第49話 依存
それからも入退院を繰り返す日々は続いた。
だけど運動を控え、薬を飲み続けてきたお陰で、少しずつ体調は良くなって中学高校と進んだ。
ただ入退院を繰り返す私に友達ができても、長続きすることはなかった。
友達なんて所詮は他人。クラス替えをしたり、席替えをしたり、顔を合わせなければその関係は薄れる。
ましてや入退院を繰り返す私には、これからずっと一緒にいてくれる親友のような存在はできなかった。
──友達はダメ。だったら恋人なら……?
愛し合った関係なら、簡単に離れていかないのではないか。
そう思ったときには高校を卒業して、大学へと進学していた。
薬の量は変わらない。
だけど入退院を繰り返すことはなくなった。
お医者さん曰く、大人へと体が成長したことによって体調が悪くなる頻度が減ったのだという。
それでも運動をする許可は、お医者さんではなく父から貰っていない。
まあ、不満ではなかった。私自身も、もうあの病院での暮らしに戻りたくなかったから。運動はしないと決めていた。
そして華々しい大学デビューは──私の理想と大きくかけ離れていた。
今まで学んできたことにはない、よくわからないノリがあった。
何処へ行くにも必ず複数人で行動して、嫌いな者を見つけると仲間を見つけて陰で悪口を言って盛り上がる。
私がずっと一人だったから、これをおかしいと思ったのかもしれない。
せっかく望んで出た鳥籠の外の世界。美しく、明るく、楽しい、誰にも縛られない外の世界。
退屈で窮屈な世界だと感じた。
──だけど、そんなときだった。
私は、君に出会った。
よくわからないノリを押し付けられ、苦しむあなたに。
そしてその苦しむ姿はまるで、昔の自分を見ているようで、気づくと手を伸ばしていた。
──ねえ、君。大丈夫……?
苦しむこの子を、私に依存させて離れさせないようにしよう。
父から受け継いだ醜い血が悦び、騒ぎだすのを、止めることはできなかった。
♦
「──これが、恵くんの知らない私」
初めて聞いた燈子さんの幼い頃の話。
俺と付き合っていた頃も、体を動かす遊びをしたことはない。走った姿すらあまり記憶に残っていない。
「それなら話してくれれば良かったじゃないですか。別に隠すことじゃ……」
「違うの」
違うの。
二度、口にした燈子さん。
「父が私にしたことを、私はあなたにしたのよ」
「それって……」
「縛った。元カノに浮気されて傷つくあなたを、私の側から離れられないように縛った……。私から離れられないように」
そう言って立ち上がると、燈子さんは部屋の電気を消した。
「……燈子さん?」
彼女は何も言わず、俺の体を正面から優しく押し倒した。
「浮気されて傷つく恵くんは、私にとって理想の相手だったの。周りに不信感を抱き、誰も信じられなくなって傷付いたあなたは、きっと私だけを見てくれる。そして、そうさせた」
上着を脱ぎ捨てた燈子さん。
背中に輝く月明かりに照らされても、はっきりと純白の下着姿の燈子さんの、その悲しそうな表情は見えた。
「いっぱい旅行して、いっぱい一緒に寝て、いっぱい……愛し合ったよね。私、とても幸せだったのよ。あなたとこれからもずっと一緒にいたいって」
だけど。
と、燈子さんは身体をゆっくり下ろす。
密着させた彼女の身体は、少しだけ震えていた。
「あなたが大学に入学する数日前に、また入院することになったの」
「え……?」
「激しく愛し合って、また体調を悪化させちゃったのかしらね……。そして、大学に通うのを機に家を出た私に、父は家に帰るよう言ったの」
微かに冷たさの残る部屋の空気に、彼女の熱だけが温かさを生む。
「父は私が大学でどんな生活を送っていたか調べたわ。もちろん、あなたのこともね」
「じゃあ」
「すぐさま大学は自主退学させられたわ。あなたと連絡もできないようにされた。病室で一人……またベッドの上で外を眺める生活。だけど罰が当たったのかもね」
「罰……?」
「あなたを苦しめた」
クスッと笑う燈子さん。
「恵くん、私と付き合ってから学校の成績悪くなっていたでしょ?」
「えっ、どうして……」
「隠していたみたいだけど、成績表、見ちゃった。それに私と遊ぶためにいくつもバイトして……。大変だったでしょ?」
「別に大変じゃなかったですよ。俺は──」
「──このまま付き合っていたら、きっと恵くん壊れちゃうなって。そう感じながらも、恵くんと一緒にいるのが楽しくて、言い出せなかったの」
燈子さんの言ったように、彼女と付き合ってから俺の高校生活は激変した。
友達と遊ぶことは減り、バイトをいくつか掛け持ちして、授業中はバイト疲れで寝ることも増えた。
成績も落ちたのは自覚していた。
だけど燈子さんとつり合いたくって。高校生が、大学生と対等に付き合いたくって背伸びした。
それが彼女の言う縛ったであって”依存させた”という意味なら、その通りなのだろう。もしも彼女との生活が続いていたら、確かにどうなっていたかわからない……。
それでも、
「俺は楽しかったですよ。燈子さんと一緒にいれて」
「恵くん……」
当時の嘘偽りない言葉。
俺があの日、救われたのは燈子さんと出会って付き合えたからだ。
分不相応だってわかっていたからこそ努力した。その努力だって、今になってみたら楽しかった思い出の一つだ。
「燈子さんは、お父さんに縛られた生活をさせられて苦しかったのかもしれないですけど、俺は当時、縛られていると思ったことは一度もありません。だから楽しかった思い出を、悲しかった思い出みたいに話すのは止めてください」
「恵くん……」
燈子さんの頬に手を触れながら伝えると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
──上着を脱いで俺を抱きしめる彼女の本心は、俺にはわからない。ただ過去のことを申し訳なく思いながらも、今もなお、彼女の心の中には俺を離したくないという気持ちが根強く残っているのかもしれない。
だけど抱きしめたその体は震えていた。彼女はきっと、全て打ち明けたことで俺に嫌われ、離れてしまうんじゃないかと不安なのだろう。
この行動が、加賀燈子という女性の本質を表していると感じた。
ずっと孤独の中で生きてきて、自分の側から離れていく人々を見て、彼女はその背中に手を伸ばし続けた。
そして見出した答えが、自分に依存させること。
ただ燈子さん自身も気付いていないのだろう、彼女の本質は依存させることではなく共依存することだ。
依存することも依存させることも良くないと彼女は口にする。お互いに離れた方が幸せになれるのではと上辺だけの言葉を並べる。
だけど一度経験した底なし沼から、彼女は抜け出せない。
そして彼女と一緒にいたことによって似てしまった俺自身も、その底なし沼から抜け出せない。
「俺は幸せでしたから。全部、自分が悪いと思い込まないでください……」
俺は彼女を抱きしめながら伝えた。
──俺は善人じゃない。
彼女の本質を知って、俺の中にある醜い感情が歓喜しているのだから。
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