第42話 夢


 旅行なんて、いつ以来だろうか。

 そう思えるほど、最近では記憶にない。

 そもそも子供の頃だって、仕事が忙しかった両親と旅行へ出掛けた思い出はない。記憶に残っているとすれば、高校生の時、燈子さんに誘われて様々な場所へ旅行したことか。




「──ねえねえ、恵くん。次は何処に行こっか」


「え、何処って……先週に行ったばかりですよ?」


「そうだけど、また行きたいんだもん」




 燈子さんはあの頃から旅行が好きだった。

 いつも決まって”ゆっくりできる場所”が多く、賑やかな海よりも穏やかな山に行くことが多かった。

 かと思えば、周りに人がいなければ、夕焼けに反射した海が見たいと手を取られ海水浴場へ出掛けたこともあった。


 ──人がいないところが好きなの。


 ということをよく言っていたのを思い出す。

 山であろうと海であろうと、人が大勢いるところは苦手で、静かな場所で二人でいるのを燈子さんは好んでいた。




「次は前回よりも遠くに行こうかなって。北海道なんてどうかな?」


「北海道ですか? 北海道って言ったら、札幌……?」


「まずは函館。夜の景色が綺麗ってテレビで見たの。それからゆっくりと時間をかけて札幌に行って、北を目指すのもいいかもしれないわね」


「だけど2月の北海道ってめちゃくちゃ寒いですよ?」


「だからいいの。恵くんの大学進学祝い!」


「合格発表、まだですけど……」


「私が勉強を見てあげたんだから、受かってるに決まってるじゃない。だから、ねっ、お願い!」


「まあ、いいですけど……。はあ、また短期のバイト探さないと」


「ふふっ、嬉しい。さすが私の彼氏! じゃあお礼に、今日も頑張っちゃおっかな……」


「頑張るって、ちょ、燈子さんッ!?」




 きっと俺が大学へ進学しても、あちこちに引っ張られるんだろうな。そんな風に思っていた。

 なにせ彼女は本当に、旅行が好きだから。


 だから。

 なのに。

 どうして。


 燈子さんと最後に旅行へ行った思い出は、2月の北海道旅行が最後だった。

 楽しい思い出を残し、次は何処へ行こうか、今度は大学生同士の旅行ねと言い合った。

 神宮寺と神崎がいるのも忘れて、明るい気持ちで大学生初日を迎えた。

 これからは彼女とずっと一緒に──だけど。




「加賀燈子さんでしたら、退学したいと彼女のご両親から連絡がありました。理由ですか? ……申し訳ありませんが、理由についてはお話しできません」




 大学で待っていたのは、彼女が退学したという報せだった。


 何の前触れもなく、まるで加賀燈子という女性は、あの出来事で絶望した俺を慰める為に自分自身で作った偶像の存在だったかのように、俺の前からいなくなった。

 一週間前にも、数日前にも、彼女は何も変わらず話していた。

 何なら次は何処へ旅行に行くかだって相談していた。だけど、何の前触れもなく彼女は……。


 ──いや、今になって思う。前触れは確かにあった。


 そう、あれは彼女が俺の前から消える数日前──。
















 ♦


















「おはよう、恵くん」




 目を開けると、すぐ目の前に燈子さんの顔があった。

 長い茶色の髪が顔に垂れてくすぐったい。それに部屋も暗い。暗い? ああ、そうか。




「すみません、寝ちゃったんですね」




 お昼ご飯は旅館内にあるお店へ。

 ビーフシチューがめちゃくちゃ美味しくて、燈子さんに勧められてワインも呑んだ。




「ふふっ、ビックリしちゃった。途中から恵くん、壊れたみたいに饒舌になるんだから」


「そ、そうなんですか……記憶に無くって」


「動画に残しておけば良かったって後で後悔しちゃった。それで途中から眠たそうにしていたから、部屋に戻って……そのままぐっすり」


「……申し訳、ありません」




 本当に途中から記憶がない。




「やっぱり恵くん、お酒弱かったのね」


「普段はここまで……」


「嘘。よわよわさんの恵くん……それに酔った勢いで私のこと押し倒して──」


「──えっ!?」


「噓よ。部屋に戻ってすぐ寝ちゃったもの」




 クスッと笑うと、燈子さんは顔を離す。

 体を起こすと頭が少しだけ痛い。それになぜか背中が冷たい。


 服も濡れてる。

 たぶん汗だ。時間が経って冷めてる。

 悪い夢でも、見たのだろうか……。




「はい、お水。18時だけど……お腹空いてないわよね?」


「そうですね……って、もしかして仕事してたんですか?」




 体にかけられたひざ掛けをどけ、テーブルの上を見る。

 ノートパソコンや資料、それに自宅から持ってきた録音機材が置かれていた。




「ええ、少しだけ。ここへ来た目的でもあるから、ちゃんと仕事しないとね」


「そう、だったんですね……」


「お陰でいい音声が録音できたわ」


「音声?」




 首を傾げると、燈子さんは口元に手を当てクスクスと笑い出す。




「寝ている彼氏を夜這いしちゃうぞ、の音声。恵くんのリアルな寝息のお陰でいい音声が撮れたわ」


「ちょ、それは消してください!」


「嫌よ、もう保存しちゃったもの」


「変な寝言とか、言ってませんでした?」




 まさか本当に音声を録音しているとは思っていないが、念のため聞いてみる。

 すると、燈子さんは間を空けてから答える。




「……さあ、どうかしら」




 普段ならからかってきそうな感じだったけど、燈子さんはそうしなかった。




「それよりお腹空いてないでしょ? 良かったらプール、行ってこない?」


「プールですか?」


「ええ、せっかくあるなら利用させてもらわないと勿体ないもの。それに少し運動すればお腹も空くかなって」


「そうですね、行ってみましょうか。水着の貸し出しってありましたよね?」


「あるそうよ。まあ、私は自分の持ってきてるけど」




 そう言いながら、燈子さんはバックから小さな袋を取り出した。




「もしかして最初から施設があるのを知っていて?」


「ええ、もちろん」


「教えてくれれば、俺も持ってきたのに」


「内緒にしておいた方が驚いてくれるかなって。ほら、浴衣を持って早く行きましょう」




 窓の外を見たかったけど、燈子さんから「帰ってからのお楽しみ」と言われて見せてもらえず、きっと最高の景色なんだろう窓の外を背中に部屋を出た。


 夜ということもあって泊まる人が増え、昼間に比べて旅館には活気があった。

 けれど平日であり数か月前から予約が必要ということもあって、全体的に静かで落ち着いた雰囲気がある。


 浴衣姿の人が多い。

 きっと温泉に入って、そのままレストランへ行こうとしてるのだろう。




「じゃあ、着替えてくるわね」




 水着は借りられた。

 更衣室には、そこそこの人数の着替えが置かれていた。

 そこまで人はいないのだろう。俺はささっと着替え、プールへと向かった。




「へえ、凄いな」




 天井はガラス張りで、星も月もはっきりと見えて最高の景色だった。 

 そしてプールも、底が様々な色でライトアップされていて、これが噂のナイトプールかと思った。


 まあ、客層が落ち着きすぎていて、想像とは違ってなんだか大富豪の別荘みたいだけど。

 プールサイドでお酒を呑んでる人もいるし……。




「──ねえ、そこのお兄さん。一緒に泳ぎませんか?」




 ふと、声をかけられた。

 だけど声から、燈子さんだとすぐにわかる。




「燈子さ──」




 振り返ると、燈子さんは頬を微かに赤く染め、にっこりとした笑顔を浮かべた。




「どう、かな……? 似合う?」




 ナイトプールに照らされた燈子さんの水着姿は、いつにもなく綺麗だった。




 













 ♦








過去に二人がお酒を呑んだってシーンがありましたが、恵くんと燈子さんが付き合っていた頃、恵くんはまだ高校生だったのを忘れてました。

未成年・飲酒・ダメ! 

修正しました、すみません。



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