあ!」




 180の男に肩を組まれると威圧感が凄い。

 しかも顔が少し赤くて酒臭い。こいつ、朝からどんだけ吞んだんだよ。


 俺は銀行の封筒で黒鉄の額を叩いてやった。




「痛って、ん……?」

「今回の報酬だ、取っておけ」

「ほお、いいのかよ。別にお前から依頼を受けたつもりはないんだがなあ……?」




 組んだ肩を離し、封筒の中身を確認した黒鉄が「ほお」と汚い笑みを浮かべた。




「これやるから、メイにたかるなよ」

「なるほど、これはあのエロ狐の分もということか。だが、それならすこし少ないかもな……?」

「お友達価格として安くしろ。今後も何かあったら依頼してやるから」

「まっ、しゃあねえか。それに、あの女のところに行って催促するのもめんどくせえ。ここはお得意様にへこへこしておくとするか」

「だろ。ほら、狙ってるレースあんだろ?」

「そうだったそうだった」




 黒鉄は駆け出し、俺から受け取った封筒を握りしめながらマークシートに記入を始めた。




「で、元カノとは上手く話をまとめられたのか?」

「あ? まあ、どうだろうな」

「ってことは、あのエロ声女とは上手くやれたが……余計どっちか選べずにいるわけか」

「おい、言い方」

「まっ、俺からしたら、どっちか選ぶ必要なんてあんのかって話しだがな」

「なに?」




 マークシートを書き終わった黒鉄が馬券の購入へ向かう。




「恋愛なんて人それぞれだろ。どうせ、二人だって絶対に選べとか言ってないんだしな」

「まあ、そうだが」

「だったら楽しめよ。めんどくせえことなんて忘れて、ぱあっと楽しめばいいだろ。いい女二人ともを独り占めしてな」




 くっくっくっと笑う黒鉄。

 酒で酔ってるから、アドバイスもどこか適当だ。




「お前みたいにその場暮らししろってか?」

「おう、そうだ。いいぞ、この一日一日が勝負な人生。ヒリつくんだ、この馬券が負けたらどうなるか……だが、勝てば夢が広がる」




 黒鉄は大きく両手を広げた。




「勝てば好きな酒が呑める。勝てばいい女を抱ける。勝てば選択肢が広がり、負ければ選択肢がなくなる。最高だろ、なあ!?」




 マークシートを渡された。




「俺にもクズになれと?」

「このレースは自信があるぜ。乗るか? それとも、逃げるか……?」




 逃げる、か。

 賭けに対してなのか、それとも、あの二人からなのか。

 いや、酔っぱらいの戯言を一々気にする必要はない。


 俺はマークシートを受け取る。




「仕方ない。お前に乗ってやるよ」

「はっ、それでこそ俺の親友だ」

「お前の親友は勘弁だな。で、どう買えばいいんだよ」

「そこからかよ。ったく、素人め」




 深く考えず流れに乗る。

 何のことを言っているか、自分でもわからない。

 ただ、落ちるとこまで落ちたとしても、このクズ野郎を見てたら平気な気がした。

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