第47話 彼女の考え

 




「あのエロ狐は、お前がまだ加賀燈子を引きずっていることを知っていた。そして呪縛と表現した」

「呪縛、か……」

「それについては俺も同感だ。まあ、別れ方が別れ方だ、仕方ない気もするが」




 確かにメイや黒鉄の言うように、俺は呪縛に捕らわれているのかもしれない。


 あの日、俺の前から姿を消した燈子さん。

 大学時代にメイと出会ったことで燈子さんへの気持ちが薄れたのに、彼女と再会して、また俺は離れられなくなった。

 



「同じ呪縛でも、神宮寺と神崎については前回の件で清算して、過去の苦しみから解放された。そうだろ?」

「……ああ、前までは夢に見たこともあった。だけど今はもう」




 イジメを受けてきた者は、いつになってもその苦しみを思い出す。

 何年経とうが、今がどんなに幸せだろうが、ふとしたきっかけでその苦しい過去を思い出す。


 それと同じ。

 あの日のことを今まで何度も夢に見た。

 夢だけじゃない、ふとしたきっかけで思い出し、苦しんできた。

 だがはっきりと過去にケリを付けると、不思議と夢は見なくなった。

 ふとしたきっかけにあの時のことを思い出しても、それを上書きするようにあの皐月川公園で神宮寺が逮捕された映像が蘇り心を落ち着かせる。




「それも、お前を縛っていた呪縛の一つだろう。──だが一つの呪縛が消え、もう一つの呪縛が大きくなった」

「燈子さんとの、過去か……?」

「エロ狐が言っていた。お前が夢にうなされながら「燈子さん、どうして俺の前からいなくなったんですか」って口にしていたって」




 女と寝ているのに他の女の名前を出すなんて、なかなか度胸あるな。

 笑いながら黒鉄がそう言うが、俺は笑えなかった。




「……メイがそれを言っていたのか?」

「ああ」

「何も言われなかった」

「だろうな。言ったってお前が返事に困るだけだってわかっていたんだろ。それにお前はあの女の前から消えた前科がある。また自分の前からいなくなるのが、怖かったんだろうさ……」




 黒鉄は俺がどうしてメイの前から消えたのか、その理由を知っている。


 アイドルとして活動していたメイ。

 人気もあった彼女だが、人一倍のプレッシャーを受け苦しんでいた。

 そんな心の支えとして、俺の存在があった。

 最初は普通の恋人。だが時が経つにつれ、メイの元から持っていた依存癖と被虐癖、そして従属──いや、盲従する体質が強くなっていった。


 ──先輩になら、どんな命令されても嬉しいです。

 ──先輩が心配にならないように他の男の連絡先消しますね。

 ──先輩だけにメイを見てほしいから、アイドル辞めてきました。


 服を脱げと言えば服を脱ぐ。

 ご飯を食べるなと命令すれば何日間も何も食べない。


 どんどん悪化するメイに俺は怖くなった。

 このまま側にいたらきっと、メイは壊れてしまう。

 それはまるで、メイと出会う前の、燈子さんに依存していた自分を見ているようだった。




「別にお前があの女の前から消えるのは仕方ない。あのままずるずる行っていたら、きっとどっちかが壊れていたかもしれない」 

「……」

「だが、エロ狐とまた出会っちまった。そして加賀燈子とも。だったら……いや、なんでもない」




 黒鉄は言いたいことを飲み込み、別のことを俺に伝えた。




「エロ狐のことを大切に思っている中で、お前の中には過去の──加賀燈子の呪縛が残ったまま存在する。だからどっちつかずに揺れて……自分でもわかっているんじゃないのか? 自分の言動が変だって」

「俺は別に……」

「前にストーカーの件で俺に相談したとき「恋愛感情があるからとかじゃなく、あの人は寂しい人だから。俺しか頼れる人がいないから」って言ったよな? あの時から変だと思っていた。お前は加賀燈子の過去を知らないのに、どうしてそう思ったんだ?」

「それは、付き合っていたときに」

「ただ自分がそう願っただけじゃないのか? 寂しい人だって思いたくて、自分がいなくちゃだめなんだって思いたくて。自分の前から消えたのだって、ちゃんとした理由があるんだって」

「そういうわけじゃ……」

「だったら理由を聞いたらどうだ? 自分の前から消えた理由を。だが怖くて聞けないんだろ?」




 俺は何も言い返せず俯いたまま黙った。




「知らなければ簡単だ。お互いに何も言わず、恋人にならず関係を続ける。そうすればお互いに幸せだ。だがあのエロ狐はそれが嫌なんだろう。どんなにお前と一緒にいても、どんなにお前を想っていても、お前の中にはずっと”今”のではなく”過去”の加賀燈子という存在が残っている。だからあのエロ狐は俺にコンタクトを取った。加賀燈子の過去を知るきっかけを与えてほしいってな」


「メイから黒鉄に?」


「お前に直接話すわけにもいかんだろうし、何より恋敵の加賀燈子に言うわけにもいかない。んで、仕方ないから俺というわけだろうな。嫌な顔しながら頼み事されたぜ」




 笑いながら話す黒鉄。

 メイと黒鉄は仲が悪い。

 それは出会った当初からずっと。

 そんな黒鉄に相談したということは、どうしても、俺に燈子さんの過去を知ってほしくて──どうするかを選択してほしかったのか。




「メイはどうして知ったんだ?」


「ああ、警察に捕まった神宮寺から、面会所で聞いたんだとさ」


「……そういえば、一度だけ警察に呼ばれたとか言っていたが」




 神宮寺は捕まった後も騒いでいたと話を聞いたことがあった。

 元カノである神崎まどかが仕組んだことだとか、菜々香さんにはめられたとか。

 そんなコロコロ変わる供述が通じるわけはなかった。ただメイは一度だけ、神宮寺が面会を求めていると言われて面会した。

 同席しようかと聞いたが、彼女は「大丈夫」と言ったので、帰ってから何を言われたのか聞いただけだった。




「あの時は聞くに堪えない妄想話を聞かされたと言っていたが……」


「が、本当は違ったそうだ。色々と言われた中の一つに、大学時代に耳にしたっていう、加賀燈子のことを神宮寺が話したんだ」


「どうして神宮寺が燈子さんを……」




 そこが引っかかった。

 燈子さんは神宮寺との件で関係ない。もちろん、あの最悪な日のときに燈子さんはその場にいたけど、全く無関係だ。

 だからどうして、燈子さんのことを……。




「……さあな。ただ周り全員を憎かっただけだろ」




 歯切れの悪い言い方が気になったが、




「それで、神宮寺は加賀燈子から直接聞いたわけじゃないが、大学時代に聞いた”噂話”があったそうだ」




 黒鉄は話を続けた。




「不確かな内容だったが、十分可能性はあるとエロ狐は思った。んで俺がそれを本人に伝えたら、ビンゴだったわけだ」


「……」


「きっと今なら、過去のことを本人から聞けるだろうな」




 黒鉄はタバコの火を消すと立ち上がる。




「そこでストーカーの件が何だったのかも聞けるはずだ。……と、いうわけで、俺の役目はここまでってわけだな」


「後は本人と話せってことか」


「それがエロ狐からの依頼だ。ちゃんと過去のことを知って、加賀燈子と向き合って、そこで決断してほしいってな」




 ──それじゃあ、続きは帰ってから。

 メイが最後、俺に投げかけた言葉。それはきっと、全てを知り、呪縛から解放されてから会いましょうということだったのだろう。

 そして黒鉄が燈子さんと話したことによって、俺は部屋で、彼女から過去を聞かなければいけないようになった。

 逃げることもできる。だがお互いに、さっきまでの忘れたことにして接するのは無理だろう。


 俺は覚悟を決める。

 ずっと逃げていた、忘れたふりをしていた、彼女の過去と向き合う覚悟を。



 

   





 ♦










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